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岡太神社 大瀧神社


小野寺昭憲オフィシャルブログ - 破壊と創造の記録 --御神輿


 御輿を担いだ若い衆の威勢の良い掛け声が町中に響き渡ります。昨日私は、今年絶対に見届けねばならぬ祭事の為に、福井県越前市にあります越前和紙の里 に行って参りました。


 1000年の耐久性を持つと謳われる越前和紙の歴史は、古くは1500年前の奈良時代に始まる日本の紙漉文化そのものであります。水清き里・越前国の五箇地区(大滝、不老、岩本、新在家、定友)で発展した越前和紙は、その圧倒的な品質の高さから時の施政者に愛され、室町時代から江戸時代には将軍家や公家の公式文書として、また明治時代には日本初の日銀紙幣として採用、大戦中は大蔵省印刷局抄紙工場が設置されるなど、名実共に日本最高の和紙として今なお人々に愛され続けています。


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 そしてその日本一の和紙の里に鎮座ましますのは、日本で唯一、紙祖神をお祀りする岡太(おかもと)神社・大瀧神社であります。大蔵省印刷局抄紙部には御分霊が奉祀されており、全国紙業界の総鎮守に君臨する、まさに“紙の神”。


 今より1500年の昔、ちょうど1月12日の記事 でご紹介しました第26代継体天皇が男大迹王(おおとのみこ)として越前におわした頃、この五箇の地に紙漉の技術を伝えた女神・川上御前をお祀りして創建されたのが岡太神社であります。


 養老3年(719年)には、私も今年2度参拝した(Vol.1Vol.2 )平泉寺白山神社の開祖“越の大徳”泰澄大師がこの地に大徳山(権現山)を開き、川上御前を守護神として、国常立尊(くにのとこたちのみこと)と伊弉諾尊(いざなぎのみこと)を主祭神としてお祀りし、神仏習合の大瀧児大権現を創建せしめ、別当寺・大瀧寺を建立しました。明治の世には神仏分離による改称を経て、大瀧神社と相成ったのです。


小野寺昭憲オフィシャルブログ - 破壊と創造の記録 --岡太神社 大瀧神社 石碑

 昨日はその岡太神社・大瀧神社の創始以来実に1290年に亘って受け継がれてきた県指定無形民俗文化財の大祭であり、第39回を迎えた式年大祭・御開帳の最終日でありました。勘の良い方なら既にお解りかと思いますが、1290年目の大祭であるはずだのに39回目とは一体・・・如何にも、式年大祭・御開帳は33年毎の大祭なのです。


 即ち今回を逃せば次の式年大祭・御開帳は33年後。これを看過しては福井県人としては一生の不覚とばかりに、私は母をも引き連れ一族総出でこの日を迎えたわけであります。


 最終日は御神体をお乗せして五箇の神社を巡る御輿渡御のほか、祭事中の3日間だけ限定公開された宝物殿の特別公開など刮目すべき1500年の歴史の渦に身も心も呑み込まれました。


小野寺昭憲オフィシャルブログ - 破壊と創造の記録 --岡太神社 大瀧神社 下宮の本・拝殿


 上の画像をご覧下さい。圧倒的な神威を放つ岡太神社・大瀧神社両社の本・拝殿であります。


 天保14年(1843年)建立のこの本・拝殿は、江戸建築文化の粋を尽くした当時の最高傑作と謳われ、国の重要文化財の指定を受けており、伊勢神宮や金閣寺、東大寺と列んでNHK「世界の名建築100選」にも選出されています。


 “日本一複雑な屋根”と称される入母屋造向拝一唐破造の屋根、そして豪快且つ繊細な彫刻が彫り込まれた木造檜皮葺流造の本・拝殿──画像手前が拝殿、奥が本殿であり別個の建築物ですが、一枚屋根で繋がっているという世にも珍しい建築様式──まさに現代に遺された最後の秘宝であります。


 私の撮ったケータイ画像では明瞭にご覧になれないかも知れませんので、下記に神社のパンフレットに掲載された写真を転載致します。


小野寺昭憲オフィシャルブログ - 破壊と創造の記録 --岡太神社 大瀧神社 下宮の本・拝殿

 この見事なまでの本・拝殿を造成されたのは、かつて私も住んでいた町・福井県永平寺町にあります曹洞宗大本山永平寺の勅使門を手掛けた名棟梁・大久保勘左衛門。


 『彼は最も美しい社殿建築を考えた。普通、神社は拝殿と本殿はそれぞれ独立して建てられる場合が多い。しかし、彼は一間社流造り本殿の屋根を入母屋造り妻入りの拝殿に連結して葺きおろした複合社殿を考案した』──神社パンフレットより


 普段は固く閉ざされている本・拝殿の扉は、今日ばかりは33年の時を超えて開け放たれています。次に御開帳を迎えるのは私が還暦を超えた頃でしょうか。越前福井におわす全国唯一の紙祖神は、この先も永遠にこの地にあり、人々を温かく見守り続けることでしょう。越前和紙1500年の歴史と共に。──