建築との出逢い
あと、国鉄にいた時代から、私は、実は、「松田組」というのをつくって、建築の仕事をしていました。
年の離れた姉のご主人が札幌で工務店をしていて、土日には戸建住宅の基礎をつくる手伝いをしたり、穴を掘るバイトをしていたのです。
それが、20代の頃の話で、30代になると、だんだんエスカレートして、小さな現場を任されるようにまでなっていました。
「うちは息子がいないから会社を継がないか?」
そのお義兄さんから声をかけてもらうようになったのをきっかけに、私は人生について色々と考えるようになりました。
最終学歴が中学なので、国鉄の中では自分の先が見えてしまっています。
あと、列車の修理は機械が相手ですが、直接、お客様の笑顔が見たいという気持ちもありました。
「あと20年頑張って55歳で退職すれば安泰の生活が出来る。
でも、それが本当の人生かな?
死ぬ時まで分かる人生って、どうかな?」
そんな事を考えました。
そして、自分の努力によって何かが待っているという人生もいいんじゃないか?
それが、自分の使命だったんじゃないか?
そんな気持ちで、結局は国鉄を退職したのです。
沢山の方から引き止めて頂いて、本当にありがたかったですが、決意は変わりませんでした。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20110227/23/kenkou-j/31/14/j/t02200217_0610060311079517973.jpg?caw=800)
飛栄建設 株式会社
代表取締役 松田順治
〒062-0933
札幌市豊平区平岸3条16丁目2-50
TEL:011-821-9886
ご相談はこちらのメールフォームからどうぞ
年の離れた姉のご主人が札幌で工務店をしていて、土日には戸建住宅の基礎をつくる手伝いをしたり、穴を掘るバイトをしていたのです。
それが、20代の頃の話で、30代になると、だんだんエスカレートして、小さな現場を任されるようにまでなっていました。
「うちは息子がいないから会社を継がないか?」
そのお義兄さんから声をかけてもらうようになったのをきっかけに、私は人生について色々と考えるようになりました。
最終学歴が中学なので、国鉄の中では自分の先が見えてしまっています。
あと、列車の修理は機械が相手ですが、直接、お客様の笑顔が見たいという気持ちもありました。
「あと20年頑張って55歳で退職すれば安泰の生活が出来る。
でも、それが本当の人生かな?
死ぬ時まで分かる人生って、どうかな?」
そんな事を考えました。
そして、自分の努力によって何かが待っているという人生もいいんじゃないか?
それが、自分の使命だったんじゃないか?
そんな気持ちで、結局は国鉄を退職したのです。
沢山の方から引き止めて頂いて、本当にありがたかったですが、決意は変わりませんでした。
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自分の力で…
中学の卒業が近づいてくると、進学して中途半端に勉強するより、自分の力で生きていかなきゃと思うようになりました。
「高校の学費ぐらいなら出してやる」
年の離れた兄はそういってくれましたし、奨学金の試験にも合格していたのですが、勉強をするには札幌に出てくる必要があり、高校に通うのは、やはりお金がかかります。
そこで、私は、たまたま求人が出ていた国鉄に就職することにしたのです。
お給料もくれて、勉強させてくれて、学費は出さなくてもいいし、自分の分の食費が浮くので、親の助けにもなるはずだと思いました。
こうして、私は国鉄に入社し、ディーゼル車の整備をすることになったのです。
毎日、朝から晩まで油だらけになって、列車のエンジンを解体したり修理したりする流れ作業。
仕事の後、お風呂に入って身体の汚れを落とすのが気持ちいいのと、自分が修理した列車が汽笛を響かせて日本全国を走っているというのがあるので、やりがいを感じていましたし、好きな仕事でした。
15歳で国鉄に入社して、18歳から22歳までの4年間は、札幌市内の定時制の高校に通いました。
あの頃は、どこの学校を出たのかという、学歴で人生が殆ど決まっていましたので、少しでも知識を身につけようと思ったのです。
しかし、仕事が終わってから勉強をするのは大変で、半分くらいは寝ていたと思います。
その後、国鉄の中の大学にも挑戦したのですが、試験には落ちてしまいました。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20110227/23/kenkou-j/31/14/j/t02200217_0610060311079517973.jpg?caw=800)
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「高校の学費ぐらいなら出してやる」
年の離れた兄はそういってくれましたし、奨学金の試験にも合格していたのですが、勉強をするには札幌に出てくる必要があり、高校に通うのは、やはりお金がかかります。
そこで、私は、たまたま求人が出ていた国鉄に就職することにしたのです。
お給料もくれて、勉強させてくれて、学費は出さなくてもいいし、自分の分の食費が浮くので、親の助けにもなるはずだと思いました。
こうして、私は国鉄に入社し、ディーゼル車の整備をすることになったのです。
毎日、朝から晩まで油だらけになって、列車のエンジンを解体したり修理したりする流れ作業。
仕事の後、お風呂に入って身体の汚れを落とすのが気持ちいいのと、自分が修理した列車が汽笛を響かせて日本全国を走っているというのがあるので、やりがいを感じていましたし、好きな仕事でした。
15歳で国鉄に入社して、18歳から22歳までの4年間は、札幌市内の定時制の高校に通いました。
あの頃は、どこの学校を出たのかという、学歴で人生が殆ど決まっていましたので、少しでも知識を身につけようと思ったのです。
しかし、仕事が終わってから勉強をするのは大変で、半分くらいは寝ていたと思います。
その後、国鉄の中の大学にも挑戦したのですが、試験には落ちてしまいました。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20110227/23/kenkou-j/31/14/j/t02200217_0610060311079517973.jpg?caw=800)
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少年時代
私は1947年、10人兄弟の末っ子として積丹の古平で生まれました。
両親は農業を中心に、冬場には漁師の手伝いをしたり、夜には縄を編んだりして、本当によく働いていました。
祖父が他人の保証人になって莫大な借金を背負い、父がそのまま相続していたため家計はいつも火の車でした。
私や他の兄弟たちも、りんごの袋かけや収穫をはじめ、稲刈りや、苗の温床などもやり、年齢に関係なくみんなが働いていました。
「たまには、俺も遊びたいな」当然、友達が遊んでいる時にも、家の手伝いをするのは当たり前です。
すこし、すねたこともありましたが、よく働く両親や兄弟を見ていて自分も出来るだけ力になりたいと思いましたし、家族はいつも明るい雰囲気でした。
小学校5年生から中学3年までは一日も休まず新聞配達をして生計の足しにしました。
田舎ですから家と家の間が離れていて部数も多くはありません。
毎朝6時ぐらいに起きて、約1時間の仕事です。
夏場は自転車があっていいのですが、冬は腰まで雪に漬かります。
それでも、布団の中でじっとしてはいられません。
子供といえども、待っている人がいるので、サボるわけにはいかないのです。
結構大変でしたが、やりきれたことは自信になりました。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20110227/23/kenkou-j/31/14/j/t02200217_0610060311079517973.jpg?caw=800)
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祖父が他人の保証人になって莫大な借金を背負い、父がそのまま相続していたため家計はいつも火の車でした。
私や他の兄弟たちも、りんごの袋かけや収穫をはじめ、稲刈りや、苗の温床などもやり、年齢に関係なくみんなが働いていました。
「たまには、俺も遊びたいな」当然、友達が遊んでいる時にも、家の手伝いをするのは当たり前です。
すこし、すねたこともありましたが、よく働く両親や兄弟を見ていて自分も出来るだけ力になりたいと思いましたし、家族はいつも明るい雰囲気でした。
小学校5年生から中学3年までは一日も休まず新聞配達をして生計の足しにしました。
田舎ですから家と家の間が離れていて部数も多くはありません。
毎朝6時ぐらいに起きて、約1時間の仕事です。
夏場は自転車があっていいのですが、冬は腰まで雪に漬かります。
それでも、布団の中でじっとしてはいられません。
子供といえども、待っている人がいるので、サボるわけにはいかないのです。
結構大変でしたが、やりきれたことは自信になりました。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20110227/23/kenkou-j/31/14/j/t02200217_0610060311079517973.jpg?caw=800)
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