たたき台をもってこい、といわれたことは誰でもあるでしょう。

いくつかの案をもっていったり、複数回もっていっても、
片っ端から全部ダメという人がいます。

ちょっとイメージが違うんだよねぇ、とか言って。

 

まるで、自分の頭の中にあるイメージを当ててみろと言わんばかりに。

でも実はそういうときは、多くの場合、

その人の頭の中にはイメージがないのですよね。


イメージがあれば、それを伝えてくるはずです。
なかなか伝わらないような場合でも何とか伝えようとしてくるはずです。
それをしない人は、性格が悪いのかとも思えますが、
実は伝えるイメージ自体がないのです。

手の内をあててみろと言われているように思えて、

手の内には何も書いてないのです。

 

 

違うということはわかっても、実は正解はなく、

イメージを描こうともしていない人も結構います。

疲れますね。

 

コンサルティングでも同様のことがあります。
「考えてください」といっても内容が出あぐねているとき、
こちらがこうですか?といくつかあげても、
全部違うと言われることがあります。
それは、実は考えがないということです。

いくらアプローチしても、ないものはないのです。

 

そんなときは、

まずは考えがないことを自覚してもらうことが

結果的に一番の近道になります。

 

でも、プライドの高い人にはそれではうまくいきません。

そんな場合は、誰か第三の人に、

選択肢や候補あげてもらうようにするのが手なのですよね。

 


 

火事になりそうなボヤが起こってしまったとき、
どんな人も、まずはその火を消そうとするでしょう。

 

 

そんな渦中に何も動かずに、なぜボヤが起こったかとか、
再発防止を考える人はまずいないでしょう。

でもそれは目に見えるはっきりしたことだからであって、
日常の仕事や生活の中で、
将来、大ごととなるような危機がすでに起こっていても、
それに目を向けず、事の原因追求や予防策ばかりに

時間をかけている人が意外といます。

 

それも大事ですが、それより今の火消しをしないと、

それらの検討が無意味になってしまうこともあります。


いま危機が起こっていることに気づかない人も多いですが、
まわりから言われてあとでも呑気な人もいます。

自分のことは意外と自分で見えていない。
まわりの人からすると誰が見ても明らかでも、
本人は気づかない。
教えてもらっても、そうとは思わない。
本当に多いのですよね。

人をサポートする側の注意点としては、
自分がこうだから相手もこうだろうと考えるのは
過信だということ。
「ふつうそうするだろう」の「ふつう」は自分だけ
と考えた方が無難です。

ボヤが起きていたら、ふつう火を消すだろうと
思ってはいけません。

自分の思考改革/思考シフトが必要です。
自分の思考の押し付けは、
相手にとって呪いとなることもあります。


 

このページは、思いついたことや、発見したこと、苦労したことなど日々のことや、

ちゃんとしたサイトに掲載するためのメモや準備のために書こうと思っていたはずが、

結構たくさんの人に見ていただいたり、さらに、いいね!をいただいたりしまして、

ちょっと色気が出てきてしまってました。

 

年があけて、今年から毎日何か書こうと考えたのですが、逆に、ちゃんと書こうとか、

見ていただいている人のためになることを書こうとか思ってしまい、

ほとんど書けませんでした。

 

 

なんだか本末転倒な感じになってしまいましたので、

あらためてこのブログを始めた基本に立ち戻り、書いて行こうと思います。

 

もう1月も終わろうとしていますが、「今年」は節分から本格的に始まります。

ということで、それまでに考えを立て直して続けていきます。

 

よろしくお願いいたします。