それで、本題に入るが、
”将棋には真実がある”だから、僕は将棋が好きなのだ。
もちろん、その真実は、盤上だけに限定された世界ではあるが、少なくても、その世界の中では、真実が全てなのだ。
会議などでは、筋は通っていなくても、声の大きな人の意見が通ったりする。
将棋ではそんな事は絶対にない。いくら声の大きな人が、”ここでは、こう指すのが最善である”と主張しても、その人がそれで結果(勝つこと)を残さなければ、誰も相手にしない。
黙っていても、結果を出せば、その人が真実である。
今の時代、コンピュータが進化してきたが、まだプロのトップには勝てない。
将棋というのは、手数は多いが、手は一応有限で、その時、その時で、最善の指し方というのは、存在するはずである。
しかし、その手が多すぎて、未だコンピューターを持ってしても、最善手を指し続けることはできない。
話は変わるが、真実はひとつで、不変であるのに、裁判の判決はコロコロ変わる。
どこかが間違っているのである。そんな間違った判決を出す裁判はいらない。ないほうがまし。
僕は、裁判というのも信用出来ない。
盤上という限られた世界であるが、真実が最上で、皆が真実をもとめる、それが将棋の魅力である。