BGM:YMO『U.T』
私のInstagramをさかのぼると「もしも今日でこの世が終わるなら、最後に食べるのは決まっている。らーめん弁慶の味噌チャーシュー麺硬め」とあります。これはその後にさまざまなラーメンを食した現在においても不動のものです。おそらく今後も変わらないでしょう。
▲十代の頃から数え切れないほど食べた味噌チャーシュー麺硬め
なぜにそこまで弁慶を愛するのか。今では“背脂チャッチャ系”の有名店として3店舗を構えるまでに成長を遂げていますが、スタートは京成線堀切菖蒲園から徒歩7、8分ほどのところにある立ち食い形式の小さなお店でした。その頃は実家の亀有に住んでいたのですが19歳のとある日、中学時代のクラスメイト・浜中君にバッタリ出会いました。
どういう話の流れだったのかは忘れましたが、浜中君が「菖蒲園から綾瀬にいく大通り沿いにできたラーメン屋がうまいんだよ。背脂がスープに浮かんでいるんだぜ」と教えてくれたのです。当時は、現在のようにどこでも背脂ラーメンにありつける世の中ではなく、ホープ軒や土佐っ子ぐらいだったと思われます。
なので背脂ラーメンがどのようなシロモノかさえも知らなかったのですが、うまいと言うならいってみるべと自転車を飛ばしました。創業者の西川総一会長が自ら厨房に立ち、背脂をチャッチャとやっていた時代です。
これが確かにうまかった。それまでどこでも食べたことがない濃厚な味でした。特にチャーシューが絶品で、ネギともやし、ニラも入る味噌ラーメンが病みつきになるまで、時間はかかりませんでした。
ここまでならば、単に実家の近くへあった懐かしい味で終わるところですが、のちに弁慶は浅草店を出します。その頃には週刊プロレスに潜り込んでおり、青砥で一人暮らしをしていました。
深夜作業となった時にタクシーで帰宅するその途中、浅草店があったのです。亀有を出ても生活圏内に弁慶があるなんて…2週に一度ぐらいは途中下車し深夜2時、3時ぐらいに弁慶で食べてから家に戻るという生活をしておりました。若かったからできることです。
気がつけば門前仲町店もでき、有明コロシアムでの取材終わりでタクシーを飛ばしたこともありました。それほど弁慶は人生において、常に近くへあったラーメンなんです。
とはいうものの、青砥を出てからは浅草店にもいかなくなり、最近は2年一度ぐらいのペースで、大江戸線を利用する用事があったさい門仲店へ足を伸ばす程度になりました。十代の頃は醤油と味噌しかなかったのが、今では塩ラーメンもあり、餃子などのサイドメニューも増えました。
何よりずっとなかった白飯が加わった時は大袈裟でなく夢がかなったと思いました。弁慶のミソスープ(及びチャーシューともやし、ニラ)が劇的にご飯と合うのです。なぜやらないんだろうと思い、今ほどお持ち帰りが一般的ではなかった頃にテイクアウトし、在宅弁慶ラーメンライスをやったこともありました。
二郎系のようなアブラのかたまりが乗っかるスタイルではない、背脂の粒が浮いているラーメンを無性に食べたくなります。それはやはり弁慶の原体験があるからだと思います。
今だったら平太周などいくつもありますが、やはりそこは弁慶に回帰したい。でも門仲を除く堀切や浅草はほとんど足を運ばない。
そうした中、どこよりも弁慶の遺伝子を感じさせる店をYouTubeで発見。それが「超ごってり麺ごっつ」です。見たところ作り方はほぼほぼ弁慶と同じ。調べてみると、ホープ軒→弁慶→なりたけ(津田沼)→ごっつの系譜があるようで、ごっつ店主さんはなりたけで修行し、さらになりたけの店主さんが弁慶で修行し、そして西川会長は若き頃ホープ軒で腕を磨いたそうなんです。そりゃあ弁慶っぽくなるわなと納得。
▲こちらがごっつ新小岩店の外観。駅からすぐです
亀戸、秋葉原、新小岩の3店があるということで、2AW TKP大会終わりでニコプロの三浦君(この方もラーメンメイニア)を誘い新小岩店へ。弁慶にはなく、ごっつならではなのが超極太麺の存在です。
これまで何度も書いてきましたが、私は太麺派。夢にさえ描いたことがなかった弁慶の太麺Ver.にありつけるのです。
弁慶の時と同様に味噌チャーシュー麺硬めを頼み(もちろん白飯も)極太麺をすすると…十代の頃や深夜作業帰りの情景が蘇ってきました。そうそう、これ! この味だよ!!と。
▲見た目はすこぶる弁慶なごっつの味噌チャーシュー麺硬め
当事者の方やもっとマニアに言わせればごっつはごっつ、弁慶は弁慶で同じではないとなるのでしょうが、私にとっては追憶を呼び起こされる味でした。さらに新たな発見として、この味に極太麺はすこぶる合うということも。
▲弁慶のようで弁慶と決定的に違う極太麺
そんなごっつ体験をした1ヵ月後、河野真幸選手のニコプロ番組「どーのこーの」で浅草生配信ロケにいきました。当初は浅草寺近辺のお店へ入る予定だったのが、決めかねているうちに三浦君が「弁慶にいきましょうか」と提案。もちろん異論はなく言問通りまで3人で歩いて向かいました。
驚いたのは、自分が通っていた時にあったところから通りをはさんで反対側に移転していたこと。知りませんでした。さらには昼帯に弁慶を食べたのは37年目にして初かもしれません。
▲河野さんはオーソドックスに醤油で。熱い食べ物が苦手にもかかわらず「おいしかったよ!」
迷うことなく味噌チャーシュー麺硬めとご飯を注文。正直、ごっつと比較してどっちがどうというのはまったくなく、どちらも最高でしたがやはり元祖ですから、河野さんと三浦君をしり目に一人感慨に浸りました。二郎系もいいけど、私にとっての背脂ラーメンはこっちなんだと改めて自覚した次第。
▲弁慶のラーメンそのものは写真に収めたことがあっても、食している自分を記録したのは37年目にして初(ニコプロ「どーのこーの」より)