いま思い出しても強烈な印象が残っているのだが、まだ中国では文化大革命が推し進められていた1970年代中期、それも日中平和友好条約締結からそれほど経っていない時期だったと思うのだが、日本国内の主要都市で大規模な中国美術品骨董市がデパート会場で開かれていたことがあった。
偶然その会場に足を踏み入れたのであるが、その規模と美術工芸品の凄さに度肝を抜かれた思いがした。
文化浄化という掛け声で、中国国内で接収されたそうした美術工芸品が、二束三文で大量に海外に売り払われた時期でもあったわけで、それによって中国は外貨を得ようとしていたのである。
特設会場には大量の書画骨董、壺や玉石の彫刻といった、目を見張るような工芸品の数々が所狭しと並んでいた。
それも質の良いものが選別されていたわけだから、そこらの美術館に並べてもおかしくないと思えるような古美術品が展示販売されていた。
それらが格安の値段で販売されていたのだから、当時の私は驚きと同時に会場内を幾分興奮した気分で見て回った。
目にした見事な工芸品の中には、購入したいと思うものも当然あったのであるが、日々の小遣いにも不自由する学生に買えるような経済的余裕はなかった。
もう、二度とこうした絶好のチャンスは訪れないだろうとも、そのとき思った。
とにかくそうした地団駄踏むような口惜しさが、当時の私にあったことだけは確かである。
それから約半世紀後の経済発展した現在の中国では、文化大革命で流出してしまったこうした美術品を今ではさかんに買い戻しているわけだから、皮肉な展開ではある。
いまでは日本国内の古美術品が、大量に中国市場に送られている。
中国美術品骨董市からしばらくして今度は日米貿易摩擦が発生していたのだが、それが問題化した時期に米国製品展示市が開催された。
デパートで、それにも偶然遭遇した。
その会場にある特設ステージでは、アメリカのカントリーウェスタンのバンドが演奏して雰囲気を盛り上げていたのであるが、そこに展示されている製品を一目みて驚いてしまった。
大半が日用品、雑貨品の類いであったのだが、私からみればそれらの品質というのはまるでガラクタレベルであった。
アメリカが販売する商品レベルの低さには驚いてしまったのだが、アメリカの一般の製造業のレベルや品質というのはこの程度なのかというのが、率直な実感であった。
これでは米国といえども、日本国内向けに一般消費財で競争しても遣っていけないだろうというのが率直な感想であった。
それから半世紀である。
その間、日本国内はもとより、世界の市場を中国製品が瞬く間に席巻していった。
日本製品を徹底的に模倣し、日本人技術者も採用しつつようやくここまで辿り着いたという感じであろうか。
いまだに当たり外れはあるが、値段相応という感じがしないでもない。
我が家でも年々中国製品が多くなってきていて、ほとんどの家庭用品がメイドインチャイナに置き換わってきている。
ときたま予想以上だと、何だか得をしたとでもいうようなデフレ製品の面白みがある。
日本のデフレ国策にもうまくマッチした中国製のデフレ対応製品は、日本の市場ともきわめて相性が良く、もはや中国製品なしにはこのデフレ経済の日本ではまともにやっていけないよう生活感があるのも確かである。
日本経済も多少はインフレ傾向にあるようにみられているが、実質収入が横ばいのデフレ生活感としては、消費財は安くてそこそこ使えればいいのであって、ここらは高級志向のインフレ経済観とはもとより別物である。
贅沢を言わなければ、日常的に必要な電子機器や家電、スマホ、さらにはオーディオ製品、日用雑貨、工具、あらゆるものが手頃なデフレ価格で買えるのだ。
中古品でなくとも、探せば安売り商品はいくらでもあるわけで、その中心に位置するのが中国製品であって、ネット上にも溢れかえっている。
コンビニさえあれば生活が出来るように、そうしたシンプルな中国製品さえあれば日常生活には不自由はしない。
これから日本経済は右肩下がりに失速していくであろうが、デフレ日本の生活を支援してくれるのは、こうしたデフレ生活に対応してくれる中国製品に違いあるまい。
物への価値観は時代と共に止めどなく変わっていく。
かっての中国の美術工芸品同様、私などはいまの中国製品の浸透に少なからず驚かされ続けているというわけである。
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