和泉多摩川駅→猪方小川塚古墳公園→(駅に戻る)→兜塚古墳→伊豆美神社→玉川碑→(都営狛江団地)→喜多見駅

 

(猪方小川塚古墳公園)(東京都指定史跡)

駅から西方の住宅街に突如現れる。狛江古墳群(円墳を中心に70個)のうち最後に築造された古墳とみられている。直径23m、高さ3mと他と比べて若干小さいが、凝灰岩の切石積横穴式石室を持つ。石室はかなり良質な状態で残っていた。発見後、一時所在不明となったが2012年に宅地造成中に偶然再発見された。

 

中央が古墳の一部でガラス張り越しに石室が見学できる。

 

石室内

 

 

円墳の残骸

 

小田急線を越えて反対方向に向う。伊豆美神社の近くに兜塚古墳がある。

(兜塚古墳)(東京都指定史跡)

 狛江古墳群のひとつ。円墳に見えるが帆立貝形前方後円墳の可能性もある。直径43m、高さ5m、周溝も含めた直径は70m。狛江古墳群2番目の大きさ。あまり調査がされていないとのこと。早期から市が保護し保存状態が良好。立ち入りは可能。門は閉ざされているが施錠はされていない(wiki記述)。

 

 

墳丘部

 

頂上部 ぐるっとまわると円墳に見える 何か出ている

二等三角点

(点名)和泉

(緯度)N35度38分02.9267 (経度)E139度34分11.7307
(標高)30.4m →狛江市の最高地点

柵外からの展望

 

すぐ近くに鎮座する神社へ

(伊豆美神社)

889年に創建。当時「武蔵総社六所宮」(現:大國魂神社)から分霊を勧請。当初の名称は「六所宮」であったが、1868年に伊豆美神社に改称。。元々は現在の東京都狛江市元和泉に立地(現:水神社)。1550年の多摩川洪水で流されて現在地に移転。
 

参道が細長い。

 

 

 

このあたり、花栽培農家が多く、シクラメンの直売をやっていた。4000円くらい。

 

(玉川碑:万葉歌碑)

東京都指定旧跡。文化財調査では所有者は伊豆美神社。

1805年に猪方村(現在の緒方4丁目、猪方小川塚古墳から多摩川より)に松平定信揮毫で設置されたが1829年に多摩川の水害で流出。1922年に、渋沢栄一と地元有志により旧碑の拓本を参考に現在のところ(狛江市中和泉4丁目)に再建。

 

 

(石碑)

多麻河泊爾左良須(たまがわにさらす)
弓豆久利佐良左良(てづくりさらさら)
爾奈仁曽許能児能(になにそこのこの)
己許太可奈之伎(ここだかなしき)

多摩川にさらす手作りさらさらに何ぞこの子のここだかなしき

(現代語訳 など)

ネットでは「多摩川にさらす手作りの布のように、どうしてこの娘がこんなに可愛いのだろう」とある。この訳だと、前段と後段のつながりが不明になってしまう。

 

多摩川=多麻であり麻の産地であったので手ぬぐいは麻製。麻は水にさらすことで白くなるため、当時は女性がこの作業をしていた。麻のてぬぐいをさらさらと晒す彼女、そんな彼女をさらさら(ますます)好きになってしまった、ということではなかろうか。しかし、この歌は、現代だと女性差別を指摘されるだろうな。

 

 

このあと、都営狛江団地を散歩。築50年程度はありそうな物件が多いわりにはよく管理されていそうな印象。しかし、5階建てなのにエレベータがない!。たぶん使っていなかもしれない。それなりの距離があるが、喜多見駅まで歩く。電中研は一部敷地を売却してマンションになっていた。福島原発対応だと思われる。