ヤマトタケルとは? | 世界を旅する元証券マンダンサー 永田健

世界を旅する元証券マンダンサー 永田健

大手証券→米国MBA留学中退→スペインへ渡る
フラメンコ協会新人公演史上初の満票受賞
770人が着物で全国名所で踊る業界最大の映像制作。現在アジア版映像撮影中
舞台「本能寺の変」を東京,岐阜とスペイン4都市で公演
https://www.kennagata.com/

本日はスペイン大使館で「ヤマトタケル」公演のリハーサル。


大使館側からそもそも「ヤマトタケル」がよくわからないので、解説文を用意してほしいと言われて原稿を練ってます。




日本人なら少なくとも名前は聞いたことはある。
でも全く知らないスペイン人に説明するのは案外難しい。

というわけで僕なりにまとめたヤマトタケルとは?(今回演じる舞台の説明を含めて)

「日本最古の歴史書、古事記に登場する英雄。

 まだ日本がヤマトと呼ばれていた時代。
 ヤマトタケルは大和朝廷の王族に生まれるが、父親(天皇)の命令を取り違えて兄を殺した罰から九州征伐を命じられる。待ち受けるのは勇猛な熊曾。だが宴会中の熊曾の館に女装をして単身乗り込み、見事に討ち取る。
 意気揚々と都に戻るがねぎらい言葉もなく、すぐに東国征伐を命じられる。休む間もなく出発するタケルとそれを追う妃の弟橘媛。
 二人は静岡の相模で騙し討ちに遭い、火に囲まれるが叔母から授かった草薙剣で難を逃れる。しかし千葉へ向かう船旅の途中で嵐に遭い、弟橘媛が身代わりとなって海に飛び込んで鎮める。
 東征を続けてようやく大和へ帰る途中、山の神と出会い、雹に打たれて病に倒れる。
 父親からつい許されることもなく、故郷を目前にして力尽きたタケルだが、その魂は白鳥となって大和へ、そして天へと飛び立った」


ちなみにヤマトタケルは実在人物ではないものの、ヤマト王権を創った何人かの英雄がモデルになっているとも言われている。
また当初は日本(ヤマト)は当て字だった
(ヤマトタケルは日本書紀では日本武尊と書く)。

ではいつから「にほん」と呼ぶようになったのか?

AIに聞いても、いい加減な答えが返ってくる。

Wikipediaで調べたら、「7世紀頃に中国向けに音読みでニッポンと読まレたと推測される。いつニホンの読みが始まったのか定かではない」とのことでした。

p.s. こうやって考えると、自分の国の歴史なのに結構知らないことだらけ。。


★神楽×フラメンコ「ヤマトタケル」
11月10日に西日暮里アルハムブラで再演!

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