2022年6月より、サロンをお休みをさせていただいています。
お休みについて綴ったブログ⬇︎
再開してくださいね♡とのお言葉をいただくと嬉しい気持ちでいっぱいです♡
お応えできるよう頑張ります٩(๑❛ᴗ❛๑)۶
🏡サロングリーンゲイブルズは自宅サロン🌿
お家でのお茶会はほっこりした
幸せのイメージがあります
赤毛のアンがダイアナを招いた
小さいけれど特別な時間✨
そんなほっこりした幸せな時間を
天使に見守られながら
ご一緒できたら嬉しいです
スイーツと天使たちと一緒に
お待ちしています
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週末は桜が見頃でお花見を楽しまれた方も多かったことでしょう
金曜日、日曜日と中華街での鑑定に入ったこともあって、今年は、車から、歩きながらと移動の中で満開の桜を楽しませていただきました。
お弁当持ってのお花見はまた来年だね…と主人と言ってたのですが
日曜日、家に帰ると主人が
近所の桜がとても綺麗だったから
ちょうど月曜日の仕事は、時間に余裕があるから お昼にお弁当を持ってお花見をしようと
言ってきたのです。
中華街の翌日は、鑑定の内容によって身体の疲れ方が全然違いまして朝起きた時にわかります。
手相のお客様が多いと喋りっぱなしになるので物凄く体力を消耗します
今日の疲れは酷い…全然無理…動けない…と思いました。
私が行きたくない と言えば、なしになるのですが
主人が張り切っているし
椅子を用意したり、マメに動いている姿を見てると
こうやって、お花見を楽しみたいと思う気持ちがあることは、面倒くさがりの私にとってありがたい事なんだなぁと思って
身体に鞭打って(笑)お弁当は冷蔵庫にある物を詰めて行ってきました。
自宅から7、8分のところにある公園へ
娘が小さい時に2回ほどお弁当を持ってきた事があります。
とても綺麗でした✨行って良かったです。
家を出る前に少し雨が降り出していて、雨雲レーダーを見て、雨雲が切れた合間に出てきました。
平日で不安定なお天気なので人が少ないのも良かったです。桜吹雪が美しかったです。
餃子弁当にしました。
餃子は中華街の呼び込みさんのナカさんにいただいた手作りの水餃子。
家で食べる時は、焼いて食べると美味しい♡と教えてもらっていました。野菜にセロリが入っていて、皮がモチモチでとても美味しいのです。
いずれ自分のお店を持ちたいナカさん、お料理は時々いただきますがどれも美味しい♡
桜がとでも綺麗だし、お外で食べるご飯は贅沢な時間✨
無理して来て良かったというと
でしょ、寝ぼけてそうだったけどこれは絶対に見た方がいいと思ったんだ‼︎と得意気でした。
あとは家帰ったら寝ていいよ。とも言ってました。
言われなくても 寝るつもりでいました(笑)
主人は、算命学でいう西の場所、家庭、パートナーのところに禄存星があります。
家族のために一生懸命愛情奉仕。
ありがとうの言葉が原動力になります。
私が面倒くさいなぁと思うことを嫌がらずに動いてくれることも多く、
マメだなぁ…と思います。
主人の西の禄存に感謝です✨
˚✧₊⁺˳✧༚˚✧₊⁺˳✧༚˚✧₊⁺˳✧༚˚✧₊⁺˳✧༚
前置きが長くなりましたが
本当は、ここからが本題です。
先日、中華街でご一緒してる鑑定士の先生に
脳神経外科医の福島孝徳先生がお亡くなりになったことを教えていただきました。
彼女は、5、6年前に
脳腫瘍が見つかって手術をした経験があります。
彼女の執刀医は、福島先生ではありませんでしたが
同じ脳腫瘍の手術経験者ということで私に親近感をもってくださっています。
福島先生がお亡くなりになったのは
2024年3月19日 (享年81歳)
ちょうどこの日は、算命学の講話会の日でして
講話会の内容は、
親の性格が影響する子どもの運命特色でした。
かなり興味深い内容で 自分の生き方が当てはまり過ぎていて 聞きながら苦笑いでした😅
友人と講話会の内容を振り返り、自分を分析してる時に福島先生の話になりました。
滅多にこの話をする事はないのですが
とても聞き上手な友人なので
福島先生に辿りつくまでの経緯や手術を受けて貰えたことなどいろいろ話をしたところでした。
今この生活があるのは、福島先生のおかげでもあります。
日常生活に支障が出ないように 脳腫瘍をあえて残すという選択をして下さったことに今でもとても感謝してます。
お亡くなりになった日に、偶然にも友人に
福島先生に執刀してもらえたことへの感謝の気持ちを聞いてもらえる時間を取れたことに感謝いたします。
ラストスホープ(最後の切り札)神の手と言われた世界トップの脳外科医
全てを患者さんのために✨
数えきれないほど多くの患者さんを救ってこられました。
生涯を医師として、患者さんや後任を育てるために尽力さされてきました。
福島先生のご冥福を心よりお祈り申し上げます🕊️✨
本当にありがとうございました✨✨✨
福島先生は、
鍵穴式手術という術式を考案され、約20,000件以上の脳腫瘍患者さんの手術例をこなされていて、
特に頭蓋底脳腫瘍手術の症例数は、12,000件以上は、驚異の症例数でした。
手術をするにはとても困難な神経が絡み合う頭蓋底に私も腫瘍がありました。
先生は、ただ命を助けるだけでなく
患者さんに負担をあまりかけずに合併症や後遺症が残らず日常生活を送る事ができるよう
手術一発完治を目指されていました。
私は、先生の適切な判断のおかげで聴覚を失わず、顔面麻痺が残らずに生活に支障をきたすことなく済みました。
以前こちらのブログに先生のこと、手術のことを書かせていただきました。
このブログを書いた時の先生のご年齢は、77歳。
まだ現役バリバリでした✨
80歳の時に渡米先に戻り、また医療現場に復帰するために病と闘われていたそうです。
以前綴ったブログを読み返してみると
術後の様子とリハビリについて、また改めて綴ります…と書いてありました
すっかり忘れていました。
私の脳腫瘍は、症例数がほとんどないため 術後の予後が どういう状態になるか全然わかりませんでした。
これは、先生方もはっきりわかっていなかったようでした。
全然情報がないというのも不安なものでして、
私は術後に手術しなければ良かった、こんな事になるなんて〜と少し泣きたくなりました。
おそらく想像力が足りなかったのでしょう。
脳腫瘍の手術をしたら、考えてみれば大変そうですよね。
手術したら、はい終わりのイメージだったのかも。
私は心配性でもあるので 大変な事はできたら先に知っておきたいところがあります。
先に覚悟しておきたいのです。
ということで
もしかしたら同じ神経鞘腫の方の目に留まるかもしれないので
簡単に術後の備忘録を残させていただきます。
もう18年前のこと。
昔の手帳に少し記録してあったのでそれを見ながら綴らせていただきます。
手術後の備忘録
入院期間は7/4〜8/3までの1ヶ月
私は、手術をした後に嚥下障害と声が出なくなりました。
食事が暫く流動食になってしまった事もあり入院が少し長引きました。
何もなければ、鍵穴式手術なので早く退院ができたと思います。
手術は、入院から10日後でした。
7/14 16時に手術室へ
7/15 0時に福島先生から途中経過を受け、その後脳を閉じる
7/15 2時にICUへ(手術時間 10時間)
手術室を出る時に麻酔が少し切れていて追加。
ICUでも声をかけられて、すぐに反応。
身動き取れなくて、少し暴れたみたいです
普通は寝ちゃって気がつかないそうなのですが
薬に強かったみたいで、眠らせるために注射されました。
このICUの時間が長くて長くて
午後に、CTとレントゲンを撮りました。
ベッドが足りず、私はストレッチャーのまま一晩越しました。
私にとっては、苦行のように感じました。
両脇に柵があり右にも左にも向けず、身体は真っ直ぐにするしかありません。
沢山の管に繋がれていますし、身動き取れず、眠れず、身体は痛くて、限界まで頑張りましたがあまりにも痛くて体勢を変えていただきました。
体勢を変えれない事がこんなに痛く辛いとは思いませんでした。
全ては、私が体力があったからなのでしょう。
体力がなければ寝ていて気がつかないのかもしれないですね。
私はICUにいる他の患者さんの事が羨ましく見えたりしてました。
お水も飲みたくて…もちろん飲ませてもらえません。
とにかく長くて辛い1日でした。
7/16
ICUには8人の患者さんがいて、皆さんよく眠ってました。
私以外は全員朝食が用意されていました。
お昼前に、やっと個室に移動することができました。
そして、そこでお水が飲めないことと声がほとんど出ない事が判明しました。
おそらく手術の時に神経に触れたからでしょうと説明がありました。
神経を傷つけたわけではなく、とても繊細なので触っただけで 症状が出る場合があると言われました。
回復には半年かもしれないし、どれくらい時間がかかるかわかりませんが治るとの話でした。
誤嚥をしてしまうので 流動食を身体に入れるため、鼻からカテーテルを入れることになりました。
この鼻からカテーテルを通すのがなかなか大変でした。
痛いし、吐き気はもよおすし、看護師さんも頑張ってくれるのですが何度も失敗して、夕方の先生の診察まで待って 管を入れてもらう日もありました。
この夕方、動脈と尿の管が外れて少し楽になりました。
あとは、心電図と点滴と鼻のカテーテルです。
水は飲めないので口をゆすぐだけです。
7/19
脳神経外科の先生方は、私が誤嚥したり声が出なくなることを想定してなかったのだと思います。
そして、この症状を治す最善の方法をご存知なかったのだと思います。
先生も看護師さんも手探り状態のように感じました。
とりあえず嚥下マニュアルを渡されました。
高齢者の方も多く入院してるのでマニュアルがありました。
内容は、あまり覚えていませんが
頬の内側を刺激したり、舌を動かしたり、
冷たいもので刺激したりしました。
この時は、これがいいのかと思い、真面目にやりました。
私はたしかに嚥下障害でしたが
この嚥下マニュアルは私には、あまり意味のないマニュアルだったことが
この病院を退院して、嚥下と言語のリハビリに通いだしてわかりました。
7/20に心電図が取れて
7/21に点滴が朝晩だけに
鼻のカテーテルは、まだついています。
このカテーテル、お薬が詰まったり、外れると
また鼻から入れるのがとても大変で看護師さんたちとても苦労してました。
ごめんなさいね…と言いながら。
私は、現在この鼻からのカテーテルがトラウマになっています。
胃カメラをする時は、絶対に口からです。
鼻はもう絶対に嫌です。
お水は駄目ですが ヨーグルト、ゼリーなど粘性のあるものが大丈夫とわかりました。
声はかすれ声は出るので会話は、なんとかできます。
主人に言わせると静かでいいと言ってました。
7/22
どうしても鼻からのカテーテルが嫌で先生に相談したら、午後に外してもらえました。
この日に抜糸。
夜は、テルミールという濃厚流動食、杏仁ゼリー
7/23
朝は、テルミール、くず餅
お風呂の許可が出て、久しぶりのシャンプーでした。
食べれるものが限られていたので
プリンやゼリーなど甘いものばかりが続きすぎて
この後、数年プリンが食べれませんでした。
今は大丈夫です。
病院食(ミキサー食)が10日ぶりにでる。
夜は、おもゆ 豆腐
とても美味しかった♡とメモしてありました
7/31
常食に挑戦しましょう と先生に言われました。
どんどんチャレンジしないとね、と。
ちゃんと食べれた事に感激しました✨
駄目なのは、水分だけでした。
粘性のない液体は、喉を通るスピードが早くて誤嚥してしまいます。
食事が取れるようになったことと
この病院では私に合ったリハビリができないので、退院することに決まりました。
8/3 退院
先生も看護師さんもとても丁寧に親身に対応してくだり、大変お世話になり感謝してます。
そしてすぐにリハビリの病院へ
8/5に紹介状を持って、昭和大学藤が丘リハビリテーション病院に行きました。
いろいろな検査で何が原因かを調べました。
丁寧に絵を描いて説明してくださいまして
リハビリの仕方も指導していただきました。
やはり、専門家は違うのだなぁと思いました。
①唾を飲み込む時に顎の下、喉仏の上あたりに力を入れて少しキープ それから飲み込む。
②コップにお水を入れて、ストローでぶくぶくをする(これが全然出来ませんでした)
③風船を膨らます
④大きな声を出さない
他にもあったかもしれないですが
①と②は、とにかく効果があり、驚きました。
この方法は、喉が鍛えられるので
年齢により
むせやすくなってきたり、飲み込みの悪さを感じる方には、とてもお勧めだと思います。
手帳には、
10月11月12月は月1で通っていたようです。
そして12月のリハビリが最後となっていました✨
お水や声がいつ戻ったかは忘れてしまいましたが
このリハビリに通い出してからは、少しずつお水も飲め飲めるようになっていきました。
ゴクゴクゴクと飲めるようになるには、少しかかった気がします。
手術以降、お水を飲めた時 とっても嬉しかったことを覚えています。
少し時間がかかっても、先生が仰ったように治りました。
1ヶ月の入院生活は、かなり体力がなくなりました。
歩くのも遅くなって、びっくりしたものです。
まだ若い時だったから回復も早かったのだと思います。
手術後、こんなはずじゃなかった…と悲しくなることもありましたが
今思うと良い体験となりました。
麻痺が残らず、こんなに元気に過ごせることに感謝してます。
右耳の後ろからの鍵穴式でのアプローチでしたので耳の周りの骨をかなり削ってるそうで、右耳の後ろには今も違和感があります。
緊張したり、ドキッとすると右耳の後ろに熱い電流みたいな感じのものが走るようになりました。
全部ひっくるめて私なので、もうこれ以上 手術をしなくてすむように上手にメンテナンスしながら付き合っていきたいと思います。
この手術にあたって、家族、友人にかなり支えて助けてもらいました✨
福島先生を始め、脳神経外科の先生方、看護師さん、リハビリの先生方 多くの方に関わっていただけたことに感謝申し上げます。
ありがとうございました✨✨✨
以上が
舌下神経鞘腫の術後の備忘録となります。
長々とお付き合いくださり
ありがとうございました💕
エンジェルコミュニケーター