パーソナルセッションの案内で都内になっていて、具体的な場所の案内がないので、気になっている人がいると思います。(いるのか?場所の紹介だけじゃなくて結構重要な話も盛り込んでいます。)
具体的な場所を案内していないのは理由があって、セッション内容に合わせで場所を変えているからです。
想定される内容に合わせて場所を変えています。
いまのところ3か所を拠点にしています。
1、施術メイン
2、パーソナルトレーニングメイン
3、メンタリング要素の多い複合内容
となります。
いまのところ3か所を拠点にしていますが、状況に応じて増やしたり、変更したりと、皆さんと進んでいく方向に合わせて場所もデザインしていきます。
雰囲気の良い場所ばかりです。
空間は大事。
施術は心身がリラックスして受けられるような落ち着きのある空間。
トレーニングはテンション上げて一緒に身体と会話していけるような集中出来る空間。
メンタリングも出来て、気功整体の施術にも移行できる隠れ家的な場所で一緒に未来へ向けてコミットする空間。
それぞれに良さのある空間になっているので、しっかりと変化を生み出せる時間を作っていくことができます。
どんな内容になったとしても身体性ということは大切にしていきます。
なぜなら情報空間のフィードバックは身体に来るからです。
情報空間のフィードバックは必ず身体にきます。
だから足がガクガクするとか、お腹がいたい、とか手が震える、などのストレスを感じたときの情報が身体に反応が出ます。
それ以前のささやかな声も。
ゴールが迫ってくる圧、チャンスの声、選択を迫られたときの道、などなど。
本当はみんな受け取っています。
けど、脳にいっていない。
遮断している。
いまの世界はそれを麻痺させればさせるほど、優秀だと思われがち。
ココロを押さえ込んだり、感覚をコロシてる方が生きやすい世界になっています。
これも世界はあべこべでした。
感覚を繊細にすればするほど情報を受け取れるようになっていきます。
能力は開花していく。
情報空間に伝達された情報は身体に来ます。
ただ身体の繊細さがなけれは情報が来ていても、それに気付かず脳へ届かないことになってしまいます。
身体性がさまざまな理由で麻痺させられていると、大切な情報を受け取ることが出来ずに、手元からたくさんの大切な未来を溢れ落としてしまうのです。
どうやってアプローチするのか、という視点をひとつ書いていきます。
それは
身体観の階層性
をみていきます。
個々人の身体観には階層性があり、どんな状態の意識になっていて、変化していくにはどこにアプローチをしていけばいいのかをみていきます。
少なくとも5段階を設定しています。
0番目は「自由に身体を操作できると夢想する段階です」、レベル0です。
文字通り、自分は自由に身体を操作できると夢想しており、実際には不自由なままで終わるイメージです。
そして、1番目は、積み木モデルとかアライメントモデルです。
ロルフィングのあのロゴを思い出してください。
バレエでもアライメントと言ったりして骨と骨の関係(関節)を重視します。その背景にあるのはこの積み木モデルです。下から積み上げていくモデルです。「ゆがみ」などの概念はここにぶら下がります。
2番目は、テンセグリティモデルです。
これはFascia(筋膜)流行りと相まって爆発的に受け入れられている印象です。
これは積み木モデルに対するアンチテーゼとしても、筋膜連結の不思議を考える上でも非常に重要な考え方です(ですが、間違っています)。
3番目は、内圧モデルです。
ここからは「まといのば」のオリジナルっぽくなるのですが、きっとどこかで誰かが主張しているはず。鍵となるのは、パスカルの原理です。
「密閉容器中の流体は、その容器の形に関係なく、ある一点に受けた単位面積当りの圧力をそのままの強さで、流体の他のすべての部分に伝える。」という流体静力学における基本原理
これはMaxバルーンなどの絡みでさんざん書いてきました。一番わかり易いのは体幹であり、腹圧だからです。ですが、実際は全身の問題です。
4番目はバクテリアモデルです。
これもEcoSystemがらみでできてきたモデルですが、端的に言えば細胞も細菌と見なしたらどう?という立場です。亜人のIBMや夏の蚊柱のようなモデルです。イメージ図はマイケル・ジャクソンのリメンバー・ザ・タイムの冒頭。もしくはLUCYです(このモデルでは生命素粒子まで分解しませんが)。
という0から4までの5段階あるという話です。
これについては非常に面白い議論がたくさんあるのですが、割愛します。
(たとえばなぜアライメントというか、積み木モデルが間違っているかと言えば、骨は重ならず浮いているからです。なぜテンセグリティーモデルが間違っているかと言えば、そこまで身体は脆弱ではないからです)(説明原理として、第1世代や第2世代の身体モデルを使うことはあります。それはロケット工学にニュートン力学を用いるのと同じです。近似解としては便利なのです)。
まといばブログより
身体には階層性があります。
ただ、階層が上だから良いというわけではなく、どれが使えるか、変化させられるか、移動できるか、ということがポイントになってきます。
なりたい自分、掴みたい未来、憧れている身体、引き寄せたいモノ。
個々人が持つゴールに合わせて、適切なものを最適なかたちにデザインして使っていきます。
それは、すべてにおいて個体差があるということを認めるということであり、最大公約を目指すようなものではない、ということです。
最大公約数を目指してしまうと、かゆいところに手が届かないことになってしまう。
本来であればここを改善した方がいいのに、ここを変化させると伸びるのに、ここを切り替えると才能が垣間見ることが出来そうなのに、みたいな個別的な動きに対応できないことになってしまうのです。
だから、オーダーメイド的に手間暇のかけて作り上げていくものに成らざるを得ないわけです。
ここに安価な大量生産的なものには作り出せない価値が生まれてくるのだと思います。(なぜクリスチャンディオールのようなブランドでプレタポルテが売上の大半を占めるようになってもオートクチュールを辞めないのか。それがブランドの根幹をなすという意味も含めて考えてみると面白いです。)
あたなだけの価値ある未来に向けて一緒に作り上げていきましょう!