ハーブヨガ講師養成講座の合宿 第一回がなんとか終了
さて、7/11から行われた合宿講座なのですが、
昨日をもって一旦終了です。
月曜から土曜日まで怒濤の一週間でしたが、
皆さんは着実にステップを踏んで、試験をクリアして頂きました。
まぁ、勿論、これで終わりというわけではなく、むしろ始まりですね。
今後、参加者の皆さんはここから実際にプロとしての腕前を磨くべく
サポートしていきたいと思います。
また、私たち自身ももっともっと腕を磨き、
教材を充実させていかなければ・・・と思っているわけであります。
執筆中なのだが
ただいま、冨美江氏と二人してハーブヨガを執筆中な訳です、
いやはや、コンセプトや症状ごとの対処法はいくらでも書けるのに、
運動理論はやはり書きづらい。
自分が普段読んでいる本の分野的に見ても、運動分野のものは蓄積が少ないからなのだろう。
ヨガの書籍であっても解剖学うんぬんとか、筋肉うんぬんなんてものは少ないからだ。
そもそもヨガのアーサナは筋肉や骨格を孤立させて動かすものではなく、
全身のエネルギーを循環させるもの。
現代的な解剖学ではどうしても捉えられないものが、その背景にはある。
でもまぁ、解剖学的に見ても当然、効果はあるわけで、それはきっちりと言わなければいけない・・・。
綱渡りをしながら、今日も頑張ろうと思うのであった。
いやはや、コンセプトや症状ごとの対処法はいくらでも書けるのに、
運動理論はやはり書きづらい。
自分が普段読んでいる本の分野的に見ても、運動分野のものは蓄積が少ないからなのだろう。
ヨガの書籍であっても解剖学うんぬんとか、筋肉うんぬんなんてものは少ないからだ。
そもそもヨガのアーサナは筋肉や骨格を孤立させて動かすものではなく、
全身のエネルギーを循環させるもの。
現代的な解剖学ではどうしても捉えられないものが、その背景にはある。
でもまぁ、解剖学的に見ても当然、効果はあるわけで、それはきっちりと言わなければいけない・・・。
綱渡りをしながら、今日も頑張ろうと思うのであった。
タイのコーヒーはなぜにここまで甘いのか、いや、紅茶も甘いのだが
タイのコーヒーはなぜにここまで甘いのか、いや、紅茶も甘いのだが。
飲んだ後にシュガーショックでぐらっと来るぐらい、
やたらと甘いのである。
そして、口の中はべたべたとなるのだが、たまに飲みたくなるのは否定できない。
今朝は散歩がてらに、近所の雑貨屋的な場所で粉コーヒーを買った。
3 in 1!
とパッケージに書かれている奴で、コーヒーとミルク(粉)と砂糖が一緒になった奴なのだ。
これはけっこう甘く、そして、なんだかコーヒー以外の味もするのだが、
中々、乙な味なのだね。
無論、自分でいれたコーヒーの方が数倍おいしいのだけれど、
たまにはだらけたい時もあり、そんな時はこれを飲む。
タイには道ばたでコーヒーや紅茶の屋台を見かけることも多いのだが、
そのコーヒーはさらに甘い。
しかし、練乳と砂糖とミルクと、そして苦いコーヒーのコンビネーションは秀逸なのだ。
滅多なことでは飲まないが、たまに頼みたくなる味だ。
アイスコーヒーの場合は、「カフェイェン」、
アイスティーの場合は「チャーイェン」と頼むのは
5歳になる我が息子ですら知っている常識である。
アイスティーの場合は独特の癖があるので好き嫌いが分かれそうだけれど、
一度嵌まった人間には中々去りがたい、中毒性のある味だ。
タイランドに来たら是非、そんなジャンクなコーヒー&ティーを賞味頂きたい。
飲んだ後にシュガーショックでぐらっと来るぐらい、
やたらと甘いのである。
そして、口の中はべたべたとなるのだが、たまに飲みたくなるのは否定できない。
今朝は散歩がてらに、近所の雑貨屋的な場所で粉コーヒーを買った。
3 in 1!
とパッケージに書かれている奴で、コーヒーとミルク(粉)と砂糖が一緒になった奴なのだ。
これはけっこう甘く、そして、なんだかコーヒー以外の味もするのだが、
中々、乙な味なのだね。
無論、自分でいれたコーヒーの方が数倍おいしいのだけれど、
たまにはだらけたい時もあり、そんな時はこれを飲む。
タイには道ばたでコーヒーや紅茶の屋台を見かけることも多いのだが、
そのコーヒーはさらに甘い。
しかし、練乳と砂糖とミルクと、そして苦いコーヒーのコンビネーションは秀逸なのだ。
滅多なことでは飲まないが、たまに頼みたくなる味だ。
アイスコーヒーの場合は、「カフェイェン」、
アイスティーの場合は「チャーイェン」と頼むのは
5歳になる我が息子ですら知っている常識である。
アイスティーの場合は独特の癖があるので好き嫌いが分かれそうだけれど、
一度嵌まった人間には中々去りがたい、中毒性のある味だ。
タイランドに来たら是非、そんなジャンクなコーヒー&ティーを賞味頂きたい。
ハコミメソッド:生き方が人を変える
現在、ハコミメソッドというアメリカ発のカウンセリング法を学習中だ。
無論、書籍と実地研修の往復を用いた独学であるが・・・。
素晴らしい知見が満載なので、是非、諸兄らも読むべきだとおすすめできる。
特にクライエントにマインドフルネスの状態(自分の精神の変化に敏感な状態)になってもらって、
そこから相手にとっての核心的な言葉を投げかけ、
気づきをもたらし癒やしていくプロセスは芸術的と言ってもいい。
ハコミ・メソッド―からだを手がかりに無意識とつながる/ロン クルツ

¥1,890
Amazon.co.jp
その中で特徴的なのが、
カウンセラーの精神状態がクライエントの意識に大きく働きかけると言うことだ。
まぁ、そんなものは人と接することを生業としていれば
当然の話で誰もが知っているとは思うけれど、話はそれで終わりではない。
私は思うのだが、
カウンセラーの精神状態というものは結局のところ、
「生き方」そのものにしか過ぎないのではないだろうか?
私たちの精神は突発的に生まれた物ではない。
胎児期より少しずつ形成されていった物であり、
一朝一夕に変化できるものではないのだ。
よって、カウンセラーの精神的な傾向というものは、
これまでの生き方そのものとなり、
そして、その人自身が普段から行っている日常的な習慣そのものとなる。
そんな、ややこしくて個人差が大きいものが反映されるというのだから、非常に恐ろしい話だ。
私たちは人を癒やしたり、元気づけたりするカウンセリングメソッドを学ぶと、
それらは科学的で普遍的に役に立つような錯覚を感じてしまう。
しかし、それは危険なのだ。
それは結局、カウンセラーというバイアスを通してしか世界に現れないのだから。
カウンセラーの生き方が歪んでいればメソッドの理論がいくら正しくても、
癒やしや活性化にはつながらない。
自分の症状や関係性に向き合わないまま盲目的にメソッドだけを実行してしまうと言うのは、結局、現実逃避にしか他ならない。
その結果は、いびつな方向に生徒を誘導してしまうと言う危険性すらあるのだ。
そうである以上、私たちは常に生き方を模索し、鍛え、習慣を新しくしていかなければならない。
こういったことを養成講座でも指導しないと、頭でっかちな講師だけを量産することになるので、日夜、冨美江氏と話し合っている。
大事なのは各人が自分の日常を、大事な人と楽しんでいるかなのだ。
何かの技術を学んで、一応の型ができるようになったら、それで終わりなんてことは絶対にないのだ。
自分自身の関係性、肉体、言葉、行動…、全てを洗練させていかなければならない。
特に私はデカダン気質ですぐに堕落してしまうのだから。
自戒の念も込めて書くけれど、よく生きるための道を模索し、一歩ずつでも歩み続けようと思う。
>>鳥蝶の養成講座はこちら
無論、書籍と実地研修の往復を用いた独学であるが・・・。
素晴らしい知見が満載なので、是非、諸兄らも読むべきだとおすすめできる。
特にクライエントにマインドフルネスの状態(自分の精神の変化に敏感な状態)になってもらって、
そこから相手にとっての核心的な言葉を投げかけ、
気づきをもたらし癒やしていくプロセスは芸術的と言ってもいい。
ハコミ・メソッド―からだを手がかりに無意識とつながる/ロン クルツ

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その中で特徴的なのが、
カウンセラーの精神状態がクライエントの意識に大きく働きかけると言うことだ。
まぁ、そんなものは人と接することを生業としていれば
当然の話で誰もが知っているとは思うけれど、話はそれで終わりではない。
私は思うのだが、
カウンセラーの精神状態というものは結局のところ、
「生き方」そのものにしか過ぎないのではないだろうか?
私たちの精神は突発的に生まれた物ではない。
胎児期より少しずつ形成されていった物であり、
一朝一夕に変化できるものではないのだ。
よって、カウンセラーの精神的な傾向というものは、
これまでの生き方そのものとなり、
そして、その人自身が普段から行っている日常的な習慣そのものとなる。
そんな、ややこしくて個人差が大きいものが反映されるというのだから、非常に恐ろしい話だ。
私たちは人を癒やしたり、元気づけたりするカウンセリングメソッドを学ぶと、
それらは科学的で普遍的に役に立つような錯覚を感じてしまう。
しかし、それは危険なのだ。
それは結局、カウンセラーというバイアスを通してしか世界に現れないのだから。
カウンセラーの生き方が歪んでいればメソッドの理論がいくら正しくても、
癒やしや活性化にはつながらない。
自分の症状や関係性に向き合わないまま盲目的にメソッドだけを実行してしまうと言うのは、結局、現実逃避にしか他ならない。
その結果は、いびつな方向に生徒を誘導してしまうと言う危険性すらあるのだ。
そうである以上、私たちは常に生き方を模索し、鍛え、習慣を新しくしていかなければならない。
こういったことを養成講座でも指導しないと、頭でっかちな講師だけを量産することになるので、日夜、冨美江氏と話し合っている。
大事なのは各人が自分の日常を、大事な人と楽しんでいるかなのだ。
何かの技術を学んで、一応の型ができるようになったら、それで終わりなんてことは絶対にないのだ。
自分自身の関係性、肉体、言葉、行動…、全てを洗練させていかなければならない。
特に私はデカダン気質ですぐに堕落してしまうのだから。
自戒の念も込めて書くけれど、よく生きるための道を模索し、一歩ずつでも歩み続けようと思う。
>>鳥蝶の養成講座はこちら
執筆とブログ
ただ今、ハーブヨガの企画を執筆中。
冨美江氏と気合いを入れて書いています。
書くのはやたらと早い性分な物ですが、
いやはや、ブログを更新するのだけは億劫になってしまう。
単に怠け者であるというのは確かな話なんだけれど…。
確かに、こうやって「現場から離れて」物を書ける場所というのはありがたい。
自由に書ける。
自由に考えられる。
しかし、生産的ではないのでなんだか時間が惜しいような気分になるのだ。
個人的には学生時代から引きこもりがちな性格でもあるので、
こもっていた方が執筆をやりやすいというのはある。
できればカフェとかホテルでがががっと書きたい。
しかし、昔からアイデアが出るのはトイレや馬上なんて言って、
現場から離れた場所であることが多いことも事実。
その意味では、ブログを書くのもたまにはいいのだろうか。
こうやって現場とそれ以外を往復しながら、色々な着想を得ていこうというわけで、
しばらくブログも復帰しますw
冨美江氏と気合いを入れて書いています。
書くのはやたらと早い性分な物ですが、
いやはや、ブログを更新するのだけは億劫になってしまう。
単に怠け者であるというのは確かな話なんだけれど…。
確かに、こうやって「現場から離れて」物を書ける場所というのはありがたい。
自由に書ける。
自由に考えられる。
しかし、生産的ではないのでなんだか時間が惜しいような気分になるのだ。
個人的には学生時代から引きこもりがちな性格でもあるので、
こもっていた方が執筆をやりやすいというのはある。
できればカフェとかホテルでがががっと書きたい。
しかし、昔からアイデアが出るのはトイレや馬上なんて言って、
現場から離れた場所であることが多いことも事実。
その意味では、ブログを書くのもたまにはいいのだろうか。
こうやって現場とそれ以外を往復しながら、色々な着想を得ていこうというわけで、
しばらくブログも復帰しますw
(食とコンビニ)序章:コンビニで働くということ
今回は序章である。
大学生の頃、地方から出てきた私は何の気もなしにコンビニのバイトを選んだ。
理由は時給が1000円で一回の夜勤で1万円入るというのが魅力的だったからだ。
今更考えると、もっと頭を使えば時給が高い職種なんて色々あったわけだけど、
当時はその程度のおつむしか持っていなかったわけだ。
ため息が出るほど情けない話で、今の自分なら1時間ほど説教すると思う。
あ、今、どうしてコンビニに勤めたのか思い出した。
・・・そういえば、髪の毛を赤とか青とかそんな滅茶苦茶な色に染めていたので、
そんな馬鹿な髪の色でも雇ってもらえるところがコンビニだったというのもあったな、今考えると。
若い時は根拠の無い拘りゆえに無謀なことをするというが、
これもまたそれだな、と思う次第である。
私はその当時、廃棄でもらえる弁当で生活していたといっても過言ではない。
週に2回夜勤に入るわけだけど、
その際にどっさりと廃棄のおにぎりやお弁当が出て、
それらの中から美味しいと思われるものを貰って食べていた。
たかり根性のようなものだけれど、それが高じてくると、
「あの鮭弁当、売れ残ってくれないかなぁ~」
と思うようになり、もし、その目星をつけた弁当を買っていくお客さんがいようものなら
内心、舌打ちをしていたものである。
いや、むしろ、呪ったね。
それぐらい心根が浅ましかったわけであるが、
それが食欲という人間の本能に近いものだから仕方が無い。
私の名誉にかけて言うが、これは私が悪いわけではない。
・・・きっと育ちが悪いのだ。
約2年ほど、コンビニの夜勤バイトという過酷な労働現場を勤め上げた私であったが、
昔の彼女(今の宗冨美江)に説得されて、いやいやコンビニのバイトをやめてしまった。
その理由は体調不良である。
一回、夜勤を行うと、肩がガチガチになり、腰はずきずき痛み、目の奥もぐぐぅっと重くなるのだ。
毎回が毎回そうなので、彼女としても放っておけるはずも無い。
その頃から押しの強い彼女のことだから、
『お前、とりあえずコンビニ止めろ』
となるのは時間の問題だったわけだ。
コンビニ時代の食生活は毎回がコンビニ弁当であるから、
当然、栄養も偏る。
しかし、私の場合、太ることは無く、むしろ2キロ程度痩せた。
きっと労働環境は好ましくなかったからだろうか。
(事実、コンビニ強盗に二度ほど入られたこともある)
それぐらい、コンビニは働く人の健康に大きく影響を与える。
特にあの蛍光灯が。
日本にコンビには何万店もあると思うけれど、
その影響力は非常に大きいといわざるを得ない。
今回は少々、昔話的なものを書いたが、
次回は現代人の食をコンビニがいかに破壊するかについて考えたい。
そんなわけで続く…。
大学生の頃、地方から出てきた私は何の気もなしにコンビニのバイトを選んだ。
理由は時給が1000円で一回の夜勤で1万円入るというのが魅力的だったからだ。
今更考えると、もっと頭を使えば時給が高い職種なんて色々あったわけだけど、
当時はその程度のおつむしか持っていなかったわけだ。
ため息が出るほど情けない話で、今の自分なら1時間ほど説教すると思う。
あ、今、どうしてコンビニに勤めたのか思い出した。
・・・そういえば、髪の毛を赤とか青とかそんな滅茶苦茶な色に染めていたので、
そんな馬鹿な髪の色でも雇ってもらえるところがコンビニだったというのもあったな、今考えると。
若い時は根拠の無い拘りゆえに無謀なことをするというが、
これもまたそれだな、と思う次第である。
私はその当時、廃棄でもらえる弁当で生活していたといっても過言ではない。
週に2回夜勤に入るわけだけど、
その際にどっさりと廃棄のおにぎりやお弁当が出て、
それらの中から美味しいと思われるものを貰って食べていた。
たかり根性のようなものだけれど、それが高じてくると、
「あの鮭弁当、売れ残ってくれないかなぁ~」
と思うようになり、もし、その目星をつけた弁当を買っていくお客さんがいようものなら
内心、舌打ちをしていたものである。
いや、むしろ、呪ったね。
それぐらい心根が浅ましかったわけであるが、
それが食欲という人間の本能に近いものだから仕方が無い。
私の名誉にかけて言うが、これは私が悪いわけではない。
・・・きっと育ちが悪いのだ。
約2年ほど、コンビニの夜勤バイトという過酷な労働現場を勤め上げた私であったが、
昔の彼女(今の宗冨美江)に説得されて、いやいやコンビニのバイトをやめてしまった。
その理由は体調不良である。
一回、夜勤を行うと、肩がガチガチになり、腰はずきずき痛み、目の奥もぐぐぅっと重くなるのだ。
毎回が毎回そうなので、彼女としても放っておけるはずも無い。
その頃から押しの強い彼女のことだから、
『お前、とりあえずコンビニ止めろ』
となるのは時間の問題だったわけだ。
コンビニ時代の食生活は毎回がコンビニ弁当であるから、
当然、栄養も偏る。
しかし、私の場合、太ることは無く、むしろ2キロ程度痩せた。
きっと労働環境は好ましくなかったからだろうか。
(事実、コンビニ強盗に二度ほど入られたこともある)
それぐらい、コンビニは働く人の健康に大きく影響を与える。
特にあの蛍光灯が。
日本にコンビには何万店もあると思うけれど、
その影響力は非常に大きいといわざるを得ない。
今回は少々、昔話的なものを書いたが、
次回は現代人の食をコンビニがいかに破壊するかについて考えたい。
そんなわけで続く…。
FOODLAND@THONGLOR 8に行ってみたの巻
あまりに久々の更新でこんな話題も面目ないが、
本日は空き時間を利用して、息子とトンローソイ8のスーパーマーケットに行って来た。
そこはFood Landという名前のスーパーで、
新規オープンしていたのが気になっていたのだ。
サロンでは食品の食べ方だけにとどまらず、買い方なども指導しているため、
新しいスーパーなどには非常に心惹かれてしまう。
そんなわけで地下一階のスーパーに入ってみたわけだ。
※皆さんも新店舗には積極的に足を運び、品揃えや野菜の鮮度に目を配ろう。
そこからお店の姿勢が見えてくるはずだから。
24時間営業のスーパーはバンコクにも何店舗かあるが、
ここはその先駆け的な存在だ。
中はヴィラマーケットなどの欧米のスーパーを模したスーパーマーケットと変わらず。
品揃えはまぁまぁか。
24時間営業なので、結構絞っている感じ。
どういうわけか蒸し器やポットなども売っているのだが、
場所の割りに売り上げは少ないと思う・・・。
それとも、夜中の2時とかに急に蒸し鶏が食べたい人などがやってくるのであろうか。
謎である、まったく。
それにしても、24時間営業の店だからか、蛍光灯がひどく明るくて神経に障る。
首の後ろの風池のあたりから、おかしなものが入ってきそうな気分。
これならちょっと薄暗い系のスーパーのほうが好きだ。
その後、息子と私は一応の『査察』を終えて、家に戻る。
街歩きの際に改めて気づいたのだが、
トンローに限らず、バンコクの街は歩道が結構がたがたで、子連れには結構つらい。
道のど真ん中に街路樹や選挙ポスターなどがどかんと置いてある。
それが全く、うんざりする時もあるわけで、無造作な都市計画の悲哀を感じる。
でも、きっと10年たっても変わらないだろうなぁ、タイだし・・・。
などと思う次第である。
本日は空き時間を利用して、息子とトンローソイ8のスーパーマーケットに行って来た。
そこはFood Landという名前のスーパーで、
新規オープンしていたのが気になっていたのだ。
サロンでは食品の食べ方だけにとどまらず、買い方なども指導しているため、
新しいスーパーなどには非常に心惹かれてしまう。
そんなわけで地下一階のスーパーに入ってみたわけだ。
※皆さんも新店舗には積極的に足を運び、品揃えや野菜の鮮度に目を配ろう。
そこからお店の姿勢が見えてくるはずだから。
24時間営業のスーパーはバンコクにも何店舗かあるが、
ここはその先駆け的な存在だ。
中はヴィラマーケットなどの欧米のスーパーを模したスーパーマーケットと変わらず。
品揃えはまぁまぁか。
24時間営業なので、結構絞っている感じ。
どういうわけか蒸し器やポットなども売っているのだが、
場所の割りに売り上げは少ないと思う・・・。
それとも、夜中の2時とかに急に蒸し鶏が食べたい人などがやってくるのであろうか。
謎である、まったく。
それにしても、24時間営業の店だからか、蛍光灯がひどく明るくて神経に障る。
首の後ろの風池のあたりから、おかしなものが入ってきそうな気分。
これならちょっと薄暗い系のスーパーのほうが好きだ。
その後、息子と私は一応の『査察』を終えて、家に戻る。
街歩きの際に改めて気づいたのだが、
トンローに限らず、バンコクの街は歩道が結構がたがたで、子連れには結構つらい。
道のど真ん中に街路樹や選挙ポスターなどがどかんと置いてある。
それが全く、うんざりする時もあるわけで、無造作な都市計画の悲哀を感じる。
でも、きっと10年たっても変わらないだろうなぁ、タイだし・・・。
などと思う次第である。
バンコクと昼とコーランの詠唱と。
サロンのある場所はトンロー地区の奥まった場所にあるのだが、
周囲にはタイ人のムリスムが多くすんでいる。
朝、通りを散歩すると挨拶してくれるような気のいい人たちなのだが、
お昼頃になると、コーランの詠唱を行っているのが聞こえてくる。
講座の参加者の皆さんと、
お昼ご飯を食べようとしている時のことだった。
独特の声調と厳かな祈りの声。
全身で祈りを表すのか、生声でもよく通る。
日本では中々日常的には耳にすることがないから、
すぐにその特異さに気づく。
タイは仏教徒の国とされているが、
ところがどっこい、多くのムスリムもいるし、クリスチャンもいる。
タイ南部では凄惨な独立運動が起き、
ムリスムに対しておかしな印象を抱きがちになるが、
ところがどっこい、バンコクのムスリムの社会はかなり平和的で牧歌的でもある。
願わくばこの平和が続くようにと祈るばかりである。
鳥蝶の講座の参加者の皆さんには、
多くの文化交流の舞台となった
多文化的なバンコクという土地もしっかりと味わって欲しい。
鳥蝶の講座はこちら:
>>ホリスティックカウンセラー養成講座
>>ハーブヨガ講師養成講座
周囲にはタイ人のムリスムが多くすんでいる。
朝、通りを散歩すると挨拶してくれるような気のいい人たちなのだが、
お昼頃になると、コーランの詠唱を行っているのが聞こえてくる。
講座の参加者の皆さんと、
お昼ご飯を食べようとしている時のことだった。
独特の声調と厳かな祈りの声。
全身で祈りを表すのか、生声でもよく通る。
日本では中々日常的には耳にすることがないから、
すぐにその特異さに気づく。
タイは仏教徒の国とされているが、
ところがどっこい、多くのムスリムもいるし、クリスチャンもいる。
タイ南部では凄惨な独立運動が起き、
ムリスムに対しておかしな印象を抱きがちになるが、
ところがどっこい、バンコクのムスリムの社会はかなり平和的で牧歌的でもある。
願わくばこの平和が続くようにと祈るばかりである。
鳥蝶の講座の参加者の皆さんには、
多くの文化交流の舞台となった
多文化的なバンコクという土地もしっかりと味わって欲しい。
鳥蝶の講座はこちら:
>>ホリスティックカウンセラー養成講座
>>ハーブヨガ講師養成講座
自然療法とハーブヨガ:執筆に向けて
東城百合子先生の自然療法は、
いまさら紹介するべきでもないはずの名著である。
先生は代替医療の旗手でもあるのだけれど、
誤解されている部分もあるのではないかと思うこともある。
それは、
「びわの葉」が効く!
「セイタカアワダチソウ」が効く!
といった「~が効く」という安易な自然療法の解釈がまかり通っているからだ。
これには異議を唱えたい。
少なくとも東城先生のものは、「~を摂ったから治った!」というような、そんな生易しいものではない。
これは私見にしか過ぎないけれど、
自然療法とは自然の命を頂いて、自分の命を永らえさせる療法である。
そのプロセスは、
自分の命、自然の恵み、そして自分の周り・環境というものに
目を向け、対話し、懺悔し、喧嘩を売っていくことであり、
自分の生き方を研ぎ澄ませて行くのが目的だ。
決して、びわの葉っぱに含まれている成分だけが効かせるのではない。
自分の中で有機的に起こる反応こそが、自分を癒し、元気付けてくれるのだ。
(いわば、これこそがハーブヨガなのだが…)
生き方の見つめなおしと、絶え間ない自省自戒と不可分なのが自然療法なのだ。
実際に先生の著作を読むと、
根育てという考え方が根底にあり、
自分を自分たらしめるもの=根の部分を育てないと病は治癒しないとも言っている。
それはもはや医学ではない。
医療なのだ。
>>医療と医学の違いについてはこちらの記事を参照
既存の多くのセラピーはそのメカニズムにおいて、
科学的に立証されているとか、
中医学的な見地では正しいとか、
アーユルベーダだとかを喧伝するけれど、やはり、それは効果として弱いと思わざるを得ない。
どんなに素晴らしくても理論だけでは人は変わらない。
頭でっかちになって、さらに症状を重くすることだってある。
むしろ、
根っこの部分を変えていくようにカウンセリング・アドバイスする人材が必要なのだと思う。
特に今の時代は何が正しいのか分からない厄介な時代だ。
これだ!という世界観を生きられる人がどれだけいるだろうか?
死に際であっても、あっちの療法をフラフラ、こっちの療法をフラフラで終わってしまうのだ。
むしろ、ガツンと言ってあげた方がいい。
「自分は何がしたいのか?」
「自分は何を大事に思うのか?」
それを付き付ける療法こそが重要なのだ。
現在、我々はハーブヨガの著作を執筆中なのだけれど、
それは表面的な経絡だとか、チャクラだとかいう、「メソッド」ではなく、
それらが根っこ(アイデンティティ、そして生き方)とどのように組み合わさるかという、
「メソドロジー(方法論)」をお伝えしたいと思う。
理屈では分かっているけれど、
それだけでは変われない。
その苦悩こそが私たちの取り組む課題でもあるのだ。
こういったことを深く学んでいく鳥蝶のハーブヨガ講師養成講座はこちら
>>ハーブヨガ講師養成講座
いまさら紹介するべきでもないはずの名著である。
先生は代替医療の旗手でもあるのだけれど、
誤解されている部分もあるのではないかと思うこともある。
それは、
「びわの葉」が効く!
「セイタカアワダチソウ」が効く!
といった「~が効く」という安易な自然療法の解釈がまかり通っているからだ。
これには異議を唱えたい。
少なくとも東城先生のものは、「~を摂ったから治った!」というような、そんな生易しいものではない。
これは私見にしか過ぎないけれど、
自然療法とは自然の命を頂いて、自分の命を永らえさせる療法である。
そのプロセスは、
自分の命、自然の恵み、そして自分の周り・環境というものに
目を向け、対話し、懺悔し、喧嘩を売っていくことであり、
自分の生き方を研ぎ澄ませて行くのが目的だ。
決して、びわの葉っぱに含まれている成分だけが効かせるのではない。
自分の中で有機的に起こる反応こそが、自分を癒し、元気付けてくれるのだ。
(いわば、これこそがハーブヨガなのだが…)
生き方の見つめなおしと、絶え間ない自省自戒と不可分なのが自然療法なのだ。
実際に先生の著作を読むと、
根育てという考え方が根底にあり、
自分を自分たらしめるもの=根の部分を育てないと病は治癒しないとも言っている。
それはもはや医学ではない。
医療なのだ。
>>医療と医学の違いについてはこちらの記事を参照
既存の多くのセラピーはそのメカニズムにおいて、
科学的に立証されているとか、
中医学的な見地では正しいとか、
アーユルベーダだとかを喧伝するけれど、やはり、それは効果として弱いと思わざるを得ない。
どんなに素晴らしくても理論だけでは人は変わらない。
頭でっかちになって、さらに症状を重くすることだってある。
むしろ、
根っこの部分を変えていくようにカウンセリング・アドバイスする人材が必要なのだと思う。
特に今の時代は何が正しいのか分からない厄介な時代だ。
これだ!という世界観を生きられる人がどれだけいるだろうか?
死に際であっても、あっちの療法をフラフラ、こっちの療法をフラフラで終わってしまうのだ。
むしろ、ガツンと言ってあげた方がいい。
「自分は何がしたいのか?」
「自分は何を大事に思うのか?」
それを付き付ける療法こそが重要なのだ。
現在、我々はハーブヨガの著作を執筆中なのだけれど、
それは表面的な経絡だとか、チャクラだとかいう、「メソッド」ではなく、
それらが根っこ(アイデンティティ、そして生き方)とどのように組み合わさるかという、
「メソドロジー(方法論)」をお伝えしたいと思う。
理屈では分かっているけれど、
それだけでは変われない。
その苦悩こそが私たちの取り組む課題でもあるのだ。
こういったことを深く学んでいく鳥蝶のハーブヨガ講師養成講座はこちら
>>ハーブヨガ講師養成講座
河合雅雄:子どもと自然
今日の朝は肌寒く、久々に早起きする形になった。
まだまだほのぐらい外の世界を見ながら、これまた久々の朝読書だ。
お題は生態学者の河合雅雄先生の書いた「子どもと自然」。
名著であり、高校生の時に一度読んだこともあったが、すっかり内容を忘れていた。
氏によると、サルという種は樹上生活を行っているが、
それは哺乳類の中でも稀であり、
食料が豊富にあって、天敵が殆どいないことから、
少産型の生態になっていったということである。
それが人間にもつながっていくわけだから、
なるほど人間も少産型なのである。
しかし、現在の先進国ではその「調整」が行き過ぎて、
逆に産むことが出来ないことが問題にもなっている。
それは由々しき事態なのである。
高校生でも読める本なのだけれど、今更、面白い知見が色々ある。
最近では生態社会学やアートセラピーの分野に新しい発見を見出すことが多い。
新しい波を実際の講座でも活用していきたいと私たちは常に画策しているので、
きっと生態学的な見地も今後は取り入れられていくだろう(実際には一部で学びますが)。
現在、鳥蝶の養成講座では現在、
ハーブヨガを育成するプロジェクトと、
より広い範囲から人を指導するためのホリスティックカウンセラー養成講座とがあります。
場所はバンコク、そして、東京。
詳細はこちらをご覧ください:
>>ハーブヨガ講師養成講座
>>ホリスティックカウンセラー養成講座
まだまだほのぐらい外の世界を見ながら、これまた久々の朝読書だ。
お題は生態学者の河合雅雄先生の書いた「子どもと自然」。
名著であり、高校生の時に一度読んだこともあったが、すっかり内容を忘れていた。
氏によると、サルという種は樹上生活を行っているが、
それは哺乳類の中でも稀であり、
食料が豊富にあって、天敵が殆どいないことから、
少産型の生態になっていったということである。
それが人間にもつながっていくわけだから、
なるほど人間も少産型なのである。
しかし、現在の先進国ではその「調整」が行き過ぎて、
逆に産むことが出来ないことが問題にもなっている。
それは由々しき事態なのである。
高校生でも読める本なのだけれど、今更、面白い知見が色々ある。
最近では生態社会学やアートセラピーの分野に新しい発見を見出すことが多い。
新しい波を実際の講座でも活用していきたいと私たちは常に画策しているので、
きっと生態学的な見地も今後は取り入れられていくだろう(実際には一部で学びますが)。
現在、鳥蝶の養成講座では現在、
ハーブヨガを育成するプロジェクトと、
より広い範囲から人を指導するためのホリスティックカウンセラー養成講座とがあります。
場所はバンコク、そして、東京。
詳細はこちらをご覧ください:
>>ハーブヨガ講師養成講座
>>ホリスティックカウンセラー養成講座