シックハウスの苦しみと戦う健康住宅会社の松田順治のブログ
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引っ越してからとにかく心地よくて疲れが取れますし、元気がでます。

抗酸化リフォームのご感想

「引っ越してからとにかく心地よくて疲れが取れますし、元気がでます。患者さんも空気が良い、気持が良い、今までとはぜんぜん違うといっています」
札幌市豊平区中の島の石橋整体院の石橋さま

シックハウスの苦しみと戦う健康住宅会社の松田順治のブログ

新琴似にあった自宅兼整体とヒーリングの施術院を、中の島に引越した際に飛栄さんにリフォームをお願いしました。

壁には「いきいきコート」を塗ったのですが、とっても空気が良くなりました。横になるだけでも元気が湧いてくるので、今は自分の部屋で寝るのが毎日楽しみです。

整体やヒーリングに通っておられる患者さんも「空気が良い、気持が良い、今までとはぜんぜん違う」といって喜んでくれています。いいところばかりで、何も問題は感じません。


私達が引越しをしようと思った理由ですが、以前使用していた一戸建てが狭くなったことと、交通の便も悪かったこと、あと患者さんにとってよりよい環境をつくりたかったことがあります。

まずは、狭さについて、当院の施術は、患者さんに個人的に言葉をかけながらすすめることがあるのですが、並んでいる隣のベッドに誰かがいると気を使って話せないという問題がありました。壁で隔てた空間で安心して施術を受けられるようにしたいと思っていました。

あと、交通の便については、街からは地下鉄からバスで乗り換えだったり、石狩方面からはバスでお越しいただいていましたが、地下鉄1本で徒歩圏内であればいいと思っていました。

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施術環境を良くすることについて、私達は人の身体を癒すのが主なので、整体院をトータル的にリラックスできる空間にしたいと思っていました。

そこで、壁紙の素材を特別なものにしたり、身体を温めるブラックシリカの毛布や、温熱療法の温熱器などを取り入れることを考えていたのです。

しかし、例えば、ブラックシリカの毛布は一枚で10万円もすることがあり、いいものはあったのですが、なかなか、これというものには出逢えずにいました。

このような理由から、私達は、不動産屋さんに探してもらってた物件をリフォームして自宅件整体院として使おうかなと思っていました。

飛栄さんとの出逢いについては、友人の森さんという方に「引越しをするつもりなんですよと」ご報告をさせて頂いたところ、西野にある「ここにいるよ」という自宅兼カフェに連れていってもらったのですが、その建物が飛栄さんが手がけたということでした。

「ここにいるよ」は、お店の前にきた時から公園の噴水のような心地良い波動を感じていたのですが、中に入ってみると、外で感じていた何倍も「ガーン」という感じで気持いい波動があってびっくりでした。

そして、「どうして?」と聞いていくうちに、もっと、この気持良さの理由を知りたいと思いましたし、心の中では「ここと同じ業者さんにお願いしたい」と、殆ど決心をしていました。この時に「いきいきコート」を壁にぬってあることと、抗酸化溶液が基礎のコンクリートに練りこまれていることを知りました。

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その後、実際に、松田社長に聞いてみようということで会社に行ってみると、「ここにいるよ」と同じ気持のいい波動があって、私達はやっぱりこれだなという感じです。

松田社長の第一印象は、柔らかいけれども、ぶれないものを持っている人。従業員さんも雰囲気が良かったので安心することができました。

そして、すぐにお願いすることを決めると、あとは、引越しをするのが楽しみでしょうがない毎日を過ごしていました。

工事中に気づいたことは、業者さんが和気藹々としていて、とても感じがいいことでした。一緒にいても、嫌な顔をしませんし、とても自然な感じがするのです。

あと、リフォーム前は、何となく建物全体が暗かったのが、リフォーム後は明るくて、すごく上品になりました。引越をしてきた時には、リフォーム後に感じる接着剤などの独特の匂いなんかの違和感もなく、最初から自分の家だと思うことができました。

工事が終って引越しをする時には、引越業者の方が、「どうしてこんなに変わったんだ?」とびっくりしていました。

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初めて入居した時には、とにかく気持ちよかったです。特に寝室の壁は「いきいきコート」を原液で塗ってもらっていたので寝るのが楽しみでした。

実際、この寝室のおかげで新琴似にいたときよりも、疲れなくなりました。それこそ、手が疲れたら壁に手をつける、足が疲れたら足をかければ疲れが抜けていく、私にとっての、「やすらぎ空間」になっています。

あと、リフォーム前には、子供が自分の部屋にいると元気が無くなるといって外で遊んでいたのですが、部屋にいても平気だというようになりました。

それに、元々素直でいい子だったのですが、以前よりもさらに、気持が通じるようになりましたし、色んなことに前向きに変わったと思います。

体調面では、リフォーム以来、銀行手続きなど外を歩いて疲れて帰ってきても、家に戻ると元気になれますし、現在は、仕事がどんどんしたくなるくらいです。

お客さんも「新琴似と違う」「空気がいい」「安心できる」といって、違いに気づいてくれています。そして、安心してご自身のことを話してくれるようになりました。

これから、リフォームをされる方へのメッセージは、いつもリラックスをされる場所であるリビングや寝室に「いきいきコート」を取り入れられるといいと思います。

もし、ご主人さんがストレスが多い場合や、病気がちな時には寝ているだけで癒されて元気がアップすると思います。

あと台所は、食物が腐りづらくなったり、柔らかくなりますし、作ったものが美味しくなるような気がします。

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気が滞りがちなクローゼットや靴箱も、空気がよどむのを和らげてくれます。扉を開けた瞬間のもあっとしたのが嫌いな人には特にいいと思います。

石橋整体院のご紹介について、元々は、私自身が体調不良をずっと抱えていて、沢山の治療を受けたり、自分で研究するうちに、理想の整体院をつくろうと思ったのがきっかけで始めました。

「腰の痛みがひどくて、ロボットのようにして、そろそろ歩かないと、どうすることも出来なかったけれど、普通に歩けるようになった」

「肩こりがひどくて、他の施術院では楽になってもすぐに、また、こってしまったのが、ものすごく軽くなった」

この他、お喜びの声は沢山いただいているのですが、患者さんの笑顔をみるたび、いつも嬉しくなります。

このためにやっているし、やっていて良かった。続けてよかった。技術も研究、開発してきて、良かったと思います。そして、よりいっそう、どんな方にも、より早く、より効果的な施術が出来るようになることが目標です。

そうすれば、もっと、もっと、多くのっ方に喜んでもらえて元気になってもらえるので、きっと、周りの人にも優しくなれるんじゃないかなと思います。

当院では患者さんの痛みと気持ちに寄り添った施術をさせていただいておりますので、ご興味のある方は、お気軽にご相談下さいませ。

石橋整体院 TEL:011-831-6066
リンパ整体 / ヒーリング / 瞑想ワーク
札幌市豊平区中の島1条6丁目3-15



飛栄建設(株)
〒062-0933 札幌市豊平区平岸3条16 丁目2-50
TEL:011-821-9886  FAX:011-821-9812
札幌と近郊の住宅新築・リフォームのことなら、お気軽に携帯までご連絡くださいませ。
松田携帯:090-3770-2191
公式サイトはこちらからどうぞ

「和みと癒しのスペース cafe ここにいるよ」

札幌も、すっかり夏らしくなってきましたね。

松田流の夏ばて防止対策は、ズバリ笑いです。

大きな声で笑い飛ばせば、何の根拠がなくても、
人生、たいがいのことは乗り切れます。

今回は、札幌市西区西野で人気の素敵なカフェが、
誕生するお手伝いをさせていただいた物語を
ご紹介させて下さいませ。

「和みと癒しのスペース cafe ここにいるよ」

オーナーの大滝さまは、この店舗兼住宅を、
飛栄建設の抗酸化住宅で新築されました。

2011年1月11日のオープン以来、
美味しいお茶と料理を食べられる他、
音楽のライブやセミナーを開催する場所として、
現在、人気のスポットになりつつあります。

オープンのその理由と想い、そして、抗酸化の効果は?

< 家づくりのきっかけ >

松田社長、そして、飛栄建設のみなさん、
このたびは、素敵なお家を建てて下さり
本当にありがとうございます。

「ここにいるよ」の大滝です。

あと、この文章をご覧のみなさま、はじめまして。

どうぞ、よろしくお願い申上げます。

「一度限りの人生なら、大人も、子供も、
おじいちゃんも、おばあちゃんも、みんなが
笑顔になれるコミュニケーションスペースが欲しい」

それが、今回、私たちが
家づくりを考えたきっかけでした。


< 鬼講師と生徒 >

元々、私は、ある専門学校で
医療事務の講師をしていたのですが、
生徒たちからは「最強の鬼講師」と
言われていました。

そんな生徒たちが、
社会に出てから「先生に厳しくされて良かった」と、
学校に遊びにきてくれるのを
何よりの誇りにしていました。

しかし、一昨年、
その学校が閉校してしまい、
卒業生たちとの接点がなくなってしまいました。

以前、住んでいたマンションが手狭だったこともあり、
結婚式の招待状も学校に出しなさいといっていましたが、
これで、連絡がとれなくなってしまうのは、
あまりにも残念なので、
どうしようかなと思うようになったのです。

一方で、私の主人も、退職後には
「喫茶店でも出来たらいいな」と
思ってくれたようです。

といっても、テナントを借りて
本格的にやるほどでもなく、
自宅を改装するくらいの規模で充分。

それなら、現在住んでいるマンションの
家賃の範囲で家を建てるのもいいかと
考えるようになったのです。

そこで、コミュニケーションスペースの
あるお家を建てれば、将来は、
主人の喫茶店にも出来るし、
卒業生達も集れるし、
色んな夢が一度に叶うかもしれないと、
家づくりに関心を持つようになりました。

そして、この家とカフェが完成し、
コミュニケーションスペースが、
人と人をつなげる場所として
賑わいのある場所になったことを、
とても嬉しく思っています。


< cafeここにいるよの毎日 >

ご近所の方が集る場所として、
若い方の子育てのご相談もできますし、
毎月気功教室も開催しています。

この他にも、趣味を勉強したり
披露する教室としても使ってもらっています。

音楽を聞いていただいたり、
披露していただくこともあります。

今後は、私は、子供の頃から音楽が好きで、
今でも趣味にしていますので、
親子、友達、卒業生とバンドを作って
ライブが出来たら素敵だなと考えています。

上手下手を気にせず楽しめることが目標で、
介護施設への慰問も、
いつか実現したいと思っています。

ここから、幸せな触れ合いや
笑顔の和を広がれば嬉しいなと思っています。


< 飛栄建設との出逢い >

ところで、私たちが飛栄建設さん、
松田社長に家づくりをお願いしたのは
風水がきっかけです。

「どうぜ家を建てるなら万全を期したい」

そう思って風水の先生に相談したところ
「抗酸化住宅というのがあるよ」と
教えてもらったのがご縁になりました

偶然、私自身も抗酸化作用のある釜で
焼かれたケーキを食べていたので、
それなら、良いかもとい思ったのです。

そんなある日、その先生が飛栄建設さんの
陶板浴に入りたいというので、
一緒に会社にお邪魔することになって、
初めて松田社長とお会いしました。

私は、いつも、人間性を好きになれた人にしか
頼みごとはしないのですが、
第一印象から素晴らしいと感じました。

そこで松田社長にも住宅の相談もすることに。


< 不思議な出逢い >

けれども、当初、主人は松田社長に
頼むのに乗り気ではありませんでした。

理由は、以前から、付き合いがある
大工さんがいたことです。

それと、私たちが木の雰囲気を大切にした
家を建てたいと思っていたこともあります。

A社の木をふんだんに使う雰囲気が
良いなと思ったり、B社のレンガと
白木の家がストーブ一つで温まる
というのも気になっていました。

ところが、会って話してみると、
松田社長は、主人の会社での改装で、
かなりの取引実績があり、それも、
信頼している上司とのつながりなので、
一気に距離が縮まりました。

その上、実は、主人の上司も
飛栄さんに自宅を建ててもらって、
実際に抗酸化が体に良いという話も
聞いたのでさらに安心できました。

駄目押しには、最初、頼もうと
思っていた大工さんが、実は、
松田社長の仕事をしていると
聞いてめぐり合わせが連続したのです。

「これは、飛栄さんに頼むしかない」

運命を感じました。


< こだわり >

あとは、最初の希望だった木やレンガの
雰囲気を自分たちの予算でどこまで
実現できるかがポイントでした。

私たちの予算では、A社やB社は、
殆ど無理だったのですが、飛栄建設さんは、
木とタイルのサイディングを提案してくれたので、
想像以上に良い雰囲気で、
しかも価格も予算内になったのが嬉しかったです。

それから、一番大切なポイントは、
コミュニケーションスペースを、どうすれば、
費用がない中で良く出来るかという点でした。

お金があればいくらでも出来るのでしょうが、
予算の範囲でやるには、最初の予定を
念頭に置きながらも色々と考えなければ行きません。

ここでも、飛栄さんは、
梁の雰囲気を出してくれたりと、
とても親身に考えてくれました。

振返ってみると、予算と夢があって、
その中で、出来る、出来ないがある訳ですが、
いつも誠実に、私たちの立場になって
親身に教えてくれたのが、とても良かったです。


< 幸せのお手伝い >

そして、最終的な決め手は、
やはり松田社長の人間性です。

いつだったか、家づくりについて、
こんな事を話してくれたのですが、夫婦2人とも、
社長の心意気に心から感銘を感じました。

「お家は建てたあと幸せになるのが大事です。
私は、お客さまにお家と一緒に幸せになって欲しい。

けれど、多くの方は、安く建てることや、
カッコよく建てることをゴールにしていて、
住んでみるとシックハウスや使い勝手、
寒いことで悩んでいます。

だからこそ、私は、幸せのお手伝いをしたい」

飛栄建設さんは、社長さんが中心になって、
社員さん、大工さん、基礎、電気屋さん、
みんなが親切です。

きっと、理念がしっかりとしているので、
そんな人しか集まらないんじゃないかと思います。

飛栄建設さんからは
「商売だけれど、商売じゃない。
人間として、満足するものを提供したいという
使命をもってお仕事をしている」のを感じて、
ありがたいと思いました。


< 笑いの絶えない現場 >

プランしてくれた専務さんにも感謝ですし、
大工さんもとても明るくて
雰囲気の良い現場にしてくれました。

笑いのあるお家をつくるには、
笑いの絶えない現場が
なくてはならないと思いました。

近所の人に工事のご挨拶にいった時に
「とても明るい大工さんたちね。
きっと、良いお家が建ちますよ」
といってくれたのですが、
とても嬉しかったし、
ありがたかったです。

金額的に叶えられないものはありますが、
それでも、お取引には充分に満足しています。


< 美味しい >

あと、主人はこんな事を言っていました。

「最初は、この年になって
借金をしたくないので頭から断ろうと思っていた。

けれど、妻の笑顔がなければ生活していても面白くない。

これは、命がけの仕事だけれど、
人生は1回だけなので、どうせなら、
好きな料理が思う存分出来るスペースが欲しかった」

主人は、元々、親御さんが共稼ぎだったことから、
ご兄弟のご飯をつくるようになりました。

お腹をすかせた兄弟が笑顔になるのを見て
作って良かったと思えたそうです。

そして、大人になってからは「美味しい」と
言ってもらえるように頑張っているみたいです。


< 幸せの輪 >

あと、私も、今回の家づくりに関して、
最初は、卒業生達と何かあった時に
会える場所をつくらなきゃと思っていました。

でも、それは違っていたんです。

自分のために、自分が嬉しいなと思えるため、
笑っていられるためにお家を建てる。

夢は見るだけじゃない、叶えるもの。

自分が笑顔になって、色んな人につなげていきたい。

そして、幸せの輪を広げて行きたいと思います。

人生の半分は生きたので、これからは、
笑って生きたいと思います。

お天道様は見ていてくれていると思うので、
きっと、上手くいくと思います。


< 身体に気持ち良い場所 >

私は、何事も続けることが大事だと思っています。
そのために心地良いことを優先しました。

抗酸化にすること、風水、あと、
地元の友達が炭屋さんなので、
2トン半の炭を床下に入れました。

身体に気持ち良い場所になったと思い増す。

もしよければ、一度、おこし下さいませ。

主人の得意料理、鹿肉のカレー、シチューも、
機会があれば、食べてみてもらいたいです。

「和みと癒しのスペース cafe ここにいるよ」
 大滝美千子


主なMENU
~~~~~~~~~~~~
ここよブレンドコーヒー 450円
(おかわり・食後は300円)
カフェラテ 550円

本日のケーキ 350円
ケーキセット 700円

ここよカレー 600円
(スープ・サラダ付き)

スコーン300円
(プレーン・チョコチップ・JWT茶葉入り)

栗山ぜんざい 600円 (冷・温)

※ 他にも沢山あります。

☆ 鹿さんが作った鹿肉入りの
鹿さんカレーもあります
(鹿さんが作った時限定!)

〒063-0035
札幌市西区西野5条7丁目5-25
Tel・Fax(011)557-6093
営業時間 11:00~18:00
定休日 火曜日・祝祭日+α 

お店のブログはこちらです。
http://kokoniiruyo2010.blog118.fc2.com/

松田順治の物語

― 健康住宅との出逢い ―

2001年の夏のこと、当時、名寄に住んでいたある少女が、中学進学のために、札幌にいるおばあちゃんと一緒に暮らす事になりました。ところが、アレルギー体質があり、おばあちゃんの家に来ると涙と鼻水が止まらなくなるというのです。

数年前におじいさんを失い、一人暮らしをしていたそのおばあちゃんは、お孫さんとの生活をとても楽しみにしていました。けれども、今のままでは、お孫さんであるお嬢さんが、ちゃんと中学に通えるか分りません。

「孫のアレルギー、何とかならないかい?」

おばあちゃんから、ご相談を受けた私は、気の毒で胸が苦しくなってしまいました。

お孫さんの症状は、いわゆる「シックハウス症候群」。接着剤に含まれるアセトアルデヒドやホルムアルデヒドに反応して起こります。お孫さんは、普段の生活では何でもないのが、札幌のおばあちゃんの家にくると、目も空けられないくらいに涙が流れて、鼻水が止まらなくなってしまうのです。それくらい症状は深刻でした。


― 何とかしてあげたい ―

実は、住宅建築に使われる接着剤の殆どには、接着力や防腐効果を出すために化学物質が必ず含まれています。そして、この化学物質を完全に無くすことは、現在の技術では不可能なのです。

私は、おばあちゃんの悲しそうな顔をみて「これは何とかしてあげたい」と思いました。

しかし、一般的な方法では、このお孫さんの症状を無くすほどの効果を発揮することは簡単ではありません。

「これは一体どうしたものか」


― そんな馬鹿な!眉唾だろう ―

しばらくの間、私も、思案に暮れていたのですが、ある時「抗酸化溶液」との出逢いがありました。アレルギーをはじめとする健康問題に信じられないほどの効果があるというのです。

そして、ある知人の誘いで、その溶液を販売する会社のセミナーに出席すると、社長さんは「抗酸化溶液」を使用した洗剤のデモを見せてくれました。

実際、不思議な事に手は荒れないし、汚れも落ちるし地球環境にも悪くないということで感動してしまいました。

しかし、何かトリックがあるのかもしれませんし、ましてや、それが住宅に効果があるとはとても思えませんでした。

それでも、アレルギーのお孫さんにとって、一つでも良い情報があれば収穫です。私は、白老にある研究所に出かけて、開発の責任者に会い、「抗酸化溶液」が住宅に応用できるか相談してみる事にしました。

研究所を訪れてみると、驚いたことに、すでに「抗酸化溶液」を建築に活用する「抗酸化工法」のやり方は確立しているとのことでした。コンクリートに混ぜたり、クロスの下地に塗ることで効果を発揮するというのです。そんなに難しい技術ではありません。責任者は「これで、確実に効果がある」と胸を張りました。

「へぇ、そうですか!」といいつ、心の中では「そんな馬鹿な! 眉唾だろう」というのが、私の正直な気持でした。


― 松田さんがいうならやってみましょう ―

しかし、その時点で、私の知る限りにおいて、シックハウスに効果がある対策は他にはありません。さらに、大金がかかるものでもなく、一式、坪2万くらいで可能な工事でした。また、化学物質が機密性の高い室内に放出されなくなるために、強制換気も必要ありません。電気代も少なくて済みそうです。

今回のおばあちゃんの家は、20坪の増築をしてお嬢さんの部屋をつくる予定でしたが、私は、思い切って声をかけてみることにしました。

「実績は無いけれども、開発者のところにいって話を聞いてみました。やってみる価値はあると思います。他には、現在、有効なシックハウス対策はないんです」

「松田さんがいうならやってみましょう」

おばあちゃんのその一言で、「抗酸化工法」第一号工事にGOサインが出ました。

「信じてくれたおばあちゃんのためにも、これは成功させなければならない。責任があるし、絶対に喜ぶ顔が見たい。お孫さんに鼻水が出たり、涙が出ると成績が落ちる。

そうすると、娘さん(お母さん)に何なにを言われるのか分からない。気持ちよく勉強ができる環境をつくってあげたい。それに、これが上手くいけば、困っている人が沢山いるので、その人たちのためにも役に立てるかもしれない」


― お母さんからのご連絡 ―

そして、いよいよ工事開始。私も現場に行って直接指導して、一緒になって取り組みました。完成引渡しが12月。

引越しが終わった後、挨拶に行くと、皆さんびっくりしていました。以前のような症状が一切無いというのです。最初は、みんながニコニコしているのを見て、「ホントかな?」と信じられませんでした。
ところが、翌2002年5月、北海道新聞で、この物語が記事にされました(P10ページ)。取材に来た記者に、そのお孫さんは、自分が辛かったことを伝えたそうです。それを横で見ていたお母さんがびっくりして聞きました。

「あんたそんなに辛かったの? なんでもっと早く言わなかったの?」

お孫さんは「いってもしゃあないしょ」と答えていたそうです。そういう事がありまして、お母さんからご連絡を頂きました。

「子供があれだけ苦しんでいたのを自分も知りませんでした。本当に感謝しています」

それを聞いて、私は初めて喜びがこみ上げてきました。いや、嬉しかった。本当にやって良かった。そんな経験があったのです。

これをきっかけに、飛栄建設は「抗酸化工法」による健康住宅に力を入れることになりました。

以来、住み心地や健康状態の改善について、沢山のお喜びの声を頂いています。

お客さまと一緒に手を取り合って喜んだり、感動できる仕事に出逢えた私は、本当に幸せです。


― よく働く両親や兄弟 ―

私は1947年、10人兄弟の末っ子として積丹の古平で生まれました。両親は農業を中心に、冬場には漁師の手伝いをしたり、夜には縄を編んだりして、本当によく働いていました。祖父が他人の保証人になって莫大な借金を背負い、父がそのまま相続していたため家計はいつも火の車でした。

私や他の兄弟たちも、りんごの袋かけや収穫をはじめ、稲刈りや、苗の温床などもやり、年齢に関係なくみんなが働いていました。

「たまには、俺も遊びたいな」

当然、友達が遊んでいる時にも、家の手伝いをするのは当たり前です。すこし、すねたこともありましたが、よく働く両親や兄弟を見ていて自分も出来るだけ力になりたいと思いましたし、家族はいつも明るい雰囲気でした。

小学校5年生から中学3年までは一日も休まず新聞配達をして生計の足しにしました。田舎ですから家と家の間が離れていて部数も多くはありません。毎朝6時ぐらいに起きて、約1時間の仕事です。夏場は自転車があっていいのですが、冬は腰まで雪に漬かります。それでも、布団の中でじっとしてはいられません。子供といえども、待っている人がいるので、サボるわけにはいかないのです。

結構大変でしたが、やりきれたことは自信になりました。


― 中卒で国鉄ヘ ―

中学の卒業が近づいてくると、進学して中途半端に勉強するより、自分の力で生きていかなきゃと思うようになりました。

「高校の学費ぐらいなら出してやる」

年の離れた兄はそういってくれましたし、奨学金の試験にも合格していたのですが、勉強をするには札幌に出てくる必要があり、高校に通うのは、やはりお金がかかります。

そこで、私は、たまたま求人が出ていた国鉄に就職することにしたのです。

お給料もくれて、勉強させてくれて、学費は出さなくてもいいし、自分の分の食費が浮くので、親の助けにもなるはずだと思いました。

こうして、私は国鉄に入社し、ディーゼル車の整備をすることになったのです。毎日、朝から晩まで油だらけになって、列車のエンジンを解体したり修理したりする流れ作業。

仕事の後、お風呂に入って身体の汚れを落とすのが気持ちいいのと、自分が修理した列車が汽笛を響かせて日本全国を走っているというのがあるので、やりがいを感じていましたし、好きな仕事でした。

15歳で国鉄に入社して、18歳から22歳までの4年間は、札幌市内の定時制の高校に通いました。

あの頃は、どこの学校を出たのかという、学歴で人生が殆ど決まっていましたので、少しでも知識を身につけようと思ったのです。しかし、仕事が終わってから勉強をするのは大変で、半分くらいは寝ていたと思います。

その後、国鉄の中の大学にも挑戦したのですが、試験には落ちてしまいました。

あと、国鉄にいた時代から、私は、実は、「松田組」というのをつくって、建築の仕事をしていました。年の離れた姉のご主人が札幌で工務店をしていて、土日には戸建住宅の基礎をつくる手伝いをしたり、穴を掘るバイトをしていたのです。

それが、20代の頃の話で、30代になると、だんだんエスカレートして、小さな現場を任されるようにまでなっていました。

「うちは息子がいないから会社を継がないか?」

そのお義兄さんから声をかけてもらうようになったのをきっかけに、私は人生について色々と考えるようになりました。


― それが本当の人生か? ―

最終学歴が中学なので、国鉄の中では自分の先が見えてしまっています。あと、列車の修理は機械が相手ですが、直接、お客様の笑顔が見たいという気持ちもありました。

「あと20年頑張って55歳で退職すれば安泰の生活が出来る。でも、それが本当の人生かな? 死ぬ時まで分かる人生って、どうかな?」

そんな事を考えました。そして、自分の努力によって何かが待っているという人生もいいんじゃないか? それが、自分の使命だったんじゃないか? そんな気持ちで、結局は国鉄を退職したのです。

沢山の方から引き止めて頂いて、本当にありがたかったですが、決意は変わりませんでした。一番大変だったのが、妻に決意を話した時で、本当に必死でした。

「贅沢はさせられないかもしれないけれど、食うには絶対困らせない。ついてきてくれないか?」

嫌な顔をされると思いましたが、妻は、「あなたがいいのなら」と言ってくれました。あの時は、本当に嬉しかったです。なぜかというと、彼女は商売をしている家庭に育っていて、家族が顔を合わせることがないという生活を、ずっと、していたからです。家族が揃って食事をしたり、旅行をする事も殆ど無かったそうです。

だからこそ、「結婚するならサラリーマン」と思っていて、やっとサラリーマンのお嫁さんになれたのに、突然、私が独立と言い出したのです。彼女に対しては本当に申し訳なく思いましたが、その分、幸せにしてみせると心の中で誓いました。

私は、まだ国鉄にいた33歳の時に、2級建築士の資格を取得しました。子供もいましたし、お酒好きの友達がたくさんいたのが苦労しました。自分も酒好きなので後ろ髪を引かれましたが、以前なら、3次会、4次会まで行っていたのを、1次会で遠慮して家で眠り、2時・3時に起きて勉強をしました。
資格を取得するのは大変でしたが、いい経験になりました。妻も、そんな姿を見ていてくれたのかもしれません。勉強は大変でしたが、学歴がないので、自分には資格しかないと思っていました。


― 餞別(せんべつ)の電子レンジ ―

こうして、私は、35歳で、建築業界に挑戦することになりました。自分でやるには定年はありませんから、スタートとしては、別に遅いとは思いませんでした。

国鉄の同僚は、「頑張ってくれよ」ということで、餞別(せんべつ)代りに、みんなでお金を出し合って、電子レンジを買ってくれました。「これから、食事が不規則になるだろうから。これで、あったかいものを食べてくれ」。そう、いわれた時には、絶対に成功して、みんなに恩返しをしようと思いました。

はじめて、新築の現場を任してもらえた時には、「任せとけ!」と思いました。すでに15年以上のキャリアがありましたし、職人とも兄弟のような人間関係がありましたので、どんな難しい仕事でもやり通す自信がありました。

さらには、そのお客さまは、私を信用して仕事を任せてくれていたのです。実は、国鉄時代の同僚でした。声をかけてもらった時には、「絶対に、いい仕事をして喜んでもらおう」と思いましたし、嬉しくて涙が出ました。

お引渡しの時には、「頼んでよかったよ」といってもらえましたが、仲間がいること、先輩や、同僚に支えてもらえっていることが、本当に、ありがたかったです。

国鉄を辞めてみて、人が財産だということが初めて分かりましたし、感謝の気持ちが身にしみました。「独立して頑張っているんだな」と言われた時には、ありがたかったですし、認めてもらえたようで、少し、誇らしい気持ちがしました。


― 飛栄建設株式会社を設立 ―

その後、1級建築士を取得しました。特に工務店には必要ありませんでしたが、頑張ったのは、学歴へのコンプレックスがあったからだと思います。

私の人生には常に、「大卒に負けてたまるか」という気持ちがありました。同じ人間でありながら、コースが違うというのに矛盾を感じてもいたのです。

勉強については、2級の時には、国鉄なので、日勤で終わるのが、工務店になると時間がいつ終わるか分からないのが大変でした。打ち合わせや、仕事は、突然の変更もしょっちゅうだったので、決まった勉強の時間が取れなかったのです。

そこで、まずは、昼休み、常に車に積んでいた本を読むようにしました。トイレでも勉強しましたし、早く寝て、早く起きる、2・3時に起きて勉強をするということをしていました。

そして、平成7年、48歳で飛栄建設株式会社を設立しました。元々は、親戚の会社を継ぐという話だったのが、色々な事情があって、私が会社を出ることになったのが直接のきっかけでした。

独立開業資金の1000万円は北海道からの融資で調達しました。15歳の息子を含めて、5人でのスタート。お給料がちゃんと払えるかは心配でしたが、国鉄時代の同僚がお前が会社をやるならということでお客さまを紹介してくれました。

息子はサッカー推薦で、私立の学校に入学したのですが、どうしても学校が嫌いだといって辞めてしまっていました。それなら、「技術を身につけるしかない」ということで大工をやると言いだしたのです。本人なりに、一人前になれば、食いっぱぐれることはないとも考えていたようです。

「この仕事は一人前になるまで時間がかかる。3年・4年は給料はないものと思え。そして、誰にも出来ない事を身につけろ」。そう、息子には言いました。果たして投げ出さずに頑張れるだろうかと心配もしていたのですが、今では、職場の仲間からも、お客さまからも、少しずつ評価されるようになってきたようです。


― 心にポッカリと空いた穴 ―

平成13年、54歳の時に、私にとって第二の転機がやってきました。国鉄時代に、同じ職場でディーゼル車の整備をしていた後輩がガンになって入院しているというのです。

びっくりして病院に行ってみると、意外に、元気そうに見えました。「しばらくぶり。元気かい? 一生懸命やっているよな」。そんな言葉を交わしました。

それから、1年後、その後輩は、フッと亡くなってしまいました。連絡を受けたときには、「え?」という感じです。彼は、とにかく人の面倒見が良く、心のそこから「いい奴なんだ」と信頼している存在でした。困っている人をほっておけない性格で、いつも、人のために何かをしていて、人望がありました。

私も、彼とは、しょっちゅう飲みにいく仲で、何でも腹を割って話せる人間でした。独立をしてからも、多くの同僚や、友人を紹介して助けてくれました。その度に、これは頑張らなければならないと思いましたし、紹介してくれたことは、頭が下がりっぱなしでした。

そんな彼が、一つの恩返しも出来ないまま亡くなったことで、私は、心にポッカリ穴が空いたようで、何も手に付かなくなってしまいました。

そして、それから続けざまに、国鉄の先輩や、同郷の後輩がガンで亡くなりました。

「なぜ、こんな若いうちに癌で亡くならなければならないのか? まだ、子供さんも小さいのに」。不条理に対する憤りで、私は、自分をどうすればいいのか、分からない想いがしました。怒りのぶつけどころがない日々がしばらく続いて、周りにも、かなり心配をかけたと思います。

そんな時に出会ったのが、抗酸化溶液であり、抗酸化工法だったのです。「はじめに」でも、ご紹介させていただいた、お孫さんのアレルギーで悩んでおられる、おばあちゃんに喜んでもらえたことは、第三の転機になりました。

抗酸化溶液を練りこんだ陶板を使用した、陶板浴を会社に設置すると、大勢の方がご利用くださるようになりました。元気になったといってもらえるたびに、嬉しい気持ちで一杯になります。

「病気の予防にも手術後の回復にもいい」「身体が温まる」「元気が出る」。そんなお言葉を頂戴しています。

そして、人間が生活する24時間の中で、快適な住み心地と、健康を実現するために、住宅をきちんとしておくといいな、化学物質の無い住宅を提供したい。そんな想いで、抗酸化健康住宅をご提供させて頂いています。

これまで、普通の生活で悩んでおられた大勢の方から感謝していただき、やってきていることに間違いは無かったと信じています。そして、苦しんでおられる方と出逢う度、大変な思いをされていることに胸が痛みます。快適で、健康的な生活を手に入れるお手伝いさせて頂きたいと思います。

そんな方が、満足して下さることが、私にとっても、嬉しいですし、自信になります。そして、ご紹介を頂く時には、まずは、その方の顔をつぶさないこと、任して下さる方には、責任をきっちりとらせていただいて、喜んでいただきたいと思います。

ご相談して下さる方には、自分の家族と同じように、満足してもらいたいと思います。
家づくりは、一生のお付き合いなので、お引渡しが始まりです。大切なお家と一緒に幸せになって欲しいです。最後まで、お付き合い下さり、ありがとうございました。

住宅や、快適に暮らすコツに関するご相談は、お気軽に、私の携帯電話までご連絡下さいませ。

(090-6269-5111)飛栄建設株式会社 代表取締役 松田順治
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