ベトナムのフーコック島のJWで、マリオットホテルの創業者「J・ウィラード・マリオット」氏を知る。 | 男が仕切る結婚式。

ベトナムのフーコック島のJWで、マリオットホテルの創業者「J・ウィラード・マリオット」氏を知る。

ベトナム🇻🇳フーコック島の「JW Marriott Hotels(JWマリオット)」を訪れてみて...。

 

 

 

 

そもそも「JWマリオット」の「JW」の意味って...となり...😁

 

 

 

 

調べてみたら...。

 

マリオットホテルの創業者「John Willard Marriott(J・ウィラード・マリオット)」の名前からきているんですね...。

 

 

 

 

そういえば、ベトナム🇻🇳には、このフーコック島以外に「HaNoiハノイ」にすっごい!(=建築が凄い!)JWがあって見学させてもらいましたが、

https://ameblo.jp/kenjimovement/entry-12377639076.html

 

 

 

 

その他、

中国人🇨🇳の結婚式でお世話になった杭州そば、安吉(アンジー)の「JW Marriott Zhejiang Anji」、

 

 

 

 

和食の「NOBU」さんのお店が入る、北京🇨🇳の「JW Marriott Beijing」、

 

 

 

 

香港🇭🇰のデザイナー系、The Upper House(ジ・アッパー・ハウス)の隣の「JW Marriott Hong Kong」、

 

 

 

 

インド🇮🇳コルカタ(カルカッタ)空港そばの「JW Marriott Kolkata」、

 

 

 

 

今年も12月にお世話になる、フランス🇫🇷カンヌ、フェラガモブティックそばの「JW Marriott Cannes」、

 

 

 

 

などなど、何気にJWマリオットホテルにも接点もあったんだと...。

 

 

 

 

一応「JWマリオット」はマリオットグループの中の最高級ブランドのようですが、グループの中には、すでにThe.Ritz-Carltonリッツカールトンやら、The St. Regisセントレジス、BVLGARIブルガリホテルやWホテルなどのラグジュアリーブランドがほぼ網羅されてきているので、どのブランドを使用すべきか、社内での差別化も難しそうですね...😁

 

 

 

 

 

特にセントレジスとかとかぶりそうな気がしますが、ストーリーを知ったことで、今後の「JWマリオット」の見方が少し変わりそうです😁

 

 

KENJI / SATO

http://www.gwk2.net

 

 

 

 

John Willard Marriott(J・ウィラード・マリオット)

https://ja.wikipedia.org/wiki/J・ウィラード・マリオット

 

J・ウィラード・マリオット(John Willard Marriott、1900年9月17日 - 1985年8月13日)は、アメリカの実業家。マリオット・インターナショナルの創業者。 アメリカ合衆国ユタ州オグデン近郊のマリオット開拓地にて、父ハイラム・ウィラード・マリオットと母エレン・モリス・マリオットの間に8人兄弟の2男として生まれる。子供時代は家業の農業を手伝い、子供の頃からビジネスの才能を発揮した。1919年から1921年までの2年間末日聖徒イエス・キリスト教会の宣教師としてニューイングランドで伝道活動に携わった後、1923年ウェバー・ジュニアカレッジ(現:Weber State University)卒業、ユタ大学を1926年卒業。 1927年「ホット・ショップ」という名の、わずか9席のルートビア・スタンドをワシントンD.C.にオープンしたのが、マリオットグループ創業のはじまり(1927年5月20日チャールズ・リンドバーグが単独大西洋横断飛行に成功した頃。)。ルートビアスタンドは順調に店舗を増やした。1937年のある日マリオットがワシントンD.C.郊外のフーバー飛行場に隣接するホット・ショップで、乗客が機内に持ち込む飲食物を買っているのに気づき、機内食事業を開拓する。1963年には10の空港と25の航空会社にサービスをするまでに成長する。その他、給食事業、ハイウェイフードサービス、ファーストフード事業、ファミリーレストラン事業を手がけ、1964年に「マリオット・ホット・ショップ」、1967年の創立40周年には「マリオット・コーポレーション」と改名する。 従業員は2万人に達し、1968年にはニューヨーク証券取引所に上場を果たす。後の主力事業となるホテル事業は1957年に開業した「ツインブリッジ・モーターホテル(英語版)」が最初。 1972年に息子のJ・ウィラード・マリオット・ジュニアがCEOに就任するが、現在のマリオットグループにも創業者の思想が引継がれている。有名なポリシーとしては従業員を「アソシエイト(仲間、同僚)」と呼び、「アソシエイト(従業員)を大切にすれば、アソシエイトがお客様を大切にしてくれる」がある。彼は教育に対しても情熱を持っていた。ユタ大学にJ・ウィラード・マリオット図書館(英語版)を寄贈し、モルモン教の指導者としても働いた。ブリガムヤング大学のビジネススクールであるマリオット・スクール・オブ・マネジメント(英語版)では、彼が掲げた企業倫理、道徳観を教えている。 1985年8月13日にニューハンプシャー州の別荘で死去。