2023年12月に読んだ本たち | ますたーの研究室

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英詩を研究していた大学院生でしたが、社会人になりました。文学・哲学・思想をバックグラウンドに、ポップカルチャーや文学作品などを自由に批評・研究するブログです。

 

なんだか12月30日じゃなくて12月28日くらいであってほしい。

 

・サラ・サリー『シリーズ現代思想ガイドブック ジュディス・バトラー』(竹村和子ら訳、青土社、2005年。)

最近フェミニズムについて思うことがあったので、久しぶりにバトラー先生について学び直すかと思って手に取った一冊。結果、入門レベルのはずなのにめちゃくちゃ険しい読書だった。寝落ちを繰返しながら、約2か月をかけて読了。ただし後半の方は内容もろくにわかっていない。

 


そんな状態でもわかったふりをして本書の感想を書いていくと、バトラーの最初の著作である『欲望の主体』の説明に紙幅を割いているところが特徴的なのだろうなと感じた。いまやフェミニズムとクィア理論で目覚しい功績を挙げたバトラーの最初の著書は、ヘーゲル『精神現象学』が20世紀のフランスでどのように受容されたのかをテーマにしている、というのは、「え、そうだったんですか」という感じを受けるかもしれない(自分は受けた)。しかし、『欲望の主体』に続く論文で「実存は一連の『行為』であると主張することによって、アイデンティティが先在的本質であるという見解を解体できるかもしれない」(77)というところに辿り着いているのは、それはまさに『ジェンダー・トラブル』の骨子だなという感じで、バトラーの思想の一貫性みたいなものを感じられる気がして興味深かった。



本書を通じて思ったのは、「いま生きている身体ですら所与のものでなく、その外部にとりまく記号の次元の中でしか存在しえない」というバトラーの主張は大変ラディカルだが、真実でもあるよな、というところである。人間が生まれる前から、エコーで母親の胎内を覗き、下半身の器官の有無を確かめて「男の子ですよ」「女の子ですよ」と「呼びかけ」られ、「決定」される。性別もそうだが、肌の色に代表される人種の問題も包含されるし、障害の有無についても当てはまる。自分の身体の在り方はそれ自体で単独で意味を持つのではなく、つねにすでにあるこの世界の記号秩序の中の位置づけによって決定される。これ、めっちゃ難しいが、具体的な事例を思うと「まあそうかもなあ」と思うところもあり、偉大な着想だなとはっとさせられる。

 

・土井善晴『おいしいもんには理由がある』(株式会社ウェッジ、2023年。)

今までに読んだことのないジャンルの本を読もうと思い、料理と食が大好きなことがあってふと手に取った一冊。めちゃくちゃよかった!織り交ぜられた写真がとても綺麗で、ただただ美味しそうなだけではなく、美意識すら感じられる。

 


料理研究家の土井さんが日本全国の「おいしいもん」を訪ねて渡り歩く旅行記で、日本全国にはこんなにおいしそうなものがあふれているのだなと認識を新たにした。また、第一次産業に携わる人々の確かな仕事ぶりには脱帽する思いがした。自分もこういう意識で仕事をしていたいものである。
 

・いとうせいこう『想像ラジオ』(河出書房新社、2015年。)

今まであまりはっきり書いてこなかったが、中3くらいからずっとラジオが好きである。今では普通の平日はTOKYO FMの「Memories & Discoveries」に始まり、午前中はTBSラジオ、午後から夕方はTOKYO FMを聴きながら仕事をする生活を送っている。古くは「School of Lock」のリスナー生徒だった。もうそこから15年近くラジオと共に生きてきているのだな。

 

 

本書は東日本大震災の後に書かれた、まだ震災の記憶が生々しい頃の作品である。死者の声が、想像ラジオとなって空を飛んでいる。そうか、死者の声がラジオとなって流れており、聴こえる人には聴こえるのか、という気づきがあった。

平日の帯番組のラジオを聴いていると、ラジオはあまりにも生活に密接したメディアだなということを日々感じる。この世界で生きる誰かのどうでもいい日常の話が、たくさん飛び交っている。また、声優のラジオでよく聞くラジオネームのリスナーが実はこういう仕事をしていたのか、ということもあった。知り合いでもないのに、なんだかやたら知っている関係性になったりもする。

 

 

死者の声を聴くのは作家の仕事である、ということを『ご注文はうさぎですか?』の青山ブルーマウンテンさんについて書いたときに言及した。

 

https://ameblo.jp/kesutora/entry-12617377117.html

 

第二章における、亡くなってしまった人たち、生き残ってしまった人たち、ボランティアとしてよそからやってきた人たちの間の関係性はどうあるべきかという議論は、胸に迫るものがあった。よそから来た者たちは、悲しみに浸る人の心の領域にむやみやたらに入ってはならない。それは本当にそう思う。『すずめの戸締まり』は、震災から11年が経ったからこそ表現できた物語であって、あれを震災後間もなく出すことはできなかっただろう。それでも、死者の声が聴こえる、聴こえてくるということは、きっとあるのかもしれない。それを「ラジオ」と名指す作家の発明に、僕は共感せずにはいられなかった。聞き流すメディアである一方で、意外と双方向でもあるんだよな。

 

 

やっぱり僕にとって震災は意外と大きな出来事なんだよな、と改めて実感した。津波に押し流される記憶、理不尽に命を奪われてしまった怒り、被災者に対する向き合い方で鋭く対立する場面、等々読んでて息苦しい場面も少なからずあった。それでも、「想像ラジオ」パートが心地よい、優しくて力強い小説だった。たいへんよかったです。

 

博『明日ちゃんのセーラー服』(12)

 

博『明日ちゃんのセーラー服』12巻表紙。(C)SHUEISHA Inc.

 

『明日ちゃん』はどういう心持ちで読めばいいのかわからない作品になってきている。女子同士のクソデカ感情の見え隠れと駆け引きを、我々はどういう気持ちで眺めればよいのだ……?

 

 

表紙の明日ちゃんの黒セーラー服、めっちゃくちゃドキッとしたな~~と思っていたら、まさに作中でそういう挿話が展開されていてちょっと笑ってしまった。まあでも明日ちゃんの二面性、みたいな話には全く行かずに、あくまでも「第三者の視点からの観察」という距離感なのがやはりよい。その視点と語り方がヴァージニア・ウルフにも通じるところがあるのが、僕が本作をずっと読みつづけている理由なのかもしれない。

 

 

お泊り学習(名称なんだっけ)のクライマックスのステージに向けて読者の期待を上げてきていたはずなのに、なんだか文化祭のステージへと持ち越しになってしまったのは肩透かしを食らった気がした。だが、「まあ明日ちゃんがそう思っちゃったなら仕方ないよな」というところで、僕たちも天真爛漫な明日ちゃんの掌の上で踊らされているのかもしれない。

 

・あfろ『ゆるキャン△』(15)

 

(C)『ゆるキャン△』15巻表紙。あfろ/芳文社

 

2023年の締めくくりは『ゆるキャン△』で。来年の3期も楽しみにしています。

 

 

今回のメインは新キャラ・メイを交えた野クルの(デス)サイクリングキャンプだが、合間のリンのソロキャンの挿話でリンが「綾ちゃんとまた走りたいな……」となっていたのがなんだか非常によかった。ここでも女子同士のクソデカ感情が見え隠れしている。また、地味に重要であるリンちゃんのあおい呼びも初めていただきました。

 

 

あと、地味にすごいなと思ったのは最後の「イマジナリードッグ」の挿話で、多種多様な犬の絵を描き分けるあfろ先生の画力の高さに普通に唸ってしまった。そういえば『ゆるキャン△』ってあfろ先生の超絶画力で支えられていた作品だったなという思いを新たにした。最近はなでしこが群馬とかにも行ってると風の噂に聞いたので、関東進出も楽しみにしています。