ショータ君のSax
かなり前、クリーブランドでのコンサートについて書いたが、その続きを。。
米国北東部の町、クリーブランド。その郊外にある野外コンサート会場に向かった。その時は自分の車で行くことができず、知人と共にタクシーで町から小一時間ほど離れたところにある会場に向かった。
到着してみれば、みな車で来ており、キャンピングカーなどもある。
帰りの足を確保できる見通しもないまま、やや場違いのココチ悪さを感じていたところ、そのタクシーの運転手はそのまま一緒にコンサートを楽しむという。 まあ、はるばるこんな僻地まで来て、もう一度出向くのも大変ということか。
会場は野外で、一応ステージはあるものの、いわゆる客席はなく、みな思い思いに草原に腰を下ろす。
そこに集まったのは、日本ぐらいでしか見ることのできない豪華なメンツ。要は、当時にして Weather Report プラス Return To Forever(Chick Corea)といった出演者で、大いに盛り上がった。
そして、忘れもしない、アコースティックセットの次に始まったエレクトリックセット。
Chick Corea と Stanley Clarke のジョイントになり、アンプを通した大音量が夜空に木霊した瞬間、幾千ものホタルがその音に驚き、空高く舞い上がったのだった。キラキラと光りながら乱舞する、その淡い明かりの渦を見上げた私たちには一生忘れられない出来事だった。
さらに、ステージに登場した Wayne Shorter は完全にオーディエンスの心を奪い、私たちはホタルの群れに呑まれたまま、その音空間に酔いしれたのだった。。
60年に録音されたままおクラ入りになっていた Vee Jay からの実質的な2作目。Jazz Messengers 在籍時の吹き込みで、ボス当人も参加している。その後の Blue Note での録音の多くは2管だが、ここではワンホーンで Wayne のテナーがたっぷりと楽しめる。
そして、64年。気の知れた Lee Morgan(tp) を迎え、Elvin Jones(dr)、McCoy Tyner(p)、Reginald Workman(b) という John Coltrane Quartet の布陣をバックに Blue Note での第1作目。モードとはいえ、明らかに Coltrane とは異なる資質の下、独特のトーンとミステリアスな曲調は Shorter Music を美しく彩る。初期の傑作。
上記の3ヶ月後、再度、Coltrane のリズムセクションを加えた1管ソロ。これもいい。Shorter、正に充実の年。Coltrane が 『Love Supreme』 を録音する数ヶ月前のこと。タイトルに象徴される呪術の世界感。「Mahjong(マージャン)」は当時の夫人、ミヤコさんの影響か(笑)。作曲家としても一流の Wayne のこと。何とも素晴らしい。
さらに同年暮の録音。Miles Davis Quintet への参加により、バックも Herbie Hancock(p)、Ron Carter(b) となり、そこに Elvin Jones、Freddie Hubbard(tp) を加えた新世代による最強メンバー。余裕に満ちた朗々としたサックスが、印象的な碧いジャケよろしくブルーな色彩に染め上げる。
65年。Freddie Hubbard(tp)、James Spaulding(as) による3管編成。Tony Williams(dr)、Ron Carter(b) の Miles 組も大きく貢献している。絶好調の Wayne の作曲が冴えている。モードを取り入れ、新世代テナーとして、Coltrane の二番煎じにはならないという意地を感じる。録音後、しばらくお蔵入りしていたのが信じられないほどの完成度だ。個人的に好きな作品。
上記から3ヶ月を経ての録音。60年代後半は Miles Davis の元、Wayne の才能は一気に開花する。そしてソロでも優れた作品を多数発表している。Herbie Hancock(p)、Cecil McBee(b)、Joe Chambers(dr) による、この時期には珍しいワンホーンアルバム。これまた長年発表されなかったアルバムだが、Gil Evans 作品1曲を含む、やや実験的な作風。相変わらず屈折した陰影の強い曲が並び、一度ハマると容易には抜け出せない。呪術的とも言われる Wayne の特徴がよく出ている。この2年後に旧友 John Coltrane を失い、ソロからは遠ざかってしまう。
74年発表。70年に Miles の下を離れ結成した Weather Report だが、その在籍時、唯一のソロ。 すでに Miles の元でソプラノに手を染めていた Wayne のブラジルフュージョン作品。傑作として名高く、それまでのソロとは明らかに異なる方向性が話題となった。Milton Nascimento(vo)、Airto Moreira(per) らのブラジル勢を加え、Hancock の貢献も聴き逃せない。
85年。Weather Report 脱退後、実に9年振りのソロ作。当時は Blue Note 時代の音楽性に戻ると期待されたものの、Weather Report の延長上にある作品となった。しかし、Zawinul の影に隠れ、次第に存在が薄くなっていった Wayne のサックスは健在だ。久しぶりの友からの招待状のように、懐かしく嬉しい感覚で一杯にしてくれる。
Phantom Navigator/Wayne Shorter
大好きな作品。アメリカでの評価は低かったが、そんなのカンケイナイ(笑)。86年、通算17枚目(?)の佳作。Chick Corea(kbd)、Jim Beard(kbd)、Mitchel Forman(kbd)、Gary Willis(b)、Alphonso Johnson(b)、John Patitucci(b) らメンツも豪華で比較的長めの曲が増えてきた。この辺は押さえて損はない。
来日回数も多く、その温和な性格が日本人からも好まれているようです。実際に近くで見ると、思ったより大きく見える人で驚きました。あまりリーダーシップをとるタイプではないようで、歴代の偉大なバンドでは縁の下の力持ち的な存在でした。しかし、こういう人のお陰で音楽は発展するのですね。みんながみんな Miles でも困るわけで(笑)。 その神秘的なメロディーは今日でも健在です。また機会があれば、是非、原っぱにでも寝転んで聴いてみたのですが(無理でしょうか…)。
Pop'n Roll な雑葉先生
Frank Zappa(1940.12.21-93.12.4)。歴史に残る大天才。
バンドリーダー、ギタリスト、コンポーザー、プロデューサー、演出家。タイトルは何でもよい。
膨大なカタログを残し、アルバムだけでも50枚を超える。ライブの面白さは群を抜き、テクニカルな演奏をバカバカしい語りと演出で無茶苦茶にしていくこの快感。(ブートも含めライブアルバムも異常に多い)
Zappa の音楽は、ロック、R&B、ジャズ、現代音楽、アヴァンギャルド、コラージュと幅広いのが特徴で、同じ音楽性による作品が続いた試しがない。かつ、そのどれもが高度でパロディー精神溢れるものであった。
難解、変態、多作、エロ音楽家とイメージの悪い Zappa ではあるが、その世界はひたすら優しく、高度なものをサラリとこなす、いかにもLA出身の音楽集団の成せる業を追及したかに思える。
今回は、そんな偉大な Zappa 先生の音楽性がポップサイドに振れたオリジナルアルバムをご紹介。
1966年、栄光のデビュー作。当初は2枚組であり、ドゥーワップ、ブルース、R&B、ジャズなどの影響を受けた天性の才が集約されている。長髪に濃いルックスから誤解されることも多いが、Zappa は音大で正規の音楽教育を受けている。Edgar Varèse に傾倒し、ノイズや現代音楽も守備範囲とするが、ただの独学のヒッピーではない。今、聴いても十分刺激的だ。
Cruising with Ruben & the Jets/The Mothers of Invention
68年にして早5作目。架空のバンド Ruben & The Jets の名を借り、R&B方向に振れた一枚。チカーノロックもあり、イタリア系である Zappa のルーツを知る上でも興味深い。変拍子ジャズロックのみではない、ヴォーカルグループとしての The Mothers Of Invention の力量も評価したい。
70年。60年代、ノイズとサイケコラージュを通過したアメリカンロック。バンドメンバーに The Turtles のヴォーカル二人(Flo & Eddie)を加え、George Duke(kbd)、Aynsley Dunbar(dr)、Ian Underwood(org) と充実した時期の録音。ステージにおける演劇性も徐々に加速し、語りのような Zappa のヴォイスもわが道を見つけたかのようだ。この2年後には John Lennon との共演作 『Some Time in NY』 を残している。
74年。17枚目。ジャズビッグバンドへの追求を経たマトモなロックアルバム(笑)。Jim Gordon(dr)、Jack Bruce(b)、Jean-Luc Ponty(vln)、George Duke(kbd) らを従え、短めの曲により比較的聞き易い作品になっている。ギタリストとしての Zappa の腕前はライブ作品に譲るが、個人的に大ファンの女性ヴァイブ奏者 Ruth Underwood の名前も見え、これ以降、彼女はライブの中心となっていく。
76年。ジャズロックや Captain Beefheart とのコラボライブを経た来日記念盤(裏ジャケに「不乱苦雑派」の名前が…)。Chester Thompson(Weather Report、Genesis へ)から、ついに相方 Terry Bozzio(dr) を加え、ほぼこの二人を中心にした録音である。ジャケには Eddie Jobson の姿もあり、これ以降の活躍を期待させてくれる。過渡期の作品ではあるが、雑葉センセに駄作なし。あの特徴あるギターも凄い。
79年。ギターいじりにも飽きたのか(笑)、いきなりのホームラン。この年、実に5枚のアルバムを制作し、その才能たるや留まるところを知らない。ロック・ポップの Zappa を聴くならまずコレか。いや、しかし、コレだけでは到底無理だ。ディスコ調の 「Dancin' Fool」 やお笑い部門で人気(?)の「Bobby Brown Goes Down」、Adrian Belew の「Flakes」(Bob Dylan の物真似入り)など多彩ながら、難解さはない。グラミー賞インスト部門にもノミネートされた傑作。
Tinseltown Rebellion/Frank Zappa
81年。その後、エロ路線を経て(笑)、得意のツアーテイクからの収録。複数のライブ音源から構成されたこれまた秀作。Zappa のライブはとにかく楽しい。Michael Jackson とはまた別だが、質の高さでは何ら遜色はない。楽しい語りに高度な演奏。エロネタにメンバー同士の楽屋オチまで話題には事欠かないようだ。Steve Vai に Al DiMeola、Alvin Lee まで参加した(あ、あくまでパロディです)ジャズロックもあり、十分楽しめます。
You Are What You Is/Frank Zappa
81年の31枚目(多分)。同年、ギターソロ・アルバムを出してゴキゲンかと思いきや、ポップサイドでも、またこの充実度。本当に素晴らしいミュージシャンだ。カントリー、サザンロックも交えたポップヴォーカルアルバム。高度な演奏に実にバカげた歌詞(エロさ満点)。ゲストヴォーカリストを多数迎えた佳作。
Ship Arriving Too Late to Save a Drowning Witch/Frank Zappa
82年。前作にも参加していた当時13才の愛娘 Moon(裏ジャケにも登場)をフューチャーした「Valley Girl」 もあるポップな作品。ただし、そこは Zappa 先生のこと。オペラ風のヴォーカルやスラップベースもあり、一筋縄ではいかない。タイトルにもある「Drowning Witch」では、難解度を上げ、またヤッてくれています(笑)。しかし、この変拍子の嵐は、幾多のプログレバンドなど裸足で逃げ出すパワーを秘めている。ポップ好きの方は前半だけ聴いて下さい。
Broadway the Hard Way/Frank Zappa
89年。88年の実質上のラストツアーを経て病欠前の最後の挨拶。93年には、ラスト作 『The Yellow Shark』 が出ているが、これはクラシック畑のシリアスミュージックであったから、結果的にスタジオ作としては最後。といっても、88年の実り多いツアーの成果を編集し、同年の大統領選(父ブッシュが勝利した)、右翼に対するアンチテーゼとして編集したもの。デビュー作に戻ったかのような2分台の小曲が並ぶ。これはミュージカルだ。91年には自ら大統領選に出馬する意欲を見せていたのだが…。
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個人的に Zappa ほどハマッたアーティストはそうはいません。畑違いですが、Miles Davis、Charles Mingus、Prince、Fela Kuti、Van Morrison ぐらいでしょうか。
Zappa 先生の別の音楽性を代表するディスクは、また別の機会に取り上げたく思います。このまま Zappa を聴き続けていると、一生 Zappa だけを研究しても悔いはないような感覚に襲われます。 God Bless, Vincent
失われた週末 (89) 永遠の地 ローマ
その女性(ひと)は、最後の質問に対し、一旦は口にした発言を翻し、思い返したように強い口調で語った。
「ローマ。そう、それはローマです。」と。
オードリー・ヘップバーンの出世作として知られるご存知、『ローマの休日』 ラストシーン、今回の訪問の中で一番印象に残った所を訊かれた際のアン王女の言葉である。
人類にとっても永遠の都、ローマ。 遠くローマ時代から続く歴史と文化の中心。遺跡の上の立つこの国の中でも一際特別な地位にある都市。
観光地は一般にどこも危険が一杯だ。ローマもまた、その際たるもの。
【パターンその1】 子供、特にジプシーと見られる子供たちがやって来る。物売りかと思えば、厚紙でこちらの腰の辺りをバンバン叩く。何だコレは? とか思っているうちに、中の誰かの手が伸びてきて、厚紙に隠れてしまったこちらのズボンのポケットから紙幣を抜こうとする。
【パターンその2】 日本からの旅行者はすぐ分かる。相手は日本人も中国人も関係ないし、そもそも国籍などは分からない。しかし、当座、アジア系人種は目立つし、そもそも日本人の旅行用の服装は際立っている。すぐに標的にされてしまう。一旦、ターゲットになってしまうと、なかなか追跡をかわすのは難しい。路地から手を伸ばし、バッグなどを引っさらって行く。ローマに増えすぎた小型バイクで、女性用バッグを走りながら失敬して行くなど日常茶飯事。われわれは平和に慣れすぎてしまっている。
【パターンその3】 空港でリムジン客を集い、法外な金銭を要求するのはよくある手口。基本、彼らは罪悪感というよりはゲーム感覚(カトリックですから)。人の集まるところはスリが多い。特に、コロッセオ周辺のスリは芸術的。階段を数段登っただけで、ふと手元が軽くなり、あわてて手元を見ると、もうカメラありませんから。こちらにしたら、既に敗戦ゲーム。
お気をつけ下さい。。
゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚
トレビの泉から少し南に下ったところに馴染みのお菓子屋さんがある。しかし以前の経験から、容易に場所を教えてしまうと、途端に日本人の行列が出来てしまう。これでは日本のラーメン屋と変わりはない(笑)。こことチューリヒ(スイス)にある店のチョコレートが私のお気に入りだ。
え?教えた方が店の売上が増えて喜ばれるって? …、それはある意味、とても日本的な発想です。例えお金が入っても、そのために忙しくなり、自分の生活に影響が出るのを喜ばない人たちもいるのです。。
【おかげさまで、PC、完全復活しました。】