大集経に云はく

「仏法実に隠没せば鬚髪爪皆長く、諸法も亦忘失せん。

時に当たって虚空の中に大いなる声ありて地を震ひ、一切皆遍く動ぜんこと猶水上輪の如くならん。

城壁破れ落ち下り屋宇悉くひ拆し、樹林の根・枝・葉・華葉・菓・薬尽きん。

唯浄居天を除きて欲界一切処の七味・三精気損減して、余り有ること無けん。

解説の諸の善論時に当たって一切尽きん。

生ずる所の華菓の味はひ希少にして亦美からず。

諸有の井泉池一切尽く枯涸し、土地悉く鹹鹵し、剔裂して丘澗と成らん。

諸山皆燋然して天竜も雨を降さず。

苗稼皆枯れ死し、生ずる者皆死れ尽くして余草更に生ぜず。

土を雨らし皆昏闇にして日月も明を現ぜず。

四方皆亢旱し、数諸の悪端を現じ、十不善業道・貪瞋癡倍増して、衆生の父母を於ける、之を観ること獐鹿の如くならん。

衆生及び寿命色力威楽減じ、人天の楽を遠離し、皆悉く悪道に堕せん。

是くの如き不善業の悪王・悪比丘、我が正法を毀壊し、天人の道を損減し、諸天善神・王の衆生を悲愍する者、此の濁悪の国を棄てゝ皆悉く余方に向かはん」已上。



通釈

大集経には、邪法が弘まって正しい仏法が埋もれると、仏法の心が廃れ、僧侶は髭や髪の毛や爪を伸ばすようになる。

そのような時には空に大きな音が響いて大地が振動し、地震によって地上のあらゆる建物が崩壊してしまう。

地上から遥か遠い浄居天を除いて、地上からいろいろな味、大地や仏法や人間の生命力が失われていく。

生命力を失って正しい考え方が尽きると、地上の作物も美味しくなくなる。

たくさんの井戸や泉も枯れて、土地は荒れて地割れしていく。

火山が噴火し、天の竜はそれでも雨を降らさず、悉く枯れて草も生えない。

風が土埃を巻き上げて土を降らし、その土が空を覆って太陽や月の光も遮ってしまう。

どこも干ばつで乾き、人の心に十悪の命が生まれ、親不孝者がたくさん現れる。

人々は寿命や体力・精神力が失われ、安楽な境界から遠のき、悉く地獄界・餓鬼界・畜生界の三悪道に堕ちてしまう。

このように正法を信じようとしない悪い国王や謗法の僧侶が、仏様の説かれた正法を打ち破る為に、諸天善神や衆生を愍れむ良き国王たちさえも、皆この邪法に濁った国を捨てて、他に去ってしまうであろうと、大集経に説かれている。

客の曰く、天下の災・国中の難、余独り嘆くのみに非ず、衆皆悲しめり。

今蘭室に入りて初めて芳詞を承るに、神聖去り辞し、災難並び起こるとは何れの経に出でたるや。

其の証拠を聞かん。

主人の曰く、其の文繁多にして其の証弘博なり。

金光明経に云はく

「其の国土に於て此の経有りと雖も未だ嘗て流布せず。捨離の心を生じて聴聞せんことを楽はず、亦供養し尊重し讃歎せず。

四部の衆、持経の人を見るも、亦復尊重し乃至供養すること能はず。

遂に我等及び余の眷属、無量の諸天をして此の甚深の妙法を聞くことを得ず、甘露の味はひに背き正法の流れを失ひて、威光及以勢力有ること無からしむ。

悪趣を増長し、人天を損減して、生死の河に堕ちて涅槃の路に乖かん。

世尊、我等四王並びに諸の眷属及び薬叉等、斯くの如き事を見て、其の国土を捨てゝ擁護の心無けん。

但我等のみ是の王を捨棄するに非ず、必ず無量の国土を守護する諸大善神有らんも皆悉く捨去せん。

既に捨離し已はりなば其の国当に種々の災禍有りて国位を喪失すべし。

一切の人衆皆善心無く、唯繋縛・殺害・瞋諍のみ有って、互ひに相讒諂して枉げて辜無きに及ばん。

疫病流行し、彗星数出で、両の日並び現じ、薄蝕恒無く、黒白の二虹不祥の相を表はし、星流れ地動き、井の内に声を発し、暴雨悪風時節に依らず、常に飢饉に遭ひて苗実成らず、多く他方の怨賊有りて国内を侵掠せば、人民諸の苦悩を受けて、土地として所楽の処有ること無けん」已上。



通釈

客人は言う。

世の中の災難を歎くのは私一人ではない。

皆が悲しんでいる。

今ご主人の立派なお話によれば、謗法が充満している為に諸天善神が去り、魔や悪鬼によって災難が起きるというが、それはどのお経に文証があるのか。

すると主人が答えるには、たくさん説かれている。

譬えば金光明経には、その国に正しい教えが有っても国王がそれを流布せず、正しい教えを聞こうともせず、供養することも尊重することもせず、またすべての信仰者も正法を供養しなければ、四天王や諸天善神は力の源である正法の法味を味わうことができずに威光・勢力を失い、国を守ることができず、そのために国王も力を失っていく。

すると、不幸な命の者が増えて、煩悩に惑わされて成仏の道を失っていく。

四天王はお釈迦様にこう言った。

我々四天王や諸天善神は、仏教を信じない国王の国を擁護する心を失ってしまう。

すると我々四天王が国王を見捨てるだけでなく、その国を守護する諸天善神も、その国を見捨ててしまう為に、その国は種々の災難に襲われ、国王は位を失ってしまうであろう。

諸天に見捨てられた国では、人は悪いことばかり考え、牢に繋がれたり、人を殺したり、争いが起こり、互いに憎んで無実の人が罪を着せられる。

伝染病が弘まり、彗星が現れ、太陽が二つ現れたり、日蝕・月蝕が不規則になり、黒白の不吉な虹などの天変が起こる。

次に地夭として地震や、井戸の中で大きな地鳴りが聞こえたり、大雨・暴風・飢饉によって作物が稔らなくなって食料の危機になり、他国が侵掠してくる。

そのために人々は苦悩し、楽しく暮らすことができないという。

主人の曰く、独り此の事を愁ひて胸臆に憤悱す。

客来たりて共に嘆く、屡談話を致さん。

夫出家して道に入る者は法に依って仏を期するなり。

而るに今神術も協はず、仏威も験無し。

具に当世の体を覿るに、愚かにして後生の疑ひを発こす。

然れば則ち円覆を仰いで恨みを呑み、方載に俯して慮りを深くす。

倩微管を傾け聊経文を披きたるに、世皆正に背き人悉く悪に帰す。

故に善神国を捨てゝ相去り、聖人所を辞して還らず。

是を以て魔来たり鬼来たり、災起こり難起こる。

言はずんばあるべからず。

恐れずんばあるべからず。



通釈

すると主人は、「私もこの悲惨な状況を嘆き悲しんでいた。共にゆっくり語り合おう」と話し始めた。

出家して仏道に入る人は、仏の教えを学んで成仏する。

ところが世の中を見れば、神の力もなくなり、仏の威光も失われている。

よくよく世の中を観察すると、果たして死んだ後に成仏ができるのかと疑いを持ってしまう。

そのくらい現実は悲惨である。

そこで天を仰いでは恨みの心を呑み込み、地面に向かって俯いては深く物事を考えている。

よくよくその原因を求めて人の言葉に耳を傾け、お経文を調べて熟考するに、世の中の多くの人々が皆正法の教えに背き、邪義謗法を信じて重い罪障を作っている。

そのために諸天善神は正法の法味を得て威光勢力を増すことができず、法味に飢えて守護の国土を捨てて天上界の本地に戻ってしまい、修行者もまた去ってしまった。

つまり、国を守る諸天も聖人も悉くいなくなってしまった。

そのために、諸天善神が去って空き家となった神社仏閣には悪鬼・魔神が住みつき、種々の災難を招き寄せている。

このことを言わずにはいられない。

恐れずにはいられない。

旅客来たりて嘆いて曰く、近年より近日に至るまで、天変・地夭・飢饉・疫癘遍く天下に満ち、広く地上に迸る。

牛馬巷に斃れ、骸骨路に充てり。

死を招くの輩既に大半を超え、之を悲しまざるの族敢へて一人も無し。

然る間、或は利剣即是の文を専らにして西土教主の名を唱へ、或は衆病悉除の願を恃みて東方如来の経を誦し、或は病即消滅不老不死の詞を仰いで法華真実の妙文を崇め、或は七難即滅七福即生の句を信じて百座百講の儀を調へ、有る秘密真言の教に因って五瓶の水を灑ぎ、有るは坐禅入定の儀を全うして空観の月を澄まし、若しくは七鬼神の号を書して千門に押し、若しくは五大力の形を図して万戸に懸け、若しくは天地地祗を拝して四角四堺の祭祀を企て、若しくは万民百姓哀れみて国主国宰の徳政を行なふ。

然りと雖も唯肝胆を摧くのみにして弥飢疫に逼り、乞客目に溢れ死人眼に満てり。

臥せる屍を観と為し、並べる尸を橋と作す。

観れば夫二離璧を合はせ、五緯球を連ぬ。

三宝も世に在し、百王未だ窮まらざるに、此の世早く衰へ、其の法何ぞ廃れたるや。

是何なる禍に依り、是何なる誤りに由るや。



通釈

旅の客人が来て主人に歎いて言うことには、この数年、異常気象、大風、台風、大地震、洪水、飢饉、伝染病等が全国に次々に起こり、多くの人々が苦しんでいる。

災害や病によって牛や馬も次々に斃れて死に、その数がたいへん多くて片付けることもままならず、死骸があちこちに放置されたままになっている。

多くの人々もまた、次々に続く災害や伝染病で亡くなってしまった。

家族を亡くした人も多く、このような悲惨な状況を悲しまない人は一人もいない。

その中で、ある人は念仏を唱え、ある人は薬師如来にすがり、ある人は文上の法華経を信じ、また般若経にすがって祈祷をし、ある人は真言密教で祈祷をし、ある人は座禅瞑想をして悟りを開こうとする。

或いは七鬼神の名札を門に貼り付け、また五大力の菩薩を図して家の戸に貼り付け、また天神や地神を拝んで結界を作って神道の祈祷をし、或いは為政者が民衆を愍れんで良い政治を行う。

しかしそれでもうまくいかず、食べ物は不足し、疫病は広がり、町中に乞食が溢れ、また死人は町中に満ちていた。

屍の多さは、それを重ねれば周囲を見渡す物見の台になるほどであり、或いは川に投げ入れられた死体で対岸に繋がって橋のようになってしまうほどに、死体が溢れていた。

考えてみると、太陽と月の光に恵まれ、空では星がきちんと運行をし、仏法が弘まり、八幡大菩薩が百人の王を守ると誓ったがその百人目の王様にまだいたっていないのに、なぜこの世が早く衰え、廃れていくのか。

これは何の禍なのか、何が誤っているのだろうか。

今日は御講の日です。


御講と言えば、


御本尊、日蓮大聖人、日興上人並びに日目上人等、歴代の法主上人にそれぞれ献膳申し上げ、懇ろに読経唱題した後、僧侶の法話があります。そして、このお講を通してお互いの信行学を深め、御報恩の道である正法広布の大願達成を誓い合うのです。

(続 日蓮正宗の行事より)


と言うのが、御講の意義です。


本宗では第2日曜日を御講の日と定め、日蓮正宗の各末寺で、執り行われています。


で、我が支部では昨年の「立正安国論」正義顕揚七百五十年の年にちなんで、「立正安国論」の法話を賜っていたのですが、今回の御講で一応終了となりました。


折角なので、法話の内容をおいおい紹介していこうと思います。