【123便の謎】自殺自衛官が残した2枚の写真には…!! | 優しい世界・還暦の逆襲

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コロワクのせいで死にかけました。生きてるうちに、言いたいことを言わせていただく!

ども~~~~~~~~~~~~~!!!!!!!!!!!!!!!

なんか、台風一過というか、またちょっと暑くなってまいりまして、おかげで、腰の痛みが吹き飛びましたw。やっぱ冷やすとヤバいみたいですね。

昨日は、怒りに任せて書いた「ゴジラ」記事に多くのコメントありがとうございました!!

また、昨日のアクセス数はなんと1900!!
もっともこれは、ロボットアクセスによるものだったようで、深夜に集中しており、ランキング的には下がってしまいましたが(・∀・)

さて、また「あの日」が近づいてまいりましたね。

そうです、1985年8月12日。坂本九さんや、17人のTRON技術者を含む520名という、航空機事故史上最大の犠牲者を出した、JAL123便墜落事件。

例によって、昨日「阿修羅」をダラダラ見てたら、けっこうとんでもない記事がありましたんで、早速ご紹介です。

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http://www.asyura2.com/10/senkyo92/msg/474.html

[日本航空123便墜落事故]  自殺した航空自衛隊員が所持していた 2枚の写真 (世界の真実の姿を求めて!)

http://oujyujyu.blog114.fc2.com/blog-entry-1095.html

前略)


2010-08-14

 

自殺した航空自衛隊員が所持していた2枚の写真
 

日本航空123便墜落事故が発生して、2日前に25年が経過した。
 

日本航空123便墜落事故は、1985年8月12日18時56分に、群馬県多野郡上野村の御巣鷹の尾根に墜落した事故。
 

自衛隊員の自殺数は1986年には年間90人以上と81年から73パーセントも増加している。
(一省庁のなかで1年間で90人これだけの自殺者が出るのは、不自然であり不審であるが報道すらされなかった。)

 

最初に不審な自殺者が出たのが1986年7月、二人の航空自衛隊パイロットだった。
 

そしてつづいて同年9月12日14日と航空自衛隊員が二人自殺する、(これを皮切りに謎の自殺数増加がはじまる)
 

そのうちの一人(9月12日死亡)が友人に預けていた二枚の写真があるのだが、


 

 

 

 
一枚は7月に自殺した同僚二人の写真(a)である。


この時の状況だが二人は自殺をはかった直後に発見され、自衛隊病院に運ばれ病院内で死亡ということで、司法解剖も、検視解剖もされなかった。
だがこの写真の異様さに気づくだろうか、身長ほどの高さで吊られているが、踏み台もなにもない、しかもパラシュートコードを使ったというが、このコードは6mmほどで300kg近い耐力があり、首への食い込みは太いロープなどと違い血管も神経も切断する。
それを偶然自殺直後に発見し撮影までした後、病院に搬送するまで生きているとは考えづらくはないだろうか?(4人とも遺書は残していない)

 

そしてもう一枚の写真(b)が暗い倉庫内(建造物にはモザイクをいれた)の写真。
暗い倉庫でフラッシュ無しで撮影されたよう。
これはなんなのか?
自殺した航空自衛隊員が、なぜこの2枚の写真を何の説明もなく他人に預けたのだろうか?

 


日航123便の垂直尾翼はその70パーセントが見つかっていない。
 

 墜落した123便と同型のボーイング747の垂直尾翼


 

写真(b)の右はじ部分まくれあがってるような部分があるがそこにオレンジと黒の色が見えるが、123便に使用されている塗料は白黒赤だけであり、「オレンジ色」は一切使われていないという。
 

折れ曲がりボロボロだが、これは失われた「70パーセント部分」ではないだろうか!?
 

自衛隊は二種類の鮮やかな「オレンジ色」のミサイル照準訓練用の小型標的機を所有している。

 

 

 

 ※「ファイヤー・ビー」「チャカ2」ともに標的機。


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<ボクのコメント>

いやー、驚いた。
っていうか、この2枚の写真を、「世界の真実の姿を求めて!」の管理人さんが、どうやって入手されたかの経路がよくわかんないんで、微妙ではありますが、(b)の垂直尾翼と思われる写真には、はっきりと「鶴丸印」が見えますよね。

実は、このストーリーを補足すると、事故当日、相模湾には、自衛隊に引き渡す前の護衛艦「まつゆき」が試験運行をしており、このとき、「まつゆき」は123便の垂直尾翼の一部を回収してるんです。

参照:Wikipedia護衛艦まつゆき
 

当時最新鋭だった護衛艦まつゆき


で、一般によく出回ってる説が、

A)まつゆきが「ファイヤー・ビー」を発射し、まつゆき自身が「チャカ2」でそれを撃墜しようとした際に、123便を巻き込んだ。

B)まつゆきが「ファイヤー・ビー」を発射し、他の自衛隊機がそれを撃墜しようとした際に、123便を巻き込んだ。

C)まつゆきが「ファイヤー・ビー」を発射して、それが123便の尾翼を破壊した。

などとなっています。
その他にも、以下、作家の安部譲二氏(元JALのCA)のインタビューが興味深いのですが、時間のある方は読んでみてください。たしかにおかしなことだらけです。
http://www.asyura.com/0601/bd45/msg/454.html

今回は、ソースが微妙なんですが、他の説や証言などと微妙に符号しているので、載せてみました。

世間では、プラザ合意を一ヶ月後に控えた、アメリカによる恫喝の意味をこめた撃墜説から、UFO説まで、いろいろと言われているのですが、自衛隊員の自殺者の話とからめると、この説もなかなか信憑性がある。

でも、そもそも、何年もたってから公開されたボイスレコーダーが「編集後」だったりとか、あらためて123関連を読むと、「闇」がすごいですよね。

 
というわけで、なんかブルーな月曜でした('-^*)/

 

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