おとぎの島与論島の思い出 | けんじいのイージー趣味三昧

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けんじいの3大趣味である山歩き、鉄道模型製作、オカリナ・ハーモニカ演奏を中心に好きなことを書くブログです。Yahooからの移行ですが、よろしくお願いします。

 沖縄のアメリカ軍基地をどうするかが問題になっている。美しい沖縄の海という話が出てくるが、僕(今日は若い頃の話なので僕)にとって沖縄の海よりも美しい与論の海は終生忘れられない。

 大学4年生の10月だった。同じ学生寮に住んでいた友人がすでに行って、余りに素晴らしいというので、やはり同じ寮生と二人東京から出かけた。沖縄返還前だから、日本の端という興味もあった。鹿児島まで国鉄の急行で24時間以上、若いから寝台など使わない。鹿児島港からは奄美大島、徳之島、沖永良部島の順に停泊しながら与論島まで行く定期船に乗るので、これまた10数時間かかった。

 下船したのは、地元の人のほか我々とヒッピー染みた若者が数人だけ。宿泊場所として、夏が終わりすでに閉鎖されていたバンガロー(といっても数十人が寝られる大きな茅葺、板敷きの掘っ立て小屋)を開けてもらった。この管理人杉山さんがくれた名刺には「日本社会党与論支部長」とあった。
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 他の連中はどこへ行ったのか、バンガローに泊まったのは我々二人だけ。管理人が遠くからよく来たと、その日からあっちこっち案内してくれる。サバニと呼ばれる小舟に乗って、干潮のときだけ沖合いに現れる百合が浜へ。素潜りして見る与論の海底は、色とりどりのサンゴ礁とその周りを鮮やかな色彩の熱帯魚が泳ぎまわる竜宮城。その透明さと美しさは何度潜っても飽きることがない。管理人は「隣の琉球が竜宮城なんだよ」と教えてくれた。

 東南アジアの漁師としか思えない、パンツ一丁で現れた別のおじさんの小舟には、乗って間もなく波にひっくり返され全員ずぶぬれ。それでもめったにない経験というか、何か得した気分になったのだろう、浜に上がってごく自然に大笑いした。
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 夜は元小学校長というおじいさんの家に案内してもらい、蛇皮線の演奏を聴く。悲しげな音楽とともに、室内に張り付いたヤモリが妙に記憶に残っている。社会党支部長は「この先生は大内さん。忘れたら大内兵衛と思い出せばいい。」と言ったが、これが唯一の左翼らしい発言だった。

 夜と言えば、ちょっと恐かった。近くに人里がないのでまわりは真っ暗。我々の米を狙って就寝中にネズミが出没する。大きなクモが天井から降りてくる。外ではアフリカマイマイかアメリカマイマイか、大きなヤドカリが走り回る。

 島内を循環するバスを待っていたときだ。地元のおばあさんが我々になにごとか話しかけた。しかし分かる単語は絶無。わずかに「パンガロー」という単語を聞き分けた僕は、「そう、パンガロー泊まってる。バス待つ。」と必死に叫んでいた。それを聞いた相棒が大爆笑。「なんでお前はテニヲハ抜きで喋っているんだ。」それに気付いた僕がまた大笑い。おばあさんも笑っている。それを遠くから見ていた地元の子供が「パンカター」と叫んだ。おばあさんを笑いものにしているように見えたのかもしれない。「ばか」と言っているのだろうと想像できた。

 あれから40年。左翼だった同行の友人が今は盛んに右翼的言辞を吐くことにも、歳月の流れを感じる。