フィリピン独立運動とボルテスV | ケネディスタンプクラブ日記

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 フィリピンで「超電磁マシーン ボルテスV」の実写版リメイクの製作が進行してます。
 先日その予告編がネットで公開されましたが、気合いの入った完成度には圧倒されます。
 ネット上でも高評価で期待が高まってくるわけです。

 

 

 

 

 ではなぜフィリピンで「ボルテスV」なのか。
 これには少しフィリピン特有の事情があります。

 今から500年前、1494年にスペインとポルトガルで海外植民地の分捕りの取り決めが始まり、1529年の条約でフィリピンがスペイン領となる事が決定します。この少し前の1521年に、太平洋を渡ってきたポルトガル人マゼランがフィリピンで戦死したりしています。
 スペイン領となってスペインの皇太子の名前をつけられたフィリピンですが、マゼランを戦死させたほどのフィリピン人たちがスペインの支配を黙って受け入れたままのはずがないのです。

 時は1899年(明治32年)、日清戦争で日本が勝利して、日本が朝鮮半島と台湾を領有してから4年後。フィリピン独立の父と呼ばれる革命家エミリオ・アギナルドの活躍により、フィリピン第一共和国が樹立、アギナルドは初代大統領に就任します。


 このアギナルドによるフィリピン独立運動ですが、日本の明治維新とは状況が全く違います。日本の場合は各藩に命令系統に従う軍事力があり、藩と幕府との軍事力による内戦だったわけですが、アギナルドの独立運動はあくまでも政府軍に対するゲリラ戦です。結構乱暴な例えになりますが、大塩平八郎が仲間に大量の死者を出しながら日本各地で一揆を起こし、イギリス軍を引っ張りこんて全幕府軍を蹴散らした、とでも言うしかないような獅子奮迅ぶりなのです。

 スペインによる圧制が続いていたフィリピンで、独立を目指す秘密結社「カティプナン」が結成されます。若き町長アギナルドもカティプナンに合流します。
 ところが政府当局にカティプナンの存在が知られるところとなり、メンバーが次々に逮捕されていきます。追い詰められたカティプナンメンバーは武装蜂起を開始します。
 アギナルドの身内を含め、カティプナンのメンバーに大量の死者を出しつつも、アギナルドの指揮の下で各地でスペインに対する反乱が発生します。積年の恨みつらみが爆発した反乱は凄まじく、スペイン軍は本国から4万もの軍隊を増派するほどのものでした。
 その後アギナルドは転戦を続け、勝利と敗北を重ねつつ、ついにブラカン州に総司令部を置く「ビアクナバト共和国」の樹立を宣言します。400年のスペイン人による支配の歴史から、ついにフィリピン人による実効支配区域が誕生しました。これにはスペイン側も折れ。「スペインによる改革」を条件としてアギナルドらはスペイン総督と和平を結び、アギナルドらカティプナンのメンバーは香港に亡命します。「ビアクナバト共和国」 の歴史は2ヵ月弱で終わってしまいます。1897年(明治30年)の事です。

 ところがその翌年の1898年、アメリカとスペインとの間で戦争が始まるのです。(米西戦争)
 アメリカ海軍艦隊がマニラ湾海戦でスペイン海軍艦隊を全滅させた後、アギナルドはアメリカの要請もありフィリピンへ戻り独立戦争を再開。アメリカ海軍から提供された兵器を用いてスペイン海軍陸戦隊を掃討したアギナルドは、1898年6月12日にフィリピン独立を宣言します。
これがフィリピン第一共和国で、この時アギナルドは30歳。

 フィリピン人に戦闘で敗北した事実を認めたくないスペインは、アメリカ相手に交渉をし、フィリピンの領有権を2000万ドルでアメリカに譲渡する契約を交わします。
 その後、一転してフィリピン支配に乗り出したアメリカに対し、1899年、アギナルドらフィリピン軍は戦争を開始します。
 この戦争でフィリピン軍はアメリカ軍に対し敗北を重ね、ついにアギナルドはアーサー・マッカーサーJr.(ダグラス・マッカーサーの父)により捕虜とされてしまいます。

 アギナルドの戦争はまだ終わりません。

 1941年(昭和16年)、日本軍がフィリピンに進撃を開始します。73歳のアギナルドは対日協力を開始。1943年にフィリピン第二共和国が誕生します。
 そして第二次世界大戦が終了した後の1946年、フィリピン第三共和国が誕生します。ここでようやく、背後にアメリカも日本も存在しない、フィリピン人による国家が成立したのです。78歳のアギナルドは生きてこの時を迎えました。

 さて、時はながれ、ある男が注目されます。その男の名はベニグノ・アキノ・ジュニア。祖父はアギナルドの側近を務め、父親は日本軍政下のフィリピン第二共和国政府で活躍した政治家という、アギナルド直系のサラブレッド政治家でした。

 1972年、フェルディナンド・マルコス大統領がフィリピン全土に改元令を敷きます。当時マルコスは大統領に再選して2期目を勤めていた時でしたが、やたら問題が目立つようになります。マルコスに3期目をさせないよう大統領を2期制にしようといった法案が議会に出されるほどでした。しかもこの法案成立へ反対するための、マルコスによる議員の買収工作があかるみに出たりします。
 こうなると大統領職を退いた後に、有罪判決で逮捕されるか他国に亡命するくらいしか選択肢がなくなるのですが、マルコスは「改元令を敷いて居座る」という道を選びます。独裁という奴です。

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 当然反対運動が起こります。が、マルコスは反対した議員たち200名以上を逮捕、投獄しました。行方不明にさせられた者も多数に上ります。アキノも「殺人容疑」で逮捕されます。
 1977年にアキノに対し死刑判決が出されますが、国民に人気の高いアキノを殺害することはできず、病気治療の名目でアメリカに追放します。
 ここで終わるかと思いきや、アキノはフィリピンに戻るのです。追放したマルコスから見たら、アギナルドが戻ってくるようなものです。
 1983年8月21日、フィリピン行きの飛行機に乗ったアキノは、同行していた日本人カメラマンに「必ず何かが起こるからビデオカメラを回し続けておいてくれ」と言い残し、飛行機を出たところを射殺されます。
 アキノ暗殺を契機に、反マルコス運動がフィリピン全土に拡がります。スペインを追放した実績のあるフィリピン人の反乱です。簡単に収まるわけがありません。
 マルコスは国民の不満をそらすため1986年に大統領選挙を行います。暗殺されたアキノの意思を継いだアキノ未亡人コラソン・アキノが大統領選に出馬します。圧倒的な人気のコラソン・アキノに票が集まりましたが、選挙管理委員会は「160万票の差でマルコス勝利」と発表。これに対し民衆の怒りが爆発。タガログ語で「闘争」を意味するLabanの頭文字Lを右手の親指と人差し指で形作り反マルコスの意思を表明しながら、大量のフィリピン民衆がマラカニアン宮殿を包囲します。
 そしてエンリレ国防大臣とラモス参謀長(後の大統領)までがマルコスに反対を表明。軍の主要メンバーがマルコスに従わないと明言してフィリピン国防省のある基地内に籠城を開始します。この基地の名はアギナルド空軍基地。あのアギナルドの名前がつけられた基地です。

 フィリピン軍からも見放されたマルコスはアメリカ軍に救援を要請します。民衆に包囲されたマラカニアン宮殿に降り立った米軍のヘリコプターは、フィリピン国内への移動を望むマルコスの意見を無視してハワイに向かいます。アメリカによる強制的な亡命です。
 これでマルコスによる独裁時代は終了し、コラソン・アキノから現在まで続くフィリピンの民主政治の時代が始まります

 

アキノ大統領 記念切手セット 1986年 フィリピン発行 | 切手,東南アジア | 趣味の中古切手や紙幣・硬貨の販売と買い取り|ケネディ・スタンプ・クラブ (kennedystamp.jp)


 さて、これまでのフィリピン近代史を踏まえて、ボルテスVのストーリー設定を見てみましょう。

 突如宇宙の彼方から、頭に角をはやした宇宙人が現れ、地球を侵略しようとする。勇敢な地球の若者たちは、父が作った巨大ロボットに乗り宇宙人と戦う。
 というのはウソではないのですが、内容の1割も説明してません。

 まず、敵宇宙人の星ボアザンの説明から。
 角の有無で身分が決定する惑星ボアザン。角がある者が貴族となり、角の無い者は奴隷扱い。
 そこに皇位継承権があるものの角が無いラ・ゴールが誕生してしまう。(ラ・ゴールの父は皇帝の弟)
 偽の角をつけて育つラ・ゴールは、貴族制度に疑問を持ちつつ優秀な科学者に育ち、さらに科学大臣となり国政を動かす立場にもなる。
 皇帝が亡くなり、皇帝の弟の子であるラ・ゴールと、皇帝の妾腹の子ズ・ザンバジルとの間で皇位を巡る争いが発生。ラ・ゴールに角が無い事実を掴んだズ・ザンバジルは、ラ・ゴールを奴隷の地位に落とす。ラ・ゴールは反乱を企てたが敗北し、遠く地球に逃げのびた。
(角がある堤義明が角が無い堤清二を追い落とし、西武グループ全体を乗っ取ったと考えるとわかりやすいかもしれません)
 地球に逃げ延びたラ・ゴールは剛健太郎と名を変え地球人となり、やがてくるボアザンの侵略に備えボルテスVを開発します。これが主人公たちの父親です。
 そして立派な角を持つ美形の青年、地球侵略司令官プリンス・ハイネル、彼も実はラ・ゴールの息子なのです。父親を同じくする兄弟が、それと知らぬままに戦いを続けます。
 そしてストーリー半ばで、ラ・ゴール=剛健太郎はボアザンに戻ってしまい、ボアザン民衆開放のため地下活動を開始するのです。
 最終的にストーリーは「地球の平和」を通り越して「ボアザンの民主革命」へと向かいます。

(余談ですが、地球に侵略してきた敵を追って敵の本星まで侵攻する作品というのは相当珍しいのではないでしょうか。ヤマトでさえ、ガミラスが目的地イスカンダルと二重惑星でなければガミラス侵攻は無かったはずです。イデオンですらソロ・シップはバッフ・クランに向かわず逃げ回りますし、ガンダムだってサイド3まで行かずにア・バオア・クーまでです)

 このようなストーリーが、1978年のフィリピンで放送されたのです。マルコスが改元令を敷いたのが1972年、アキノに死刑判決が出たのが1977年ですよ。そりゃ燃えるでしょう!
 フィリピンでのボルテスV人気は、たしかに当時のマルコス独裁政権に対する不満に後押しされた部分もあると思います。マルコス政権がボルテスVを危険視して、最終回を放送禁止にしたのもそのためでしょうし、後のアキノ政権へと人々を掻き立てた一因でもあったと思います。
ですが、当時のアジアには、似たような開発独裁の国家は他にもありました。
 全斗煥や朴正煕の韓国、蒋介石の台湾、スカルノのインドネシアがそうです。これらの国でもボルテスVが放送されたはずです。事実インドネシアでは放送されかなりの人気番組でした。

 フィリピンでのボルテスV人気が突出しているのは、なによりフィリピン近代史におけるアギナルドの活躍の記憶が、支配階級に対する民衆の蜂起と勝利の記憶が、フィリピンの人々の中にしっかりと残っているからに違いありません。マルコス時代に放送されたボルテスVは、フィリピン人の心の炎にガソリンをぶちまけたような効果をもたらしたのも理解できます。

 1986年に誕生したコラソン・アキノ政権は、翌1987年に新しい5ペソ紙幣を発行します。その紙幣にはアギナルドの肖像画が使われています。新生フィリピンを象徴する紙幣と言えるでしょう。

 

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