「働く人」と「働く場所」をより良くするために -2ページ目

自分の常識は他人の非常識

自分にとっての当たり前は、他の人にとっての当たり前ではない。

 

誰もが頭では分かってはいても、自分が一生懸命に取り組んでいるテーマ、人一倍苦労して体得した経験値など、こだわりのある話になると、自分の意見は譲れない。自分とは、反対、異なる意見を聴いても、そんな筈はないとしか思えない。

 

また、自分のこだわりのある事を他人に話して、反対意見を貰ったり、批判されたりすると、感情的になっていく。

不毛な人間関係を象徴するテーマながら、どうにもならない。そんなテーマではないだろうか?

 

改めて、自分自身がどんな心掛けをしていけば、価値観の違う他人とのトラブルをなるべく少なく、他人との繋がりを保った日常を送れるのか?

  • 自分の考えや体験から得た学びは、あくまで自分のものであり、他人に摘要できないことも多々あると心得て話す
  • 他人の信じられない発言は、自分の知らない世界を生きた人の経験値であり、自分がそれを否定する合理性は乏しいと心得て他人の話を聴く
  • 様々な意見が話し合いの中に沢山でることは、沢山の意見を持った人が尊重される場になっていると認識する

自分の思う正解、こだわりが多人数の中で認められるという事は極稀なケースであり、多人数が動くためには自分のこだわりを捨てた方が良いシーンが沢山ある

着地点までやりきる

何のために、自分はこんな仕事を大変な思いをしてやらなければならないんだろう。

 

そんな事は、よく考える事だろうと思うけど、どんな仕事でも、やり切って一定の着地点まで辿り着かないと、実績にならない。

 

うまくいかない理由を並べても、誰も理解なんかしてくれないし、一生懸命やっている横から、邪魔が入る事も常にある。

 

それでも、自分がやりきろうと覚悟を決めて、目標を立て、タスクとスケジュールの計画を作り、定期的に報告をしながら進める仕事は、必ず自信になるし周囲から助け舟も出やすい。

 

覚悟を決め、目標を立て、スケジュールとタスクの計画を作り、定期的に報告していく。

 

少なくとも、サラリーマンはこのやり方に尽きると思う。

現実に起きていることと自分が感じていることの違い

現実に起きていることを同時に何人かで経験すると、同じ出来事でも人によって捉え方が異なる場合がある。

 

ある特定の人の話を聴いて、何も感じ無い人、納得する人、烈火の如く怒る人、恐怖を感じる人。

 

ひとりひとりが物事を捉える癖は、その人自身の内側の深いところにあるという。

 

内側の深いところにある、感じ方の癖に繋がる大元は、本人は無自覚で気づかない。

 

だから、その人独身の感情は、その人にとっては「あたりまえ」という基準になる。

問題は、その「あたりまえ」は、隣にいる他人の「あたりまえ」とは違うかもしれないということ。

 

そんな違いに一喜一憂し、あの人とは分かり合えるとか、あの人とは合わないとか、裏切られただの、分かり合えただの、身勝手な解釈の中で人間関係を複雑にしている日常のなんと多いことか、と思う。