ゴースト・ワーク(メアリー・L・グレイ、シッダールタ・スリ著) | けんじいのイージー趣味三昧

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 この本のタイトル「ゴーストワーク」という言葉を聞いて、てっきり機械に使われる人間の低レベルの仕事というイメージで捉えていたが違っていた。最近聞く「ギグワーク」とほぼ近い概念だ。しかしギグワーカーの端的な事例はウーバーに代表される配達代行業務だが、この本ではもっとずっと幅広くパソコン1台で注文主の名も知らず、きちんとした保証もない中で働く働き方に焦点を当て、多くの人たちにインタビューして書かれている。

 

 

 けんじいの知識の弱い分野であることや、横文字というかカタカナ文字の単語が非常に多い文章のせいで、ぼんやりとしか理解できなかったというのが正直なところだが、目に見えない労働の世界がこんなにも広がっているのかという点でとても新鮮な読み物だった。

 

 まずここでいう「ゴーストワーク」とは、(1)ウーバーと同様、個人請負業主の仕事であること、(2)パソコンかスマホだけで業務の授受が行われること、(3)リクエスター(仕事を出す人)とワーカー(仕事を引き受ける人)はお互いを識別番号だけで認識し、成果報酬の振込先以外の情報は持たないこと、である。

 

 

 また(4)その目的は、企業の雇用コストや取引コストなど中間コストをできる限り減らすかワーカーに負担させること。つまり労働力を募集したり研修したり事務スペースを与えたり福利厚生コストを負担したりすることは全てワーカーの負担になること、(5)しかし一方でワーカーにとっても、両親の面倒や子供の面倒を見るために彼らから離れられない人々でも、パソコン1つで参入が自由だし、人種や障害者のために面接で落とされかねない人が不利を被ることがないという利点がある。

 

 2016年のアメリカの調査によると、労働年齢の人口の8%にあたる2千万人がこのゴーストワークでお金を稼いだと言う。ゴーストワークの世界的な調査はないようだが、この本によるとインドやフィリピンのような英語が日常使われている国に多いし、仕事はそうした国の間にまたがっている。

 

(共著者の一人メアリー・L・グレイ)

 

 そうなのかと思ったのは、我々はAIが発展すれば我々の仕事がなくなってしまうと思いがちだが、著者によればそうではなく、その隙間を埋める仕事が次々と増えているのだと言う。例えば我々が検索エンジンを見たとき、不適切な記事や投稿が除かれているのはそういうゴーストワーカーがそういう不適切なものを取り除く作業を請け負っているからだ。

 

 AIが鳥を見て鳥だと認識するためには膨大な数のパターンから正しいものを選ぶ学習をしなければならないが、「これは鳥である」という写真にラベルを貼る仕事もまたゴーストワーカーの仕事である。ニューヨークで登録された写真との一致度が低いタクシー運転手が現れた時、即座にゴーストワーカーに仕事が飛ぶ。真っ先に仕事を見つけたのがインドのゴーストワーカーかもしれない。この人は写真と送られた現場の画像と比べ、ホクロや傷跡などから直前に理髪に行ったために別人のように見えるが確かに本人であるという判断を即座にして返事する。何セントの労働なのか知らないが。

 

 

 ゴーストワーカーの仕事はこのような単純なものばかりではない。むしろ今盛んになっているのは翻訳や字幕をつける作業などスキルを持つ人たち向けのものだ。現代では同じ商品や映像などのコンテンツがあらゆる国に行きわたる。それにふさわしい訳を付ける作業は地元のゴーストワーカーにピッタリだ。ちょっと毛色の変わった例として、家庭料理を少し余分に作って、ネットを通じて知った欲しい人が取りに行くというサービスまであると言う。著者はチームで作業する大規模なものの例も挙げ、さらにその発展形として協同組合組織による運営というものも考えられると前向きな姿も解説する。

 

 しかし現時点ではやはりゴーストワーカーにとっての問題点の方が多いと指摘する。その1つがトラブルが起きたときの問題だ。コンピュータが唐突に停止した時、全く助けを求めようがない。修復されるのがいつになるのかもわからない。2つ目が仕事の内容がレベルに達しない不満足なものである場合、お金は支払われずそれまでである。苦情を言う先もない。基本的な問題としてワーカーは、仕事があるかどうか絶えず画面を注意していなければならない。そうでないとあっという間に他人にとられてしまう。リクエスターだと思っていたら単にアドレスを収集しているだけの業者だったということもあるかもしれない。もちろん反対側のリスクもある。リクエスターがそれなりの事前準備をしてコストをかけて契約をしたとしても、ゴーストワーカーが突然辞めてしまうこともあるからだ。

 

 

 なお著者は、ゴーストワークが現代に特有の仕事ではなく、既に戦前の時代からあったのだとその歴史をたどり、従業員の管理さえも世界のどこへでも移すことができるようになった近年のアウトソーシングまでの話を語るが、長くなるので省略する。

 この本を読んでいてけんじいは将来の労働の姿をある程度想像することができた。この本では2016年のデータを出しているが、今はもっと多くの仕事がこのように行われているのだろう。パソコン1つで好きな時に好きな仕事をすると言うと聞こえがよいが、それができない人はどうするのか。最後にベーシックインカムの話が出てきているのはその意味で示唆的である。また、「これからは失業中という表現がなくなる、いつも次のための準備中である」とも言える将来の労働の姿である。

 

 悲観的な内容になりがちな分析結果だが、著者がこの調査を通じて、「人々は一緒に何かを創造したいという欲求があることが確認できた」と希望を持たせる言葉があったのは救いだった。


 なお冒頭でも書いたが、カタカナ文字の多い翻訳を読み進むのはかなり苦労した。翻訳者がノア・ハラリの名著「サピエンス全史」や「ホモ・デウス」を訳した柴田裕之さんであることにちょっと驚いた。こんなにも内容によってわかりやすさというか、わかりにくさが違うものかと。