[光る君へ] 『第11回・まどう心』のあらすじ他 | コンデジ片手に出かけよう

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私の旅の思い出を紹介します。


<あらすじ:NHKサイトでの概略紹介> 
兼家(段田安則)の計画により花山天皇(本郷奏多)が退位し、為時(岸谷五朗)は再び官職を失うこととなった。まひろ(吉高由里子)は左大臣家の娘・倫子(黒木華)に父が復職できるよう口添えを頼むが、摂政となった兼家の決定を覆すことはできないと断られる。諦めきれないまひろは兼家に直訴するが…。一方、東三条殿では道隆(井浦新)の嫡男・伊周(三浦翔平)らも招いて宴が催され、栄華を極めようとしていた。


<光る君へ紀行紹介地>
陰陽師・安倍晴明の関連地が紹介されました

 

◎一条戻り橋
紫式部や藤原道長が生きた時代、朝廷に置かれた役所の一つ、陰陽寮に所属していました。道長が残した『御堂関白記』にも、晴明の名がたびたび記されており、朝廷や貴族たちの相談役として人々の信望を得ていたことがうかがえます。
平安時代、洛中と洛外を分ける橋とされていた一条戻橋(もどりばし)。
平安京の鬼門、あの世とこの世の境目とも呼ばれたこの場所は、彼の伝説が語り継がれていることでも知られています。



◎晴明神社
一条戻橋の近くに建つ晴明神社は、最後に仕えた一条天皇によって創建されたと伝わっています。祭神として祭られている本殿のそばには、天文を読み解くように、空を見上げる像が建てられています。平安の時代から千年の時を超え、今もなお人々の心を魅了し続けているのです。



<気になるキーワード>
◎まひろの父・藤原為時の失業
花山天皇の様子を伝える間者を辞めたことにより、藤原兼家を裏切った形となった藤原為時は、花山天皇の突然の出家&譲位により式部丞と蔵人の職を失います。まあ、会社で言ったら「上司の命令に逆らった」という形ですね。

◎摂政になった藤原兼家
長男・道隆を権大納言に、次男・道兼を参議にと息子たちを露骨に出世させていった藤原兼家。兼家の孫が七歳で一条天皇として即位しましたからね。やりたい放題です。



◎一条天皇の即位と子供の生首
一条天皇即位の日に大極殿の大内裏では天皇の即位の際にだけ使われる高御座(たかみくら)に子供の生首が置かれていました。「死は穢れ」と恐れている平安時代の人には衝撃的な事件。ただ警備をしていた道長は、その場を片付けさせ、 目撃した者たちに口止めをします。
※写真は2024/3/20から3/24まで京都御所紫宸殿に置かれている、今上天皇の即位の際に使われた高御座 (紫宸殿中央に置かれています:写真中央下部)



◎元慶寺でひたすらお経をあげる花山法皇
花山法皇の恨みを込めた形で読経は恐ろしい。ただ数珠が散らばり北斗七星の形になったところを見ると、安倍晴明が何らかの形で関連していたんですね。


◎男性を待つ女性の寂しさを詠う和歌
古今和歌集から次の和歌が出てきましたね。
「君や来む 我や行かむの いざよひに 真木の板戸も ささず寝にけり」
紫式部が作った源氏物語では、和歌が効果的にその人の心情や情景を物語っています。そんな事も意識されてドラマに盛り込まれているんですね。




<注目したポイント>
◎藤原道長の『妾』になることを断るまひろ
父親が花山天皇の退位で職を失い困窮している時に、父の友である藤原宣孝に『北の方(貴族の正妻)にこだわらなければいくらでもおろう』と言われたまひろ。そのあとに『身分よりも 富がある男が良いな。わしのような男はおらんかのう 探してみるわ!』と言っていたあたりは、将来をまひろの将来の暗示ですかね、藤原宣孝はまひろ(紫式部)の夫になっていますし。ただ、まひろ(紫式部)は、藤原宣孝の正妻(北の方)になれませんでしたけど。


あと、藤原道長が「妾になってほしい」との言葉に返事が出来ないまひろ。その際のやりとりは、ある意味で源氏物語の反映かなとも考えました。紫の上は光源氏と結ばれましたが、正式な結婚の順序は踏んでいません、そして「光源氏の北の方」ではありませんから。


<関連情報> 平安京 中務省・陰陽寮跡