今から30年ほど昔、友人とヨーロッパ旅行したときのことだ。ミラノ駅の窓口でスイス行きの国際列車の切符を買おうと拙い英語で話し始めたら、カウンターにある「番号受付機」を指し示されて恥ずかしい思いをしたことがある。まだ日本では銀行も駅もそういう順番待ちを公平に扱う装置が普及していなかった。今は違う。
昨日行った大病院では、まず診察券を機械が読み取ると「患者案内票」が出てくる。そこに印刷してあるバーコードを、診察科の窓口にある「到着確認機」にかざして待合室にいますよと知らせる。また、血液検査のために「患者案内票」を採血室の窓口の機械にかざすと採血番号を書いた紙が出てきて順番を待つ。
ここで戸惑ったのは、到着確認はバーコードを裏返して、読み取り機様に向けて読んでいただくようにするのだが、採血室の窓口の機械を同じようにすると反応しない。よく見るとこっちの方はカメラが上についているようで、バーコードを裏返すことなくそのまま置くと読み取ることがわかった。ようやく納得したところに、おばさんが「これどうやるのですか」と聞いてきた。
同じ病院でこんな表を向けるのと裏を向けるのと読み取り装置が2種類あるなんて、全くお客のことは2の次の、その部署その部署での部分最適を求めた結果だろうと思う。
スガはデジタル庁を作ってデジタル化を進めるそうだが、問題は機械ではなく国民にとっていかに使いやすくできるかだろう。それこそ各省庁ごとに部分最適を求めたデジタル化では意味がない。
ではマイナンバーで全てが使える便利なものができればいいのかということになるが、ここでの大問題は官への信頼度である。すべての個人情報をマイナンバーで管理されてしまうことになって心配はないのか。大ありである。
そもそも今の官僚はモリカケサクラの事件で、権力者のためなら改ざんや隠蔽、もみ消しを厭わないことが非常によくわかった。厭う人は自殺する。いや、自殺しなくても「いうことを聞かない官僚はやめてもらう」と脅す人が最高権力者としているのだから、嘘でもなんでもしなくてはならないだろう。
そんな官僚に大事な個人情報なんか預けられるものか。日本のデジタル化の鍵は、部分最適ではない国民全体の観点からの最適化が出来るかだが、その前に国民から官への信頼を得ることが大前提であることを強く思うのである。
少なくとも今の政府にそれはできない。取り替えるしかない。