Muenchenバスキング
10日近く滞在したミュンヘン。
旧市街の中でのBuskingは先述したとおり規制が多くて出来なかったが、旧市街を囲む街壁を越えればそこはフリーゾーン。
ミュンヘンに在住する日本人の方々の助言を得て、人通りの多い場所をみつけてBuskingをした。
街の中心、旧市街の街壁を越えたそこは、言わば本当の市街地。歩行者天国ではないが、街の中心広場のマリエンプラッツのすぐ隣なので観光客も多いし、市場も近くて地元市民の日常の買い物客も多い。
街角には3人編成のバンドやらギタリストやらディジュプレーヤーもいる。
有名ビアホール「ホッフブロイハウス」の通りは夕方過ぎから街灯がつき、石畳の道路は雰囲気がぐっと良くなる。
ビール飲みに繰り出した観光客を狙って、地元のミュージシャンもどこからともなくやってきて、賑やかに夜の街を飾りはじめる。
Buskingは旧市街の外であれば、基本どこでやっても問題ない。
音が大きすぎなければ警察に注意されることもない。
俺は大体夕方5時くらいから始め、休憩しつつ夜の11時までやるパターン。
「50% donation for Fukushima」の看板を掲げ、ディジュだけでパフォーマンスした。
(やはりジャンベはこの街には音が大きすぎる)
Fukushimaの事は通り過ぎる全ての人が知っている。
暖かく声をかけてくださる人もいれば、考え込む人もいた。
地元市民は原発に対して特に意識が高く、セシウムだとかシーベルトの事もよく知っていた。
俺が「日本の現状を変えたい。政府やこの国のおかしな体質を変えたい」と言うと、
「日本人は皆そうおもっているのか?」と聞かれるので、
「皆そう思っているはずだ」というと、
「日本人が変わりたいと思って本気で行動すれば、日本どころが世界が変わる」と言われた。
「ドイツ人は日本人のキメ細やかな心遣いや他人を思いやる気持ちをリスペクトしているよ、でもそれが仇になり自分の意見を声にして言わない所は変えてもいいところだね」という人もいた。
ドイツ人は特に自分の意見をはっきり言う(西洋人はほとんどそうだが)、悪いものは悪いと相手にはっきり伝えることが相手にとっても自分にとっても健康なことだと考えているようだ。
結局5日くらいしかBuskingできなかったが、日本を変えたいと思っている日本人がいるって事をアピールできただけでも意味はあったと思う。
Donationは全部で121ユーロ。半分Donationなので60,5ユーロを被災地へ寄付。
個人送金はハードル高すぎるので、ミュンヘンの日本人サッカーチーム、「FC Japan」のメンバー藤川学に預けて彼らのチャリティ募金に足してもらうことにした。
ちなみに彼は今年9月にサッカーコーチのライセンスを取る予定。
数年したら日本に帰って教師をしながらミュンヘンのジュニアサッカーと日本のジュニアサッカーの架け橋になるために、ここミュンヘンで頑張ってる熱い関西人30歳だ。
ミュンヘンでは震災以降、在住の日本人による「Operation ONIGIRI」という募金活動やチャリティコンサートが多く開催されていて、ミュンヘン市民たちもこの動きにかなり協力的だ。
「FC Japan」でも今後も引き続き、募金活動を行っていらしいし、ハンブルグやベルリンでも日本人による募金活動が活発だ。
ドイツでは日本人コミュニティの横の連携やコミュニケーションが上手く取れていると感じた。
駐在の方々や定住の方々は、祖国を援助したいという気持ちが特に強いかもしれない。
また、日本を変えたいと思っている人にも多く会う。





ドイツの原発に対する意識がよくわかる、地元のNewsを転載する。
■30May2011
『22年までに脱原発へ』(ベルリン5月30日付け 時事)
連立与党のキリスト教民主・社会同盟(CDU・CSU)と自由民主党(FDP)は5月30日、福島第一原発事故を受けて見直しを決めていた原発政策をめぐり協議し、2022年までの脱原発を目指す方針で合意した。スイスが同25日に34年までの脱原発を決めているが、主要国ではドイツが初めて。
DPA通信によると、合意では国内の原発17基のうち、福島の事故後に安全点検のため稼動を停止した旧式7期と、故障多発に伴い運転を見合わせている1基の計8基はこのまま廃炉とする。
残りは原則として21年までに運転を停止するが、再生可能エネルギーへの転換が進まず、電力が足りなくなる恐れが生じた場合は3基だけ22年まで稼動させる。
メルケル政権は昨秋、22年をめどに原発を全廃するとしたシュレーダー前政権の方針を見直し、原発の稼動期間を平均12年間延長することを決めた。しかし福島第一原発の事故後、脱原発に転じていた。
■30May2011
『国内約20箇所で反原発デモ開催。ベルリンでは約3万人が』
福島第一原発事故の事故発生後、ドイツ各地で頻繁に行われている半原子力デモ。5月28日も、国内20箇所で約25万人が脱原発を求めてデモ行進を行った。
ベルリンでは、原発に反対する環境保護団体や政党、労働組合のメンバーら約3万人が市庁舎前に集結。「2度と福島の事故を起こすな!」などと訴えながら、ブランデンブルグ門を通りCDUの本部まで練り歩いた。公共放送ZDFの最新調査によれば、できる限り早い脱原発を望む国民は、約50%となっている。
日本だって出来るはず!
旧市街の中でのBuskingは先述したとおり規制が多くて出来なかったが、旧市街を囲む街壁を越えればそこはフリーゾーン。
ミュンヘンに在住する日本人の方々の助言を得て、人通りの多い場所をみつけてBuskingをした。
街の中心、旧市街の街壁を越えたそこは、言わば本当の市街地。歩行者天国ではないが、街の中心広場のマリエンプラッツのすぐ隣なので観光客も多いし、市場も近くて地元市民の日常の買い物客も多い。
街角には3人編成のバンドやらギタリストやらディジュプレーヤーもいる。
有名ビアホール「ホッフブロイハウス」の通りは夕方過ぎから街灯がつき、石畳の道路は雰囲気がぐっと良くなる。
ビール飲みに繰り出した観光客を狙って、地元のミュージシャンもどこからともなくやってきて、賑やかに夜の街を飾りはじめる。
Buskingは旧市街の外であれば、基本どこでやっても問題ない。
音が大きすぎなければ警察に注意されることもない。
俺は大体夕方5時くらいから始め、休憩しつつ夜の11時までやるパターン。
「50% donation for Fukushima」の看板を掲げ、ディジュだけでパフォーマンスした。
(やはりジャンベはこの街には音が大きすぎる)
Fukushimaの事は通り過ぎる全ての人が知っている。
暖かく声をかけてくださる人もいれば、考え込む人もいた。
地元市民は原発に対して特に意識が高く、セシウムだとかシーベルトの事もよく知っていた。
俺が「日本の現状を変えたい。政府やこの国のおかしな体質を変えたい」と言うと、
「日本人は皆そうおもっているのか?」と聞かれるので、
「皆そう思っているはずだ」というと、
「日本人が変わりたいと思って本気で行動すれば、日本どころが世界が変わる」と言われた。
「ドイツ人は日本人のキメ細やかな心遣いや他人を思いやる気持ちをリスペクトしているよ、でもそれが仇になり自分の意見を声にして言わない所は変えてもいいところだね」という人もいた。
ドイツ人は特に自分の意見をはっきり言う(西洋人はほとんどそうだが)、悪いものは悪いと相手にはっきり伝えることが相手にとっても自分にとっても健康なことだと考えているようだ。
結局5日くらいしかBuskingできなかったが、日本を変えたいと思っている日本人がいるって事をアピールできただけでも意味はあったと思う。
Donationは全部で121ユーロ。半分Donationなので60,5ユーロを被災地へ寄付。
個人送金はハードル高すぎるので、ミュンヘンの日本人サッカーチーム、「FC Japan」のメンバー藤川学に預けて彼らのチャリティ募金に足してもらうことにした。
ちなみに彼は今年9月にサッカーコーチのライセンスを取る予定。
数年したら日本に帰って教師をしながらミュンヘンのジュニアサッカーと日本のジュニアサッカーの架け橋になるために、ここミュンヘンで頑張ってる熱い関西人30歳だ。
ミュンヘンでは震災以降、在住の日本人による「Operation ONIGIRI」という募金活動やチャリティコンサートが多く開催されていて、ミュンヘン市民たちもこの動きにかなり協力的だ。
「FC Japan」でも今後も引き続き、募金活動を行っていらしいし、ハンブルグやベルリンでも日本人による募金活動が活発だ。
ドイツでは日本人コミュニティの横の連携やコミュニケーションが上手く取れていると感じた。
駐在の方々や定住の方々は、祖国を援助したいという気持ちが特に強いかもしれない。
また、日本を変えたいと思っている人にも多く会う。





ドイツの原発に対する意識がよくわかる、地元のNewsを転載する。
■30May2011
『22年までに脱原発へ』(ベルリン5月30日付け 時事)
連立与党のキリスト教民主・社会同盟(CDU・CSU)と自由民主党(FDP)は5月30日、福島第一原発事故を受けて見直しを決めていた原発政策をめぐり協議し、2022年までの脱原発を目指す方針で合意した。スイスが同25日に34年までの脱原発を決めているが、主要国ではドイツが初めて。
DPA通信によると、合意では国内の原発17基のうち、福島の事故後に安全点検のため稼動を停止した旧式7期と、故障多発に伴い運転を見合わせている1基の計8基はこのまま廃炉とする。
残りは原則として21年までに運転を停止するが、再生可能エネルギーへの転換が進まず、電力が足りなくなる恐れが生じた場合は3基だけ22年まで稼動させる。
メルケル政権は昨秋、22年をめどに原発を全廃するとしたシュレーダー前政権の方針を見直し、原発の稼動期間を平均12年間延長することを決めた。しかし福島第一原発の事故後、脱原発に転じていた。
■30May2011
『国内約20箇所で反原発デモ開催。ベルリンでは約3万人が』
福島第一原発事故の事故発生後、ドイツ各地で頻繁に行われている半原子力デモ。5月28日も、国内20箇所で約25万人が脱原発を求めてデモ行進を行った。
ベルリンでは、原発に反対する環境保護団体や政党、労働組合のメンバーら約3万人が市庁舎前に集結。「2度と福島の事故を起こすな!」などと訴えながら、ブランデンブルグ門を通りCDUの本部まで練り歩いた。公共放送ZDFの最新調査によれば、できる限り早い脱原発を望む国民は、約50%となっている。
日本だって出来るはず!