先週に続き、今週末はグループカンファレンス(1泊2日合宿)がありました。


グループ23社の幹部、総勢約50名が一堂に集まり、


各社の状況やグループ戦略について共有する場となった。


夜は当然(?)「温泉」&「宴会」。。。




http://ameblo.jp/keyman/entry-10004976154.html にも書いたとおり、


同じグループといっても普段話す機会が少ないので、


こういう場で色々な情報交換できるメリットは大きいです。


私が入社した4年ちょっと前は、100人にも満たなかったが、


今やグループALLで1000人に達しようとしています。


これだけの規模になってくると、こういう機会は特に必要だなぁ


って感じました。




また、今回は会社としての「成長」を肌で感じることができました。


刺激的な人に出会えたことも良かったと思います。


こういった刺激を受けられる人がいるという事は良いことですね。


私にとっては仕事をする上で最も重要なことなのです。


また、月曜日から「頑張ろう!」って気持ちになりました。


これだけでも、大きな収穫です。


パ・リーグのプレーオフが始まって2年目。


最近思うのは、日本シリーズで対戦するセ・リーグのチームは不利じゃないかということ。


私は阪神ファンなので、今年はなおさら、そう思う。


少なくとも、日本シリーズに出てくるパ・リーグのチームは実戦の「試合勘」を保ったまま、しかも、(勝って出てくる訳だから)「勢い」に乗っている。


一方、セ・リーグのチームは、マジで戦う実戦からは遠ざかる。


確かに、セ・リーグのチームは休養十分で日本シリーズとなる訳だが、疲れてはいるが、「試合勘」と「勢い」があるチームと比較すると後者の方が有利な気がする。


うーん・・・笑。


頑張れ、阪神!!


今日は、8時間くらいたっぷり時間を使って、新しい事業について考えた。


こういう時間はとっても楽しい。


でも、注意しなければならないのは、


「これだ!」って思った事を考えていると、


いつの間にかそこへ落とし込むための理由付けを考え出してしまう。


そうすると、知らず知らずのうちに本来の目的から離れてしまう事がある。


「これだ!」って思ってそれについて一生懸命考えたら


一旦、1日くらいおいてクールダウンするのが良いかもしれない。


再度考えると、意外とずれていたりする。


手段が目的化してしまう。気を付けなきゃ。


でも、やっぱり新しいことを考えるのとっても楽しい。


新規事業だけでなく、既存の事業や既存のプロジェクト、


身近なところでも、


どうしたら現状を改善できるか?


どうしたら、新しい価値を提供できるか?


ということを常に考えていくことはとっても大事だと思う。


これを考えずに、ただ惰性で仕事をしていると脳が腐ってしまう。


そのうち考えることが出来なくなり、その後は想像の通り・・・。


さて、眠くなってきた。


やっぱ、睡眠とらないと良い考えも浮かばない。


睡眠もとっても大事だ(笑)。

「ウィニング 勝利の経営」

 

 

jack

 

 

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/453231240X/qid=1128962824/sr=8-1/ref=sr_8_xs_ap_i1_xgl/249-9527955-6762723

 

 

経営において「人」に関わる部分が最も重要だと改めて感じさせられた。


特に我々のようなサービス業(IT関連)では、「人」が最大の資産。


原価の多くは人件費だし。


この資産である「人」が、


どれほど高い能力を持っているか?


どれほど高い成長意欲(モチベーション)を持っているか?


で資産価値はだいぶ異なる。


製造業で言えば、高性能機械か低性能機械の違いである。


これは大きい。


GEの様な大企業とはビジネス環境も社内状況も異なるが、参考になることは多かった。

サイバーエージェントの日高専務のblog に、「目標設定と達成のイメージ」について、とても共感できることが書いてあったので紹介します。



目標達成



<抜粋>

自分で高い目標を立てて、達成する。

 

またその次にさらに高い目標を立てて

 

それを達成していく。

 

~一部省略~

 

ポイントは、

 

とれるかどうかわからないけど、

 
自分で投げた分だけしんどくなるのに

 

思いっきり投げるところです。

 

 

 
 

私も目標は背伸びして考えるべきだと思います。


なぜなら、背伸びして考えれば考えるほど、成長機会を得られるからです。


人は立てた目標以上にはなかなか到達できないものです。


一方、高い目標でも、到達イメージを強烈に持って頑張れば何とかなるものです(経験上)。


この頑張る過程が、最も成長できる機会なのだと思います。


達成するためのあらゆる事を考えなければならないので(怠けられない)。


私は、Mなんでしょうか?でも、その過程が楽しいのです。


未だに高校の体育祭の時の気持ちで仕事をしています(笑)。


ジョブズのスピーチ(訳)を転載します。

良いメッセージですね。

 

 

アップルコンピューターCEO

スティーブジョブズ氏のスタンフォード大学卒業祝賀スピーチ

 

 

jobs

 

 

PART 1 BIRTH
 ありがとう。世界有数の最高学府を卒業される皆さんと、本日こうして晴れの門出に同席でき大変光栄です。実を言うと私は大学を出たことがないので、これが今までで最も大学卒業に近い経験ということになります。


 本日は皆さんに私自身の人生から得たストーリーを3つ紹介します。それだけです。どうってことないですよね、たった3つです。最初の話は、点と点を繋ぐというお話です。


 私はリード大学を半年で退学しました。が、本当にやめてしまうまで18ヶ月かそこらはまだ大学に居残って授業を聴講していました。じゃあ、なぜ辞めたんだ?ということになるんですけども、それは私が生まれる前の話に遡ります。


 私の生みの母親は若い未婚の院生で、私のことは生まれたらすぐ養子に出すと決めていました。育ての親は大卒でなくては、そう彼女は固く思い定めていたので、ある弁護士の夫婦が出産と同時に私を養子として引き取ることで手筈はすべて整っていたんですね。ところがいざ私がポンと出てしまうと最後のギリギリの土壇場になってやっぱり女の子が欲しいということになってしまった。で、養子縁組待ちのリストに名前が載っていた今の両親のところに夜も遅い時間に電話が行ったんです。「予定外の男の赤ちゃんが生まれてしまったんですけど、欲しいですか?」。彼らは「もちろん」と答えました。


 しかし、これは生みの母親も後で知ったことなんですが、二人のうち母親の方は大学なんか一度だって出ていないし父親に至っては高校もロクに出ていないわけです。そうと知った生みの母親は養子縁組の最終書類にサインを拒みました。そうして何ヶ月かが経って今の親が将来私を大学に行かせると約束したので、さすがの母親も態度を和らげた、といういきさつがありました。


               ◆◇◆


PART 2 COLLEGE DROP-OUT
 こうして私の人生はスタートしました。やがて17年後、私は本当に大学に入るわけなんだけど、何も考えずにスタンフォード並みに学費の高いカレッジを選んでしまったもんだから労働者階級の親の稼ぎはすべて大学の学費に消えていくんですね。そうして6ヶ月も過ぎた頃には、私はもうそこに何の価値も見出せなくなっていた。自分が人生で何がやりたいのか私には全く分からなかったし、それを見つける手助けをどう大学がしてくれるのかも全く分からない。なのに自分はここにいて、親が生涯かけて貯めた金を残らず使い果たしている。だから退学を決めた。全てのことはうまく行くと信じてね。


 そりゃ当時はかなり怖かったですよ。ただ、今こうして振り返ってみると、あれは人生最良の決断だったと思えます。だって退学した瞬間から興味のない必修科目はもう採る必要がないから、そういうのは止めてしまって、その分もっともっと面白そうなクラスを聴講しにいけるんですからね。


 夢物語とは無縁の暮らしでした。寮に自分の持ち部屋がないから夜は友達の部屋の床に寝泊りさせてもらってたし、コーラの瓶を店に返すと5セント玉がもらえるんだけど、あれを貯めて食費に充てたりね。日曜の夜はいつも7マイル(11.2km)歩いて街を抜けると、ハーレクリシュナ寺院でやっとまともなメシにありつける、これが無茶苦茶旨くてね。


 しかし、こうして自分の興味と直感の赴くまま当時身につけたことの多くは、あとになって値札がつけられないぐらい価値のあるものだって分かってきたんだね。


 ひとつ具体的な話をしてみましょう。


               ◆◇◆


PART 3 CONNECTING DOTS
 リード大学は、当時としてはおそらく国内最高水準のカリグラフィ教育を提供する大学でした。キャンパスのそれこそ至るところ、ポスター1枚から戸棚のひとつひとつに貼るラベルの1枚1枚まで美しい手書きのカリグラフィ(飾り文字)が施されていました。私は退学した身。もう普通のクラスには出なくていい。そこでとりあえずカリグラフィのクラスを採って、どうやったらそれができるのか勉強してみることに決めたんです。


 セリフをやってサンセリフの書体もやって、あとは活字の組み合わせに応じて字間を調整する手法を学んだり、素晴らしいフォントを実現するためには何が必要かを学んだり。それは美しく、歴史があり、科学では判別できない微妙なアートの要素を持つ世界で、いざ始めてみると私はすっかり夢中になってしまったんですね。


 こういったことは、どれも生きていく上で何ら実践の役に立ちそうのないものばかりです。だけど、それから10年経って最初のマッキントッシュ・コンピュータを設計する段になって、この時の経験が丸ごと私の中に蘇ってきたんですね。で、僕たちはその全てをマックの設計に組み込んだ。そうして完成したのは、美しいフォント機能を備えた世界初のコンピュータでした。


 もし私が大学であのコースひとつ寄り道していなかったら、マックには複数書体も字間調整フォントも入っていなかっただろうし、ウィンドウズはマックの単なるパクりに過ぎないので、パソコン全体で見回してもそうした機能を備えたパソコンは地上に1台として存在しなかったことになります。


 もし私がドロップアウト(退学)していなかったら、あのカリグラフィのクラスにはドロップイン(寄り道)していなかった。そして、パソコンには今あるような素晴らしいフォントが搭載されていなかった。


 もちろん大学にいた頃の私には、まだそんな先々のことまで読んで点と点を繋げてみることなんてできませんでしたよ。だけど10年後振り返ってみると、これほどまたハッキリクッキリ見えることもないわけで、そこなんだよね。もう一度言います。未来に先回りして点と点を繋げて見ることはできない、君たちにできるのは過去を振り返って繋げることだけなんだ。


 だからこそバラバラの点であっても将来それが何らかのかたちで必ず繋がっていくと信じなくてはならない。自分の根性、運命、人生、カルマ…何でもいい、とにかく信じること。点と点が自分の歩んでいく道の途上のどこかで必ずひとつに繋がっていく、そう信じることで君たちは確信を持って己の心の赴くまま生きていくことができる。結果、人と違う道を行くことになってもそれは同じ。信じることで全てのことは、間違いなく変わるんです。


               ◆◇◆


PART 4 FIRED FROM APPLE
 2番目の話は、愛と敗北にまつわるお話です。


 私は幸運でした。自分が何をしたいのか、人生の早い段階で見つけることができた。実家のガレージでウォズとアップルを始めたのは、私が二十歳の時でした。がむしゃらに働いて10年後、アップルはガレージの我々たった二人の会社から従業員4千人以上の20億ドル企業になりました。そうして自分たちが出しうる最高の作品、マッキントッシュを発表してたった1年後、30回目の誕生日を迎えたその矢先に私は会社を、クビになったんです。


 自分が始めた会社だろ?どうしたらクビになるんだ?と思われるかもしれませんが、要するにこういうことです。アップルが大きくなったので私の右腕として会社を動かせる非常に有能な人間を雇った。そして最初の1年かそこらはうまく行った。けど互いの将来ビジョンにやがて亀裂が生じ始め、最後は物別れに終わってしまった。いざ決裂する段階になって取締役会議が彼に味方したので、齢30にして会社を追い出されたと、そういうことです。しかも私が会社を放逐されたことは当時大分騒がれたので、世の中の誰もが知っていた。


 自分が社会人生命の全てをかけて打ち込んできたものが消えたんですから、私はもうズタズタでした。数ヶ月はどうしたらいいのか本当に分からなかった。自分のせいで前の世代から受け継いだ起業家たちの業績が地に落ちた、自分は自分に渡されたバトンを落としてしまったんだ、そう感じました。このように最悪のかたちで全てを台無しにしてしまったことを詫びようと、デイヴィッド・パッカードとボブ・ノイスにも会いました。知る人ぞ知る著名な落伍者となったことで一時はシリコンヴァレーを離れることも考えたほどです。


 ところが、そうこうしているうちに少しずつ私の中で何かが見え始めてきたんです。私はまだ自分のやった仕事が好きでした。アップルでのイザコザはその気持ちをいささかも変えなかった。振られても、まだ好きなんですね。だからもう一度、一から出直してみることに決めたんです。


 その時は分からなかったのですが、やがてアップルをクビになったことは自分の人生最良の出来事だったのだ、ということが分かってきました。成功者であることの重み、それがビギナーであることの軽さに代わった。そして、あらゆる物事に対して前ほど自信も持てなくなった代わりに、自由になれたことで私はまた一つ、自分の人生で最もクリエイティブな時代の絶頂期に足を踏み出すことができたんですね。


 それに続く5年のうちに私はNeXTという会社を始め、ピクサーという会社を作り、素晴らしい女性と恋に落ち、彼女は私の妻になりました。


 ピクサーはやがてコンピュータ・アニメーションによる世界初の映画「トイ・ストーリー」を創り、今では世界で最も成功しているアニメーション・スタジオです。


 思いがけない方向に物事が運び、NeXTはアップルが買収し、私はアップルに復帰。NeXTで開発した技術は現在アップルが進める企業再生努力の中心にあります。ロレーヌと私は一緒に素晴らしい家庭を築いてきました。


 アップルをクビになっていなかったらこうした事は何ひとつ起こらなかった、私にはそう断言できます。そりゃひどい味の薬でしたよ。でも患者にはそれが必要なんだろうね。人生には時としてレンガで頭をぶん殴られるようなひどいことも起こるものなのです。だけど、信念を放り投げちゃいけない。私が挫けずにやってこれたのはただ一つ、自分のやっている仕事が好きだという、その気持ちがあったからです。皆さんも自分がやって好きなことを見つけなきゃいけない。それは仕事も恋愛も根本は同じで、君たちもこれから仕事が人生の大きなパートを占めていくだろうけど自分が本当に心の底から満足を得たいなら進む道はただ一つ、自分が素晴しいと信じる仕事をやる、それしかない。そして素晴らしい仕事をしたいと思うなら進むべき道はただ一つ、好きなことを仕事にすることなんですね。まだ見つかってないなら探し続ければいい。落ち着いてしまっちゃ駄目です。心の問題と一緒でそういうのは見つかるとすぐピンとくるものだし、素晴らしい恋愛と同じで年を重ねるごとにどんどんどんどん良くなっていく。だから探し続けること。落ち着いてしまってはいけない。


               ◆◇◆


PART 5 ABOUT DEATH
 3つ目は、死に関するお話です。


 私は17の時、こんなような言葉をどこかで読みました。確かこうです。


「来る日も来る日もこれが人生最後の日と思って生きるとしよう。そうすればいずれ必ず、間違いなくその通りになる日がくるだろう」。それは私にとって強烈な印象を与える言葉でした。そしてそれから現在に至るまで33年間、私は毎朝鏡を見て自分にこう問い掛けるのを日課としてきました。「もし今日が自分の人生最後の日だとしたら、今日やる予定のことを私は本当にやりたいだろうか?」。それに対する答えが“NO”の日が幾日も続くと、そろそろ何かを変える必要があるなと、そう悟るわけです。


 自分が死と隣り合わせにあることを忘れずに思うこと。これは私がこれまで人生を左右する重大な選択を迫られた時には常に、決断を下す最も大きな手掛かりとなってくれました。何故なら、ありとあらゆる物事はほとんど全て…外部からの期待の全て、己のプライドの全て、屈辱や挫折に対する恐怖の全て…こういったものは我々が死んだ瞬間に全て、きれいサッパリ消え去っていく以外ないものだからです。そして後に残されるのは本当に大事なことだけ。自分もいつかは死ぬ。そのことを思い起こせば自分が何か失ってしまうんじゃないかという思考の落とし穴は回避できるし、これは私の知る限り最善の防御策です。


 君たちはもう素っ裸なんです。自分の心の赴くまま生きてならない理由など、何一つない。
              
 ◆◇◆


PART 6 DIAGNOSED WITH CANCER
 今から1年ほど前、私は癌と診断されました。 朝の7時半にスキャンを受けたところ、私のすい臓にクッキリと腫瘍が映っていたんですね。私はその時まで、すい臓が何かも知らなかった。


 医師たちは私に言いました。これは治療不能な癌の種別である、ほぼ断定していいと。生きて3ヶ月から6ヶ月、それ以上の寿命は望めないだろう、と。主治医は家に帰って仕事を片付けるよう、私に助言しました。これは医師の世界では「死に支度をしろ」という意味のコード(符牒)です。


 それはつまり、子どもたちに今後10年の間に言っておきたいことがあるのなら思いつく限り全て、なんとか今のうちに伝えておけ、ということです。たった数ヶ月でね。それはつまり自分の家族がなるべく楽な気持ちで対処できるよう万事しっかりケリをつけろ、ということです。それはつまり、さよならを告げる、ということです。


 私はその診断結果を丸1日抱えて過ごしました。そしてその日の夕方遅く、バイオプシー(生検)を受け、喉から内視鏡を突っ込んで中を診てもらったんですね。内視鏡は胃を通って腸内に入り、そこから医師たちはすい臓に針で穴を開け腫瘍の細胞を幾つか採取しました。私は鎮静剤を服用していたのでよく分からなかったんですが、その場に立ち会った妻から後で聞いた話によると、顕微鏡を覗いた医師が私の細胞を見た途端、急に泣き出したんだそうです。何故ならそれは、すい臓癌としては極めて稀な形状の腫瘍で、手術で直せる、そう分かったからなんです。こうして私は手術を受け、ありがたいことに今も元気です。


 これは私がこれまで生きてきた中で最も、死に際に近づいた経験ということになります。この先何十年かは、これ以上近い経験はないものと願いたいですけどね。


 以前の私にとって死は、意識すると役に立つことは立つんだけど純粋に頭の中の概念に過ぎませんでした。でも、あれを経験した今だから前より多少は確信を持って君たちに言えることなんだが、誰も死にたい人なんていないんだよね。天国に行きたいと願う人ですら、まさかそこに行くために死にたいとは思わない。にも関わらず死は我々みんなが共有する終着点なんだ。かつてそこから逃れられた人は誰一人としていない。そしてそれは、そうあるべきことだら、そういうことになっているんですよ。何故と言うなら、死はおそらく生が生んだ唯一無比の、最高の発明品だからです。それは生のチェンジエージェント、要するに古きものを一掃して新しきものに道筋を作っていく働きのあるものなんです。今この瞬間、新しきものと言ったらそれは他ならぬ君たちのことだ。しかしいつか遠くない将来、その君たちもだんだん古きものになっていって一掃される日が来る。とてもドラマチックな言い草で済まんけど、でもそれが紛れもない真実なんです。


 君たちの時間は限られている。だから自分以外の他の誰かの人生を生きて無駄にする暇なんかない。ドグマという罠に、絡め取られてはいけない。それは他の人たちの考え方が生んだ結果とともに生きていくということだからね。その他大勢の意見の雑音に自分の内なる声、心、直感を掻き消されないことです。自分の内なる声、心、直感というのは、どうしたわけか君が本当になりたいことが何か、もうとっくの昔に知っているんだ。だからそれ以外のことは全て、二の次でいい。


               ◆◇◆


PART 7 STAY HUNGRY, STAY FOOLISH
 私が若い頃、"The Whole Earth Catalogue(全地球カタログ)"というとんでもない出版物があって、同世代の間ではバイブルの一つになっていました。


 それはスチュアート・ブランドという男がここからそう遠くないメンローパークで製作したもので、彼の詩的なタッチが誌面を実に生き生きしたものに仕上げていました。時代は60年代後半。パソコンやデスクトップ印刷がまだ普及する前の話ですから、媒体は全てタイプライターとはさみ、ポラロイドカメラで作っていた。だけど、それはまるでグーグルが出る35年前の時代に遡って出されたグーグルのペーパーバック版とも言うべきもので、理想に輝き、使えるツールと偉大な概念がそれこそページの端から溢れ返っている、そんな印刷物でした。


 スチュアートと彼のチームはこの”The Whole Earth Catalogue”の発行を何度か重ね、コースを一通り走り切ってしまうと最終号を出した。それが70年代半ば。私はちょうど今の君たちと同じ年頃でした。


 最終号の背表紙には、まだ朝早い田舎道の写真が1枚ありました。君が冒険の好きなタイプならヒッチハイクの途上で一度は出会う、そんな田舎道の写真です。写真の下にはこんな言葉が書かれていました。


「Stay hungry, stayfoolish.(ハングリーであれ。馬鹿であれ)」。それが断筆する彼らが最後に残した、お別れのメッセージでした。


「Stay hungry, stay foolish.」


 それからというもの私は常に自分自身そうありたいと願い続けてきた。そして今、卒業して新たな人生に踏み出す君たちに、それを願って止みません。


  Stay hungry, stay foolish.
 ご清聴ありがとうございました。


the Stanford University Commencement address by Steve Jobs CEO, Apple Computer CEO, Pixar Animation Studios
翻訳 市村佐登美
satomi@mediaexpress.org

青色発光ダイオードを発明した中村修司氏がノーベル賞を逃した。


TVで見ていたのだが、口では「宝くじみたいなものですから」といいつつ、ちょっと悔しそう。


そりゃそうか・・・世界最高の栄誉といわれている賞なのだから。


ところで、ノーベル賞ってこれだけの名誉賞なので、賞金は出ないのかと思ってた。


が、調べてみると各賞で1億3000万(2002年)の賞金が出るそうだ。

それを、受賞人数で分け分けするそうで、最近で言うと、田中氏が3200万、小柴氏が3500万とのこと。


これだけの名誉賞でも(名誉だけではなく)お金もちゃんと出しているんですね。


よく、こういった表彰は名誉だけで十分という議論もあるが、私はそうは思わない。やっぱり「名誉+お金」が欲しいに決まっている。


ビジネスでも、成果を上げたら「名誉(表彰)」と「お金(報酬)」の両方が伴うべきだと思う。


なんだかんだ言って、「お金(報酬)」が伴わないと長続きはしない。


というと誤解されるかもしないが、私は「お金」の亡者ではない(笑)。

10/7~10/8まで、1泊2日の幹部合宿に参加した。総勢25名くらいだったかな。


1日目はトレーディングゲーム研修。


実在の国対抗のビジネスシミュレーションゲーム。意外と面白かった。


各国は最初から持っている技術や資源が異なり、一番のお金持ちになれば勝ち、というゲーム。


面白いながらもビジネスは経済戦争であることを改めて感じた。


自国がどうやって勝つかという視点だけでなく、他国にどうやって勝たせないか(潰すか)?という視点も持たないとね。


2日目は、各事業部の今期方針発表。


各事業部共にやっていることは違うが、目指している方向は近い気がした(まぁ、全然違ったら大変だが・・・)。他の人の話を聞いていると自分の中にも良いアイディアが浮かんでくる(ちょっと得した気分)。


急速に会社が大きくなっているので、こういう場はあっても良いなと感じた。



全然関係ないが、宿に行く途中、山縣有朋(元首相)ゆかりのお茶屋を見つけ寄ってみた。そこがとっても良かったのである。


ちゃんとした茶室で(国の文化財だった)、ちゃんとした抹茶と茶菓子が出てきて、横一列に正座をして(でも、やっぱり正座は挫折してアグラに)。外は小さな庭にチョロチョロと水が流れていて、雰囲気バッチリ。


とてもうまかった。


思わず合宿行くのやめちゃおうかと思ったくらいだ(笑)。

今日は、チームのミーティング(今期の1発目)で今期の方針について発表しました。


これは、私にとっては「強い組織」を作る上で、非常に重要なことです。幸いなことに上手く伝えることができた(っぽい)ので、ホッとしています(笑)。


ところで、「強い組織」とは、どんな組織?


色々な考え方があるが、私は「チームの全メンバーが”目指す方向性”を共有している組織」だと思います。


それには、先ずは”目指す方向性”を明確なコトバにして掲げなければならない。

しかし、ただ単に掲げるだけでは意味がない。。。


本当に「強い組織」とは、”目指す方向性”を一人残らず全メンバーが共有している。つまり、皆の向いている方向、「意識」が同じ組織なんだと感じます。


人間は「意識」が変われば「行動」が変わると言われます(同感)。


つまり、全メンバーが同じ「意識」を持っていれば、個々の「行動」も”目指す方向性”に沿ったものになるはず。絶対にバラバラにならないと。


こういった、個々の「行動」の集積が大きな力を生み出すのでしょう。


だからこそ、「強い組織」になり得るのだと思います。


一人一人の「行動」を管理するのは難しい。全ての「行動」を逐一見ていることは不可能


だけど、「意識」は管理できる。


そして、「意識」さえずれていない事が確認できれば、「行動」は自ずと「意識」に従う。


だから、この「意識」を常に皆が共有し続けられるようにするのが、私の役目だと思っています。


「強い組織」を作っていきたいですね。

なぜなら、その方が断然楽しいから。

今日から、新たな期がスタートした。


今期は、「結果を出すこと」にこだわっていきたい。


我々は単なる「Web制作屋」ではなく、ネットビジネスにおける「成功請負人」になりたい。


つまり、Webサイトを「作る」事ではなく、インターネットを使って顧客のビジネスを「成功に導く」ことこそ我々が提供する価値であり、存在意義である。


という意識を強く持って、仕事をしていきたいと強く思う。


インターネットはリアルのマーケティングと一体化してきている。


当然、Web制作会社が顧客から求められる事も変化してきている。


Web制作会社も 「結果を出せる」会社はネットビジネスにおける「パートナー」となり、単にWebサイトが作れるだけで、「結果を出せない」会社は「業者」となり、価格競争の波にのまれて淘汰される。


同じ事は個人にも言え、 「結果を出せる」Webプロデューサー、Webディレクターが求められ、「結果を出せない」Webプロデューサー、Webディレクターは顧客が求める価値を提供することができず、給料も上がらずおもしろ仕事もできない(最悪だ・・・)。


ダーウィンの進化論に、


「強い生物や賢い生物ではなく、変化し続ける生物だけが生き残れる」とある。


我々も、変化し続けなければ。

顧客に「どんな価値を提供するか?」ということを強く意識しつつ。