責任の所在があるとするなら、共同責任です。

もちろん、私のように、ワクチンに懸念を持っていたような人たちにも責任はあります。無能さゆえに伝えられなかったのですから。

ナオミ・ウルフ博士:「女性の生殖機能への攻撃は、人類に対する攻撃であるだけではなく、未来に対しての攻撃です」 - In Deep

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とのことですが、私はそうは思わない。

(DEEPさんの全体的な考えには大概同意ですが、これに関しては違うという客観的な事実からの反論がある)

まず最初に総じて、比喩的に語るのであれば、

「ほとんどの人はまだプラグと抜く準備ができていない。彼らはそれに慣れてしまっていて、仕方なくシステム依存している。

だからそのシステムを守るために戦うことになる」

という映画「マトリックス」の世界で語られているような言葉が的を得ている。

聞く耳を持っていない人にどうやって伝えられようか?

大衆はものを考えない。権威に従うのみ。

私も当初は職場で打たない方がいいということを言ったが誰一人として打たなかった人はいない。確かに私の知識不足と説明の下手さ、プレゼン能力のなさもあったとは思うが、気づく人はそれでも気づくのである。

また人にはスコトーマやコンフォートゾーンがあり、人がどれだけ言っても見えないし、聞こえないということもある。

スコトーマとは、心理的盲点のことで、それによって人は無意識のうちに、自分にとって重要な情報とそうじゃない情報を取捨選択してしまう。見えているけど、見えていない、聞こえているけど、聞いてないというような状態になる。

コンフォートゾーンとは、ストレスや不安が無く、限りなく落ち着いた精神状態でいられる場所を指す。

したがって、大半の人は、自分の先入観や洗脳されたことが正当化されることを望んでいる。彼らはすでに信じていることを読みたいのだ。そういうものは安らぎを感じ、元気づけられる。彼らは無知を指摘されると激怒する。

ここは洗脳を抜け出せない人が大多数の社会だということ。

多くの人は催眠状態。説得しても、感情的かつ主観的に自分の信念体系にしがみつく。

また嘘は中毒になるようで、中毒になるからやめられない。なので事実や真実が聞こえない。

さらに日本は特に「みんながやっている」ことが正しいという文化であり、

みんながやっていないことをやっていると「敵視」されるという側面もある。

加えて、希望的観測(自分に都合のいい可能性を信じて、事実や根拠のない判断をしてしまうこと)

というものもあり、手が付けられない状況である。

以上のことから、知ることを避けた知識は人生の学びにおいて、繰り返し繰り返し戻ってくることになるようだし(今の私がそれ)、つまりは、もう十分だと悟るまでもがき苦しむしかない。

ほとんどの人は知識がないので破滅の道を進んでいる。

その破滅を乗り切るには、快楽を求め・苦痛を避ける本能的な行動を克服する必要がる。

そのためには自分が向かっている方向に気づくしかない。

そういったものだと理解したとき、その人自身の疑問や気づきや知識が出発点にならなければならない。

「おかしくね?」「それ本当か?」「なんか同じこと繰り返してないか?」

「本当にそれは必要か?有益か?」「政府が俺らのために何かしたことあったっけ?」

などなど様々な疑問や今まで気が付かなったことに注意が向くことが必要不可欠だと思う。

であるときに、その人自身のそういった認識がないと・・・

それが破滅の道でも放っておくしかない。そしてこれが現実に起きていることである。

私は自分の両親さえ打つことを止めることができなかった。

自分の無力さを知ったと同時に、上記のようなこともその過程で理解した。どうにもならいのだと。

彼らには彼らの人生がある。それが破滅の人生でも彼らの人生である。私にはどうしようもできないのだと。

唯一可能性があるのは、唯一助けることができるのは、誰かが意欲的に助けを求めた時だけ。

熱心に知ろうとした時だけだと思われる。

なぜならその時にしか人は変わろうとしないから。

それがない人に何をやっても無駄なのだと学んだ三年半だった。もう誰にも言おうとは思うまい。心は痛むがね。

私はDEEPさんのような人々がいててくれなかったら気づいていないし、私も大衆同様だったと思うから、無名の心優しきネットで発信して下さっている賢者の皆様には感謝しかないです。ありがとうございます。

だからその賢者たちの記事をベースにここの記事では不特定多数に伝えている。

伝わる人に、何かに疑問を感じた人に1ミリでも伝わればいいと思って書いている。

それしかできないから。

 

(以下、関連記事)

 

私は、人に「ワクチンを打たないほうがいい」、「打ったほうがいい」と言ったことはありません。どんなことでも自分の選択でなければいけないからです。親や家族を含む身内にも言いません。

というのも、仮にこのワクチンを回避する、あるいは接種する、どちらでもいいのですが、それを自分の意思で決めたのでなければ、「また次に選択しなければならない状況のとき」

にも、また人の意見だけで動いてしまうことになります。

今後の社会で、何度同じようなことが繰り返されるかは誰にもわかりません。

ですので、それが結果として良いとしても、あるいは悪いとしても、自分の意思で決定したことなら、その後もまた何かの時に「自分で決める」ことができます。

*とはいういものの「自分で決めてる人は少ないと思う。メディアで言っていたから、医者が言っていた、みんなが言っていたと言って「決めてる」のか「決めさせられている」のかは疑問。ただ言ってることはその通りだと思う。

血液は命のリズムそのものであり、その分子の振動は、私たちに固有の意思と感情を与えている。なら、意思と感情を強制的に変える方法は? - In Deep

 

「今起きていることは、全面的にマインドコントロール」

 

真のマインドコントロールとは、拷問や強制ではなく、静かに受け入れさせることです。

私たちはいつでも催眠術師から同意を取り消すことができますが、特定の現実を無視することを進んでやめなければなりません。

私たちは、過去に騙され、支配されてきたことを認識したときに生じる痛みを喜んで感じなければならず、順応を拒否する能力を享受しなければなりません。言われたことを額面通りに受け止めない私たちの一部にならなければなりません。

 

人口の 90%以上がマスクを着用している中での過去最大の感染拡大の状況からは、マスクが何の役にもたっていないことがもう明らかです。

このあたりから、「それを考えてはいけない」という無意識が意識を制御し始める。

なぜなら、自分が今まで「自主的に」してきたマスク着用を否定することは、自分のこの2年間の行動すべてを自分自身で否定する、すなわち「自己否定」につながる。 ← 無意識で、これを避けようとする人たちが出てくる。

つまり、「マスクは役に立っていないという事実や現実を無視する」という方向に「意識」も「無意識」も共に進みます。

 

「ずっとマスクをしていたのになぜ?」という合理的な考えは、「無意識の同意が掻き消す」ようになります。

「たくさんの人がワクチンを打ったのになぜ?」という合理的な考えは、「無意識の目的逸脱(重症化を防ぐためだった等)」によって、掻き消されます。

 

そして、ほぼ約 2年半にわたって、無意識の同意が拡大した中で、

「多くの人々が《自分自身への催眠術の施術を完了した》」

 

のが「今でしょ」という感じでしょうか。

自分自身で自分にかけたマインドコントロールですから、これは強力です。

おそらく、人口の大半は「もう解けることがない」と考えます。

 

多くの人は常識やルール、当然のこと。また新聞・ラジオ・テレビ・雑誌などのメディアや権威や専門家が言っていることを
真善美として、自分の価値観、自分の考えようのように話す。実際はメディアなどを垂れ流しているだけである。

またその構造が見えておらず、自分がそのようになっていることに気づいていない。

一言で言えば、「自分がない」んだが、

このことを理解させたり、説得するのもほぼ不可能である。

何を理解できるというのですか? 私のような人々と常識やルール、「当たり前」で話す人との違い

ウイルスそれ自体は問題ではないですが、弱い者たちや恐怖を抱く人々はそれに屈するでしょう。愚者はそのことを信じるでしょう。

彼らはその治療を求めるでしょう。

私たちは適切な治療を彼らに提供します。それにより治療が解決策になります。愚者は、自身に対しての治療の選択をするでしょう。つまり自分から屠殺場にやってくるのです。

 

…また、もう一つ別の見方から考えると、いくらだますものがいてもだれ一人だまされるものがなかったとしたら今度のような戦争は成り立たなかったにちがいないのである。

つまりだますものだけでは戦争は起こらない。だますものとだまされるものとがそろわなければ戦争は起こらないということになると、戦争の責任もまた(たとえ軽重の差はあるにしても)当然両方にあるものと考えるほかはないのである。

そしてだまされたものの罪は、ただ単にだまされたという事実そのものの中にあるのではなく、あんなにも造作なくだまされるほど批判力を失い、思考力を失い、信念を失い、家畜的な盲従に自己の一切をゆだねるようになってしまっていた国民全体の文化的無気力、無自覚、無反省、無責任などが悪の本体なのである

…このことはまた、同時にあのような専横と圧制を支配者にゆるした国民の奴隷根性とも密接につながるものである。

それは少なくとも個人の尊厳の冒涜、すなわち自我の放棄であり人間性への裏切りである。また、悪を憤る精神の欠如であり、道徳的無感覚である。ひいては国民大衆、すなわち被支配階級全体に対する不忠である。

…「だまされていた」という一語の持つ便利な効果におぼれて、一切の責任から解放された気でいる多くの人々の安易きわまる態度を見るとき、私は日本国民の将来に対して暗澹たる不安を感ぜざるを得ない。

「だまされていた」といって平気でいられる国民なら、おそらく今後も何度でもだまされるだろう。いや、現在でもすでに別のうそによってだまされ始めているにちがいないのである。一度だまされたら、二度とだまされまいとする真剣な自己反省と努力がなければ人間が進歩するわけはない。

 

「だまされていた」といって平気でいられる国民なら、おそらく今後も何度でもだまされるだろう。

人びとを操るために「地獄」という恐怖が利用された。今は「新型コロナウイルス」という悪霊が使われている。人間は進歩していないようだ。
 
戦時下や戦闘中に最も不要な感情は、相手に対する憎悪とか嫌悪とか敵対心などの負の感情で、それらは思考能力を萎縮させてしまいます相手をよく知った上で冷静に対処を考える。それは砲弾でもワクチンでも同じです。
 

ヒトラーによる国民支配に関するナチスの理念

十分に大きな嘘をついて、それを繰り返し続けると、やがて人々はそれを信じるようになる。

真実は嘘の致命的な敵であり、ひいては、真実は国家の最大の敵であるため、国家が大衆の異議を抑圧するためにすべての力を使用することが極めて重要となる。

そして、我が闘争でヒトラーは「そのウソは大きくて単純でなければならない」としています。

「大きなウソ」を絶対に曲げずに主張し続けていくうちに、多くの国民がそれを確信するようになる。

もはや抵抗することは得策ではなく、最善の行動は、個人個人が「よく考えること」なのだと思います。

しかし、その「考える時間と考える自由」が、多くの人々の場合、スマートフォンとソーシャルネットに阻害されている。

現在進行していること自体の仕組みを、特にこれからの時代を生きていく若い人たち各自がさらに深く考えるようになることを願っております。

「デジタル奴隷制」の始まり・・・ビートたけし『弔辞』とヒトラーによる国民支配に関するナチスの理念 | 真実は? (ameblo.jp)

 

「私はこれらの人々(権力志向者たち)に問題があると確信している。彼らはパワフルになりたいがために、民衆が感情的にコントロールできない状況に陥らせ、そして、その状態の中で人々をコントロールしたいのだ」

「権力志向者たちが恐れている唯一のことは、自分たちのコントロールの力を失うことだ。そのため、彼らはその力の統制を維持するためにはほとんど何でもする」

人類を支配したい存在は、人類がロボットのようになることを望んでいます。

人類を支配したい存在は、人類がロボットのようになることを望んでいます。 | 真実は? (ameblo.jp)

 

彼等は自分達が望んだ以外の結果を理解できない。

人間は自分が見たいものしか見ないし,見たくないものは脳が巧妙にスルーしてしまう。これをスコトーマという。

正しく認識することを妨げる心理的盲点のことだ。

ーー

幻想は自ら生み出すもの、妄想は外部から誘発されるもの。

自分の頭で空想を描いてそれを信じるのが幻想の中に生きるということ。他人の言動のせいで、間違った事を信じるようにプログラミングされたり、誘導されたりするのが、妄想。

幻想や妄想という殻を打ち破ってこそ、 光の中に生まれ変われるものだ!

――

希望:絶望の分析者だけが語り得ること。「前向き」とか温い(ぬるい)ことを言っているうちは無理。

――

世の中,ほとんどの人は個人的な好き嫌いで物事を語る。

正直,あんたの好き嫌いなんて興味がないし,意味もない。

このことが↑分からない人は,ガキ

ーー

希望的観測の影響力が強いとき、あなたは受け取ることが出来ない。

ナルシストは、常に(自分の幻想を人に)投影してるから、何も受け取れない

ーー

連中(支配層)は何事も完璧にはできないのよ。

殆どの人々があまりに騙されやすいので、問題無い。

ーー

認知不協和:立派だと思われている人に関して、これをこき下ろすような論評に接すると、人は自分が思っているイメージと、ウワサの落差から、自分の中でその情報を消化できなくなります。

すると不安になり、その不安を埋めようとして、かえってその情報を強く認識してしまうというものです。

こうしてウワサが、一層広まるのですが、これを「認知不協和」といいます。

希望的観測のまとめ | 真実は? (ameblo.jp)

 

知識を活用すれば、守りとなる。ブログのフリースペースより

 

知識を活用すれば、守りとなる。

知識は、起こり得るあらゆる害悪から守ってくれる。 
知識を持てば持つほど、 恐れが少なくなり、 痛みも減り、 ストレスも覚えなくなり、 苦悩も減り、 あらゆる類の危険に身を晒すことも少なくなる。 
知識を得れば得るほど、どうやったら身を守れるかがわかるからだ。 
やがて、知識は強力な自覚(気づき)となって、あなたを取り巻くから、 
身を守るのに、儀式なんかしなくてもいい。 
護りは自ずと自覚(気づき)によりもたらされる。 
知識はあらゆる実体を持つ。それはあらゆる存在の核心へと至る。
知識は人の存在に対して、望ましい全てのものを加える。 そしてまた、あなたが光を求め続けるなら、やがて、光とは知識であると真に理解するだろう。 全ての存在の核心にあるものこそ、知識であり、 万物存在の核心にあるからこそ、知識はあらゆる形態のネガティビティからの守りをもたらす。 光は全てであり、全ては知識であり、知識は全てである。 あなた方は、随分と知識の習得に努めている。 後は、知識の習得こそが必要なのだと確信し、理解することだ。 
あなたに誤った知識、間違った情報を与えようとする者は、誰も失敗するだろう。 知識が帯びる本質こそが、 全ての存在の根底にあるがゆえに、 
知識ではない誤りの情報を吸収することから、あなたを守るだろう。 
知識の習得をオープンに求めるならば、間違った情報の吸収を恐れる必要はない。 知識はあなたがかつて必要としたあらゆる守りを形作る。 

気付きがある限り、弱点は対処可能だ。 
ネットワークが鍵だ。
そしてまた、己の弱点を認識し、それが心を支配するのを許さないことだ。 

知識は真に守る。 
気付きとは、知識の実践だ。 

http://profile.ameba.jp/kenkoudoujou-20100119/?frm_id=v.mypage-profile--myname

 

マクラニーの本は、私たち人間が通常利用している、何十もの認知バイアス、論理的誤謬、知的経験則に焦点を当てている。これらのお蔭で私たちは、自分が思っているよりバカであり、た易く操作され、自分のやり方や好みについて全く分かっておらず、破滅的で役に立たない行動に固執し、全く不合理な決定を行っている等のことに気付いて身悶えすることなく、日々を過ごせるのである。そのようなものの中から、少しばかり取り上げてみよう:

 

(*上記の言葉が以下に紹介する記事をうまくまとめていると思うが、私も自分なりに以下の記事を多少まとめてみたい。以下の人間の反応や機能は生来的な自己防衛・自己正当化システムと呼べる。ただこの中のいくつかは、大衆の操作に使われる。また以下のほとんどの項目が事実に基づかず、事実でないモノ=嘘に基づいていることがわかる。また私を含む一般的な人々は事実に基づかず、「事実でありそうなこと」「事実っぽいこと」「常識的なこと」「一般的に言われていること」「権威・政府が言っていること」などを「無批判に」受け入れ、その結果、事実に基づいておらず、操作されやすい状態で、かつ、自分で自分を騙しやすい状態だ。これを脱するのはなかなか大変だと思うが、以下にあることをまずは「認識」して、そして理解し、これを打破する行動をすることで、克服できるかもしれない。そうできてこそ、やっとまともな人間と呼べるかもしれない。以下読めばわかると思うが、以下のように行動するならば、自分で考えて行動しているということはなく、単に反応し、支配層に良いように操作されているというだけ。また「夢の中」あるいは、「想像上」で生きているような状態。生きているともいえない。捜査された反応と事実に基づかない想像上を歩いている状態。まずは私から始めてみたい。まずは覚えること、覚えていること、そして行動、毎日行動だろうね。今日しかないんだから、今日やるしかないよね。明日やるっていった時点でやらないこと確定だからね。明日は明日の自分で今日の自分とは違う。明日の自分に今日の自分がいると思うことが間違い。決意はいまして、今行動すべき。自戒を込めて書いている。)

 

 

 

(*そして以下は多少編集した。編集していない記事を読みたい方はリンクを貼っておくので、そちらをご覧ください。)

 

 

1.      プライミング:ある単語に対して、自分の感情や行動が動くこと。そしてそれは当局によって操作されている。
 

2.      利用可能性ヒューリスティック:人は、共通に利用可能な情報に対して、より早く、烈しく反応する。たとえ統計的には別の結果が出ていても、個々の例が全体の代表であるとみなすのだ
 

3.      正常性バイアス:大変な事が起きても、人は素早く行動に移らない。何ら異常な事など起こらなかったかのように、ピタリと動きを止めたままで居るものだ

基本的にあなたは、「思うほど事態は悪くないのだ」と考えて自分を安心させようとする。

あたかも洪水の水がゆっくりと水嵩を増していくように。

だがそれは、茹でガエル、すなわち、危険な洪水のようなものだ。「もう沢山」という時には、手遅れなのである

。だが、あなたは真剣にそれに備えてこなかった。本当にそういうことになっても、あなたは気付きさえしないだろう。
 

4.      確証バイアス:あなたが抱く意見は、その意見に一致するようなデータで絶えず補強することによって、そして、それ以外の情報を無視することによって、形作られる

このような確証バイアスのせいで、あなたは現在の信念と矛盾する情報を解釈し直すことすらあるのだ。
(*つまり、自分の意見や信念を大事にしていて、それと反するものは受け付けないということ。これはわかる。。。私もそうだから。これによって主観的であり、客観的でないことが証明される。まだまだだね。)

5.      後知恵バイアス:実際はそうではないのに、そうだった、そうだと自分を肯定すること。(*自分を正当化したいという動機から生まれるものか?これもあるね。。。)

6.      作話:あなたは自分の行動の動機について、自分や他人をすっかり騙してしまうあなたは自分がなぜそうするのか、分かっているのだろうか?おそらく分ってはいないだろう。でも、あなたはおそらく、何らかの理由を述べるだろうでも本当のところ、あなたは知らないのだ:これらは単にあなたにとって利用可能な選択肢に過ぎなく、実際にはメディアや社会の圧力によって、際限なく強化刺激を与えられた結果、あなたは条件づけされただけなのである。あなたは操作されているのに、それさえ分からないのだ。
(*後知恵と似ている。つまり知らないのに知っているという「見栄?」か、自己正当化からくるのか?)

 

7.      傍観者効果:最初に本物の残虐行為が起きたとき、あなたは1番目に立ち上がるだろうか?まずしないだろう。不正が行われ、あるいは困っている人が居るとき、それを目撃している人が多ければ多いほど、誰かが助けに入る見込みは少なくなるものだ。人々は、他の誰かが問題に対処してくれるだろうと考えるため、あるいは、ただでは済まないだろうという恐怖のため、手出しできないのである

(*誰かがやるはずだと思い、誰もやらないパターン。自分がやれば済む話だが、誰もやらない。)

8.      同調:権威者とみなした人の意志に同調するのだ
(*わかる。この人が間違っていたら?同調しても信用せず、自分で調べること。考えることが大事という、情報検証の基本か。。。)
 

9.     マクラニーの本で述べられていない、もう1つの認知バイアスがある:私たちは、他の誰もが自分と同じような人間であり、自分がやろうと夢にも思わないような事は、連中だってやらないだろうと思う傾向がある。実際には、人々の何パーセントかはサイコパスであり、他にも多くの人格障害者が存在する;

(*人間は皆同じ、愛がある存在?という思い込み)

http://takapachi1962.seesaa.net/article/413334705.html

 

『あなたは自分で思っているほど賢くない』 by デビッド・マクラニー(リンク先より引用&編集) | 真実は? (ameblo.jp)

 

 

〈関連〉

何事も自分で決める必要があるし、説得しても、その人の耳には届きません。 | 真実は? (ameblo.jp)

何を理解できるというのですか? 私のような人々と常識やルール、「当たり前」で話す人との違い | 真実は? (ameblo.jp)