転生”はポイズン澤田JULIEにとって宿命だった | KEN筆.txt

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鈴木健.txtブログ――プロレス、音楽、演劇、映画等の表現ジャンルについて伝えたいこと

予定よりさらに1日ズレ込んだものの、11・25後楽園より発売されるオフィシャルプログラムの入稿作業をつい先ほど終えた。といっても、デザイナーさんは最終データを整えて印刷所へ送る作業が残っており、このブロマガが配信される時点ではまだ作業が続いているかもしれない。DDTのTシャツやDVDジャケット、各ロゴマークで素晴らしいデザインを生み出している渡部拓也さんには、いつもいつも負担をかけており、毎回終わって最初に思うのは「今回も申し訳なかったです」なのだ。

前回はDDTからMIKAMI、ユニオンから妻木洋夫のインタビューが掲載されることを先取り情報としてお伝えしたが、今回のパンフは言うまでもなくポイズン澤田JULIE引退記念号。本人の言葉は前号のインタビューで伝えたので、澤田さんがDDTに刻んできた名場面とその足跡を年表形式にまとめた。

ポイズン澤田BLACKとしてDDTへ参戦するようになった澤田さんが、リングネームをポイズン澤田JULIEに変えたのは2000年のこと。それから13年間現役生活を続けてきたのだが、蛇界転生にかぎらず時代時代においてさまざまなキャラクターを確立しているのに改めて気づかされた。第2次蛇界転生というべき蛇光教団があり、真人間に戻ってユニオンではポイズン澤田として上がり、フルーツ軍団のドリアン澤田JULIEがあり、改造蛇人間ジャカイダーに都会派パイレーツ・ポイズンJULIE澤田と、とにかく豊富なファンタジー街道を歩んできた。

それらの姿を並べると壮観であり、ひとりの人物がここまでさまざまなキャラクターをこなすなど、WWEでもそうないのではと思えてしまう。蛇界転生の“転生”とは、こうした求められたものを全うせんとする澤田さんの姿勢を表現したものだったのだ。

思えば澤田さんは、DDTへ入団するよりも前から転生を繰り返してきた。新日本プロレスへ入門するも、ケガによりデビューを果たせぬまま退団。それでもプロレスラーになることが諦めきれず、単身フロリダのマレンコ道場へ渡った。帰国してからはインディープロモーションを転々。もともとはベトナム人のホーデス・ミンを名乗り、旗揚げ会見をおこないながら一度も大会を開催せずに終わったJET’Sという幻の団体もあった。

そんな澤田さんが初めて腰を据えたのがDDTだったわけだが、それでもこうして転生を繰り返した。プロレスにおいてファンタジーが秘めている可能性を信じ、観客を喜ばせることに誇りを持っていたからどんなキャラクターでも形にしたいと思った。また、そうした本来のカラーとは別にひとりのプロレスラーとしても後藤達俊、蝶野正洋と対戦し、中西学とタッグを組めた。

「俺は蛇界転生というものに感謝してもしきれない。なんの色もないままプロレスを続けていたところで、後藤さんと絡むことなんてあり得なかった。ファンタジーなんて…と言われても、ひとつのことを続ける大切さを知ったんですよ。プロレスは素晴らしい。そうやって信念を持って続ければ、俺のような人間だって報われる瞬間が訪れる」

後藤達俊へ呪文をかけることに成功し、試合後に抱き合えたあと澤田さんは噛み締めるかのように言った。前号のインタビューでも話に出たが、そのプロレスラー人生自体がファンタジーを超えたファンタジーだった。

新パンフには、そんな澤田さんの濃くて血のぬくもりが伝わる数々の写真が掲載される。ホンモノのジュリー(沢田研二)のように男が見てもカッコいいと思えるたたずまいもあれば「よくこんな格好ができたなあ」と笑ってしまうカットもある。それこそが、そのつどそのつど求められたものに澤田さんがプロとして応えんとした答えなのだから、いいのだ。

 



澤田さんの全盛期をリアルタイムで見ていないDDTのファンにも、このページを見ることでこうした礎があったから両国国技館や日本武道館でできるようになった事実を実感していただきたい。ディック東郷国内引退試合の時のように、一冊丸ごとというわけにはいかなかったが、それに匹敵する万感の思いをこめたつもりだ。