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Galwayバスキング

アイルランドの西の港街、Galway。

街と言うよりは町って感じで、町の中心はなだらかな石畳の古い建物が残る一本道。

両脇は伝統的なPubやらレストランが並び、ときおりアイリッシュミュージックの生演奏が聞こえてくる。

この時期から9月までは観光客が絶えず、年配の団体ツアー客や個人旅行者で町は賑わう。
港や町の中の雰囲気がいい以外は目だった観光Spotも特に無いので、観光客は多くても3泊で次の土地へ移動していく。
つまり観光客の回転が速い。これはBuskerにとってはいい条件。

そして夜のストリートはいっそう賑やかだ。

ストリートミュージシャンや大道芸も増え、夜がふけるにつれて顔を真っ赤にした上機嫌達も増える。
週末はレストランやPubに生Bandが入り、道はギネスを持った人で溢れる。

Bandは決してアイリッシュトラディショナルだけじゃなく、とあるレストランのBandは若者向けにEMINEMやらRihannaのコピーもやっている。そんなところは客層もCheezy!!!

その向かいはd&b流してたりして、はたまたその隣はブルースやらカントリー。週末の夜はPerthのNorthbridgeのように賑やか。

もちろん酔っ払い同士の喧嘩もあって、大声で歌う集団もいて、「あぁ、どこもかわんねぇ~な」と思う。

稼ぎはPerth程はいかない。足を止める人も多く、投げてくれる率は高いけど、コインばかり。結構稼いだかな?と思ってもNoteはめったに入らないので金額にすると大したことない。

昼間は「50%Donation For Fukushima」のサインをでかでかと出して演奏していたが、ポリスに「チャリティはパーミットが必要、ただのBuskingなら問題ない。お前がやっているのがただのBuskingならそのサインは使うな」と言われてしまった。なのでサイン出しながらの演奏はここではやめた。

今は昼間も夜もサインなしで演奏し、個人的に自分の稼ぎからこっちでチャリティを行う日本人団体に寄付することにした。


Galwayは今のところ天気が安定せず、雨が降るとめちゃくちゃ寒い。
おとといはヒョウがふって気温が6度。
晴れると気温は25度くらいになり、海からとても気持ちのいい風が吹く。
この時期は夜の10時まで明るく、深夜1時でも空の果てはうっすら明るい。

昼間も夜もBuskingできるので、滞在期限の29日までは毎日Buskingです。

ここではディジュを吹きながらジャンベたたきながらバラフォンたたきつつカホンをフットペダルで踏んでいいる。





なんだか最近サーカスみたいになってきた。





イミグレ嫌い!


6月5日、予約していたダブリン行きの飛行機に乗る為にミュンヘン空港へ向かった。

夕方の17時30分のフライト、ミュンヘンには空港が一つしかないし、飛行場までも電車で一本なので、かなり気持ちも余裕に家を出た。


ミュンヘンでは友人マナブの家に10日ほど滞在させてもらった。
彼には本当にお世話になった。
ナチス時代のダハウ強制収容所に連れていってもらったり、地元サッカーの試合を見せてくれたり、仲間に会わせてくれたり、バスキングのパーミットを調べに一緒に市役所に行き、通訳してくれたり。とにかくマナブのお陰でミュンヘンで苦労することはなかった。

出発当日、マナブに駅まで送ってもらい、再会の約束をして電車に乗り込んだ。




Dublinではアイリッシュのジャンベチームが待っている。

Galwayベースに3ヶ月滞在し、DublinのアフリカンチームとGalwayのAfroBeatの2つのバンドで、この夏はFesにイベントに活動予定だ。8月にCDをつくってプロモーションする話もあるので楽しみだった。
新しいミュージシャンとも出会うだろう。
行きの電車の中、気持ちはもうアイルランドだった。



ミュンヘン空港に到着し、あとはCheckInするだけ。

搭乗前に一杯フランツィスカーナーでもひっかけようか。ヴァイスブルストでもつまんでさ!

いやいやまてまて、まずは荷物を預けよう。ビールはそれからだ。


ところが搭乗予定の航空会社RyanAirのカウンターが見つからない。

あれ?おかしいな?ターミナルが違うのか?

移動しても移動してもみつからない。

あれ?どこだろう。うん、Infomationで聞こう。。。


「すいません、RyanAirの荷物預けはどこですか?」

「え?なんて?」

「いやだから、RyanAirの・・・」

「RyanAirはこの空港からは出ていないよ。」

「は?」

「ここからは出ていない。」

「え?いや、でもこのチケットにミュンヘンWestって書いて・・・」

「ミュンヘンWestってのは、マニンガンにある空港だよ。ここはミュンヘンにあるミュンヘン空港」




が~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ん。



いや、あきらめるな俺!搭乗締め切りまであと1時間ある。そのマニンガンってとこまでタクシー飛ばしていけばいい。


「そのマニンガンまではどういけば?」

「ここからだと電車とバスで3時間。タクシーなら400ユーロくらいで4時間ってとこだな。アイムソーリー!」



が~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ん。




最悪だわ。

完全に間に合わない。

Dublin空港にはダニエルとブライアンも迎えにくるのに。。。

無駄にした。貴重なチケット代をまた無駄にした。はぁ。

すぐにマナブんび電話して、数日滞在を伸ばし、再度お世話になることを伝えた。




それから3日、ミュンヘンに滞在し、再びダブリン行きのチケットを取った。

今度はエア・リンガス。ちゃんと"ミュンヘン空港"からだ。




6月8日、3日前とまったく同じ荷物と形相で空港へ向かった。

今度は間違いない。心配してマナブも一緒にきてくれた。

エア・リンガスのカウンターも発見、案内板には予約の便名も出ている。

間違いない。こんどこそアイルランドだ。

しかしまたまた荷物預けでトラブル。

「この荷物はなに?」「アイルランドを出るチケットはもっているか?」

などなど、荷物を預けるだけなのに、係員が細かくしつこく質問。

オレが答えるたびに上司に確認の電話をしている。

通常よりもかなり時間がかかり、なんとか出国した。




3時間の空の旅は快適だった。

これからの夏のアイルランド生活をいろいろ思い浮かべながら過ごした。

眼下にダブリンの街並みが見えてきた時はワクワクで一杯だった。

見覚えのある建物。海沿いの崖となだらかな丘陵。綺麗な海。


飛行機をおり、手荷物をもってイミグレへ向かう。

昨年はろくにパスポートもCheckされずに入国できたこの国。

俺もここを通ってあとはジャンベとディジュを受け取ってバスに乗るだけだ。

イミグレに並ぶ。俺の番が来る。セサミストリートのアニー&バートのバートに似ている係員にかなり愛想よく挨拶する。

気持ちも軽く、世間話でもしちゃおうかなってくらい気分がいい。



バート「おや?アナタは去年もアイルランドにきてますね?アイルランドが気に入ったのかい?」

俺「もちろん。ビールは旨いし人もいいし、自然も豊かで俺は好きです。去年はいい思い出が沢山できました。」

バート「そうですか、ところでこのパスポートに記してあるけどロンドンに入れなかったようですね。何故?」

俺「あぁ、それは楽器を沢山持っていたので質問を沢山受けるはめになったのが原因で・・・。」
バート「そうですか。アイルランドへは何しにきたの?どこに滞在する予定?それでいつ帰る予定?」

俺「観光です。あと友達に会いに。滞在は友達の家です。帰りの予定は3ヵ月後です。出国のチケットはこれから取る予定です。」

バート「出国予定が未定?滞在が友達の家?リターンチケットもってない?う~んそれはちょっと問題だな。まってないさい。とりあえずロンドンのイミグレに確認を取る。その前にその友人の電話番号と住所を書きなさい」

俺「はぁ・・・。」




なんか非常に雲行きが怪しくなってきたわけです。

そこで待たされること30分。

バートが怖い顔して戻ってきた。

「君ね~。ロンドンに入れなかったのは楽器じゃなくて治験ボランティアだろ?しかも友達の家に滞在っていっているけど、住所が違っていた。そしてその友達は滞在は2ヶ月くらいだと言っている。なんで嘘つく?」

俺「はぁ?ウソついてないよ。Londonは楽器のせいで別室に呼ばれてそれから治験のことが判明したんだ。それに住所は正確じゃないって言ったろ?滞在期間はそんなにきちっと決めていないから食い違うこともあるだろう、それをウソっていうのかい?」

バート「きみねぇ。君の言っていることはつじつまがあっていないんだよ。君の旅は予定がないのかい?」

俺「だからそれはこれから決めるって言っているじゃないか」

バート「友達は2ヶ月くらいっていっている。でも君は3ヶ月という。なぜ食い違う?それになぜ治験の事を隠したのか?」

俺「だからこれから決めるんだから食い違うことだってありえるでしょ?治験だって隠してないよ別に。」

バート「ほう、君は反抗的だね。立場をわかっているのかい?」

俺「こんなのおかしいでしょ。」

バート「いいかい?よく聞きなさい。私は今Happyじゃない。君は情報が正確じゃないし、Londonの入国も拒否されている。何より反抗的だ。立場をわかっているのか?君は審査される側なんだ。ましてや戻りのチケットも持っていない。君をこの国へ受け入れるわけにはいかない。」

かなり高圧的にしかも興奮気味に言い放ちやがる。



俺「はぁああああああああああ????」


そんな話があるか!!!!

かなり腹立っていた。
またか!また強制送還か!Londonに続き?最悪だわ。。。またプリズン?またロストマネー?なんだってんだよ!!!
悔しくてしょうがないぞ!!!入れないものはしょうがない!でも悔しいぞ。
あ~腹が立つ!イミグレなんか大嫌いだ。よし!コイツには一言いってやろう!
どうせまた強制送還なら言いたいこといってやろう、と思った。



俺「OKOKわかりましたよ。いいでしょう。」

「ただね、一言、言わせてください。俺はウソをついてないしつきたくもない。英語のスキルが無いばかりにうまく説明できなかったことが誤解を招いたなら確かに俺のせいかもしれないが、ウソはついていない。それに戻りのチケットが無いけど、それが問題なら今すぐココで手配するよ。それが無理なら明日チケットとってココにもってくる。」

俺「それからね、今回アイリッシュの友達がオーストラリアでの募金活動を知って、それで助けたいっていってくれて俺はここに来たんだ。日本は未だにひどい状況だし、おれが外でできる事がなんだろうって悩んでたら、ダニエル達が力になるから来いよっていってくれたんだ。」

俺「アンタは簡単に感情でそうやって人を強制送還するけど、こっちはいろんな人の気持ちが詰まってんだ。OKOK、強制送還だろ?いいよ!でもな、あんたの事を俺は日本の仲間に伝えるし、俺はこんな扱いを受けたことをわすれね~よ。そんで日本人の友達に言うよ。アイルランドのイミグレの○○って奴は最悪だってな!正直俺はアイルランドにガッカリだよ!!!アイルランドに失望した!!!」


最後のほうは興奮して口調も強めに言っていた。

そしたら、バート、急に顔つきが変わった。

「Oh,わかった。それはしらなかった。そういうことは早めに言いいなさい。特例で滞在を許可しよう」

「ただし、こっちも決まりがある。本来はリターンチケットもってなかったら入国を拒否できるんだ。今回は特例だ。2度目は無い。それから今回は期限付きになる。6月末まではいてもいい。ただ7月には出国しないといけない。OK?」


俺「OK。わかった。ありがとう。」



んで結局最後はそのバートとちょっと仲良くなった。


バート「アイリッシュは本当はハートが暖かいんだ。」

俺「しってるよ。だから失望しかけたんだ。」





そんなわけでアイルランドに入国できたはしたが、期限付きの6月末まで。

現在Galwayです。

とりあえずいる間は、BuskingとBandでのいくつかのGigを一所懸命やります。

そもそもEUに来たのは、音楽で生計をたて、貯金をして再度西アフリカへ行くため。

旅を続けることにはそんなに意味は無い。

資金が稼げなくなったら、もし回らなくなったらいったん日本へ帰る。

ただ、滞在できる間はやれるだけはやる。




一生は一回だ。







Muenchenバスキング

10日近く滞在したミュンヘン。

旧市街の中でのBuskingは先述したとおり規制が多くて出来なかったが、旧市街を囲む街壁を越えればそこはフリーゾーン。
ミュンヘンに在住する日本人の方々の助言を得て、人通りの多い場所をみつけてBuskingをした。

街の中心、旧市街の街壁を越えたそこは、言わば本当の市街地。歩行者天国ではないが、街の中心広場のマリエンプラッツのすぐ隣なので観光客も多いし、市場も近くて地元市民の日常の買い物客も多い。

街角には3人編成のバンドやらギタリストやらディジュプレーヤーもいる。

有名ビアホール「ホッフブロイハウス」の通りは夕方過ぎから街灯がつき、石畳の道路は雰囲気がぐっと良くなる。
ビール飲みに繰り出した観光客を狙って、地元のミュージシャンもどこからともなくやってきて、賑やかに夜の街を飾りはじめる。

Buskingは旧市街の外であれば、基本どこでやっても問題ない。
音が大きすぎなければ警察に注意されることもない。

俺は大体夕方5時くらいから始め、休憩しつつ夜の11時までやるパターン。

「50% donation for Fukushima」の看板を掲げ、ディジュだけでパフォーマンスした。
(やはりジャンベはこの街には音が大きすぎる)

Fukushimaの事は通り過ぎる全ての人が知っている。
暖かく声をかけてくださる人もいれば、考え込む人もいた。
地元市民は原発に対して特に意識が高く、セシウムだとかシーベルトの事もよく知っていた。

俺が「日本の現状を変えたい。政府やこの国のおかしな体質を変えたい」と言うと、
「日本人は皆そうおもっているのか?」と聞かれるので、
「皆そう思っているはずだ」というと、
「日本人が変わりたいと思って本気で行動すれば、日本どころが世界が変わる」と言われた。

「ドイツ人は日本人のキメ細やかな心遣いや他人を思いやる気持ちをリスペクトしているよ、でもそれが仇になり自分の意見を声にして言わない所は変えてもいいところだね」という人もいた。

ドイツ人は特に自分の意見をはっきり言う(西洋人はほとんどそうだが)、悪いものは悪いと相手にはっきり伝えることが相手にとっても自分にとっても健康なことだと考えているようだ。

結局5日くらいしかBuskingできなかったが、日本を変えたいと思っている日本人がいるって事をアピールできただけでも意味はあったと思う。

Donationは全部で121ユーロ。半分Donationなので60,5ユーロを被災地へ寄付。

個人送金はハードル高すぎるので、ミュンヘンの日本人サッカーチーム、「FC Japan」のメンバー藤川学に預けて彼らのチャリティ募金に足してもらうことにした。
ちなみに彼は今年9月にサッカーコーチのライセンスを取る予定。
数年したら日本に帰って教師をしながらミュンヘンのジュニアサッカーと日本のジュニアサッカーの架け橋になるために、ここミュンヘンで頑張ってる熱い関西人30歳だ。

ミュンヘンでは震災以降、在住の日本人による「Operation ONIGIRI」という募金活動やチャリティコンサートが多く開催されていて、ミュンヘン市民たちもこの動きにかなり協力的だ。
「FC Japan」でも今後も引き続き、募金活動を行っていらしいし、ハンブルグやベルリンでも日本人による募金活動が活発だ。

ドイツでは日本人コミュニティの横の連携やコミュニケーションが上手く取れていると感じた。

駐在の方々や定住の方々は、祖国を援助したいという気持ちが特に強いかもしれない。
また、日本を変えたいと思っている人にも多く会う。




【音の旅】

【音の旅】

【音の旅】

【音の旅】

【音の旅】






ドイツの原発に対する意識がよくわかる、地元のNewsを転載する。


■30May2011

『22年までに脱原発へ』(ベルリン5月30日付け 時事)

連立与党のキリスト教民主・社会同盟(CDU・CSU)と自由民主党(FDP)は5月30日、福島第一原発事故を受けて見直しを決めていた原発政策をめぐり協議し、2022年までの脱原発を目指す方針で合意した。スイスが同25日に34年までの脱原発を決めているが、主要国ではドイツが初めて。
DPA通信によると、合意では国内の原発17基のうち、福島の事故後に安全点検のため稼動を停止した旧式7期と、故障多発に伴い運転を見合わせている1基の計8基はこのまま廃炉とする。
残りは原則として21年までに運転を停止するが、再生可能エネルギーへの転換が進まず、電力が足りなくなる恐れが生じた場合は3基だけ22年まで稼動させる。
メルケル政権は昨秋、22年をめどに原発を全廃するとしたシュレーダー前政権の方針を見直し、原発の稼動期間を平均12年間延長することを決めた。しかし福島第一原発の事故後、脱原発に転じていた。





■30May2011

『国内約20箇所で反原発デモ開催。ベルリンでは約3万人が』

福島第一原発事故の事故発生後、ドイツ各地で頻繁に行われている半原子力デモ。5月28日も、国内20箇所で約25万人が脱原発を求めてデモ行進を行った。
ベルリンでは、原発に反対する環境保護団体や政党、労働組合のメンバーら約3万人が市庁舎前に集結。「2度と福島の事故を起こすな!」などと訴えながら、ブランデンブルグ門を通りCDUの本部まで練り歩いた。公共放送ZDFの最新調査によれば、できる限り早い脱原発を望む国民は、約50%となっている。












日本だって出来るはず!