鳥蝶Kenboyamaの痛快な日々:ハーブヨガの秘密をホリスティックな視点でご紹介 -12ページ目

洪水情報:タイの現状を日本で考える


非常に混迷を極めるタイの洪水であるけれど、

色々な情報が交錯している。



さっきまでニュースをした範囲で整理してみたい。



まず、こういうときに重要なのは誰がバランスが取れているのかを探すことだ。

災害時に冷静な判断ができなければ大変なことになる。




本日のバンコクポストのニュースを見てみると、

JICAの日本人研究者が

『バンコクの洪水は日本のものとは性質が違うため一緒には扱えない。
 
 水位は緩やかに上昇し、緩やかに下降していくので

 冷静に避難し、安全を確保しよう』

といった声明を出していた。


もとデータはこちら(英文):

http://www.bangkokpost.com/news/local/263511/japanese-experts-thai-flood-not-to-be-feared


確かに、洪水=家が押し流されるイメージがあるけれど、

今週末にバンコクで起こると予見されている洪水はそういう激しいものではない。

その意味で、これについては大分、的を得ているように思う。



ただし、それは津波のような形ではないというだけで、大災害でないわけではない。



例えば、ランシット大学の研究者が画像で『最悪のケース』を想定していた。



鳥蝶Kenboyamaの痛快な日々:男性と女性の体質改善・幸せな夫婦生活の秘訣をホリスティックな視点でご紹介


もとデータはこちら(英文):

http://www.bangkokpost.com/news/local/263173/chao-phraya-on-the-brink



日本人が多く住む地域はWatthanaと呼ばれる地域だけれど、

その地域は21~50センチの浸水の可能性となっている。

或いはオフィス街でもあるSathornの地域にも日本人は多い。

ここの地域はチャオプラヤ川に近いため、さらに水位は高くなる可能性がある。


確かに日本人の大半はコンドミニアムといって高層住宅に住んでいるので

生命に危険はないかもしれないけれど、

50センチ~1メートルの推移だとまともに社会生活はできないと危惧される。

また、物流もストップするのでまともに食料品を買い物するのも難しいだろう。

もし、停電・断水が起きたら都市遭難すらおきかねない。

日本政府が旅行者には渡航延期勧告&在住者には帰国を推奨しているのもこのためだろう。


そのため、我々も31日の帰国は大分困難だと考えている。


ちなみに鳥蝶のサロンがあるのはWatthanaの北端であり、

入り口部分には段になっているので、最悪でもそれほどの浸水はないようだ。

しかし、Thon Buriなどの浸水が激しい地域に知り合いも住んでおり、正直、かなり心配だ。


いずれにせよ予断を許さない状況であり、今日はスタッフのプーさんに電話をしてみる。

ただ今、日本に滞在中・・・

洪水が日々、『知っている地域』に訪れていて、非常に心苦しいです。


まさしくタイの情報は未曾有の危機になろうとしています。



我々はといいますと日本での講座のために一時帰国しています。


そんなわけで動向を注視しているわけでありますが、

う~む、これも異常気象なのか、どうしてこうも天変地異が起こるものなのか。



我々は我々に出来ることを行うだけです。

明後日はハーブヨガの写真部分の撮影であります。


明日から都内に滞在というわけで、頑張ります。

大事な人の体質改善:感情の老化

私たちが誰かと生きるにあたって、

その人の老化は避けられないことだとされている。

誰だって一年に一歳の齢を重ねていく。

どんな赤ん坊も『若い』ままではいられない。


ここで一般的な問題になるのが、老後の心配だろうか。


事実、日本人は教育・住宅・(子弟の)教育の三つに加えて、

老後に備えるためにも多くの貯金をしている。



老後のためにどうして貯金をするかというと、

快適な暮らしを続けたいと思う以上に

病や怪我で体の自由がきかなくなったりした時に備えているからだ。

そして、それは自分のためだけではなく、パートナーのためでもある。


その背景には確かに老化への恐れがある。

色んな作家さんが老いることを賛美していても、

結局は誰もが老後について大きな不安を抱えている。



先日、和田秀樹氏が書いている本を読んだ(以下)。


ドロシーおばさんの通じあう心/和田 秀樹

¥1,200
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「ドロシーおばさん」の詩の和訳について、心理学的な見地を盛り込んで解説している本だ。

日本に滞在中になんともなしに買ってみた本だ。

しかし、これは結構いい本だと感心している。

コフートという精神科医の部分など、非常に面白い事が多々書いてあり、


コフートの「共感することには人生的な意義がある」という言説によって、

私たちの伝えているコンセプト:「感応」をさらに深く理解する事が出来ると感じた。




ここで面白い事が書いてあった。

感情の老化についてだ。

私たちの体や脳の機能(特に言語野)は年齢を重ねても、

それだけで著しく劣化するわけではないということだ。


では何が老化していくのか?


それは感情。


私たちの感情こそが年齢を経るにつれて、老化していく。

年をとると妙に頑迷になったりするのは、感情の老化のサインなんだろう。



しかし、感情の老化というのは一時的なショックで生じるものではない。

日常生活の積み重ねによって少しずつ進行していく。

その『少しずつ』が個人差を生むのだろう。


翻って、日本の都市生活者の一日を見ると、

感情を使わない人が非常に多いことに気付く。

大人たちは空気を読みながら、無感情・無感覚の仮面をつけて人々の間に紛れ込んでいく。

子供たちですら感情や感覚を発揮する機会が失われているのではないだろうか。



これでは社会全体の老化のスピードは倍化してしまうだろう。



じゃあ、どうすればいいのか。

笑うこと、泣くことを「とりあえず」奨めていればいいのか?


喜納昌吉の「花」からはもうすでに30年もたった。

もはや、人々の目の前には笑いかける相手も、泣いてすがる相手もいなくなってしまった。


私たちは『繋がる力』であるネット環境を手に入れたけれど、

果たして孤独感は倍増するのみだった。

そこには身体的なつながりがない以上、

それは必然でしかないのだけれど、ぬゆい空気の中でつながりを感じるため孤独を誤魔化してしまう。





その意味で、今、新しい軸が必要になっている。



他者に感応し、心と体と行動で愛情を示すための軸だ。

誰か大事な人を本心で見つけるための旅に各人が出なければいけない時代になっている。



長引く経済問題や政治的な無能だけが過酷なのではない。

むしろ、我々の置かれている「ぬるま湯の中の孤独」こそが喫緊の問題なのではないだろうか。

ゆでガエルのように少しずつ事態は悪化し、

どうしようもなくなった時には抜け出ることは出来ない。


それを行わなければ、孤独の渇きは癒されず、老化の渦に飲み込まれていく他ないのかもしれない。

感情の老化を止めよう。

そのためには、誰かと通じ合おう。

やっきになって美容品を探す前に、この究極のアンチエイジング法を誰かに試してみよう。

徒然:ブログのアクセス解析について思う

アメーバブログにはアクセス解析という機能があって、

どんな検索ワードで自分のブログに来たのかが分かる。



先日、『プラレール トーマス 修理』が第一位と書いたけれど、

第二位は『朝 おなら』である。


なるほど、昨年、朝一番のおならについて書いたのが好評を博しているようだ。

皆もやはりオナラのことが不思議だったのだな。

などと人ごとのように思う。


ちなみに記事はこちら↓


「男性の体質改善:出すべし!朝のおなら」



今更ながら、出すべし!とかって言われても・・・、

むしろ、勝手に出てくるものだと思うのだが。

備忘録:長寿村の100歳食

日本は長寿、長寿と言われて久しいが、

病院がサロンになっているお年寄りを見ると、

本当に長生きが素晴らしいのかと思ってしまう今日この頃。

古老達のコミュニティを再形成するために何が出来るのか模索しているわけであります。

まぁ、自分は意味もなく100ぐらいまで生きそうな気もするけど。



で、長寿村の食事について本を読んでみる。


長寿村の一〇〇歳食 (角川oneテーマ21)/永山 久夫

¥700
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う~む、面白くないわけじゃない。

豊富な知識と経験がそこには語られている。

しかし、大事な視点がすっぱり抜けているのではと思ってしまった。


なぜかというと、知識の羅列に終始しているからだ。


長寿になるには何を食べていたかではなく、

どんな食卓で食べていたかが大事になるのではないだろうか。



何を食べるかはとても大事だけれど、

それは食卓を囲む人との人間関係によっても大きく影響される。


この本を見てそっくりそのまま実行しても、

長寿にはなれないと・・・残念ながら感じてしまうのだ。


むしろ、元気なじいちゃんやばあちゃん達がどんなコミュニティで過ごし、どんな風に食べて来たのかをレポートして欲しい。


今世紀、妻がカリスマになりますのお知らせ

今世紀、妻がカリスマになります。



こんな『テーマ』を昨年作成したのだが、

最近は更新が滞っていた。

正直、前回このテーマの記事で何を書いたのかすら覚えていない。


しかし、これこそが言いたいことである。

死ぬ前に何を言うかと聞かれたら、これを言うだろう。





実を言うとこの内容で書籍化を心底狙っている。


まさしく下心丸出しであるが(実際、彼女には頭をはたかれたわけですが)、

「これは書籍にならざるをえないな、はぁ」と感じている。


そして、

今では「もう、ご自由に書籍化でも何でもすればいいじゃないか」とすら感じている。

避けようがないことだと心底がっかりしている部分もある。



アファーメーションは「~である」「~です」と宣言することが基本だと言われているけれど、

我々からすれば、

むしろ、「あぁ、もう仕方ないなぁ…」という領域にならないと叶わないとすら感じている。

ギャグのようであるが、本当の話だ。



宝くじみたいなものについてはこうも行かないけれど、

自分の未来なら少しは思い込める。

みんなもネガティブ気味にポジティブなアファーメーションをしよう。


うむ。



さて、ぼちぼち寝ます。







備忘録:一気に本を読むのもよし

昨日は息子が高熱にうなされていたため、

様子を見ながら読書を決め込んだ。


その時間は3時間ほどに及び、速読で以下の本を読んだ。



1冊目はこれだ。

古本屋で20Bであったけれど、自己啓発を知る入門書にもなるかも。

書き口も平易であるし、つらつらつらっとアメリカの各名所も出てきて小説としても中々。

それにしても講演家という職業がアメリカにあることは本当に面白いな。


ことばの魔術師からの贈り物/オグ マンディーノ

¥1,260
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二つ目はこれ。

一度、目を通していたけれど、さすがに面白い。

実際には野口先生の言っていることを現代語訳した感じだろうか。

野口先生の本も面白いのだが、こういうイラスト入りの本はやはり買って嬉しくなる。


子どものこころにふれる 整体的子育て/山上 亮

¥1,260
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3冊目はこれ。

この本も20Bで購入。

バンコクだと新刊が手に入りにくい割に、こういう「どうしてこれがバンコク?」といった本が見つかる。

べらんめぇなお医者さんの話だけれど、対談者が秀逸で面白い。

免疫学でおなじみの安保徹教授の話も出てくる。

あらゆる病気は治らない/塙 正男

¥1,500
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4冊目はこちら。

農薬や添加物の落とし方と言うよりも、

日本古来の調理法を解説しているのが面白い。

もっとも大きな発見としては、

抗酸化物質を体内で作るためには優秀なアミノ酸の供給源が必要だと言うこと。

つまり、肉類や魚介類がこれに当たると言える。

これがないと、活性酸素をどうしても除去できないとのこと。



なるほど、これは確かに発見だなと感じる。


やはり動物性食品は必要なのだと確信を持つに至る。


いくらオーガニックのものを食べ、食品添加物を避けて食べていたとしても、

活性酸素はストレスからも産み出されるわけで、

こればかりは植物性食品では効率的に対処できない。


実際にベジタリアンだったからこそ言えるけれど、

植物性食品だけでタンパク質を確保しようとするとかなり難しい。




となると、一般的な生活者にとって、

必須アミノ酸を効率よくとれる動物性食品の方が効果的だとも言える。

無論、その分量にもよるので注意されたい。

詳細は鳥蝶のHPでもご覧下さい→http://chochogreen.com/


家庭でできる食品添加物・農薬を落とす方法―食材の選び方、下ごしらえ、食べ方の工夫まで/増尾 清

¥1,418
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お次はこれ。

我ながらかなりの乱読だと分かる。


しかし、この本は非常に面白い。


私自身も美容業界には違和感を持っていたので、業界への理解に一石を投じる本だった。

「顔は社会の共有財産」という視点は非常に面白い。

最近ではまた読みたいと思える本はこれぐらいのボリュームの本になってきた。



「見た目」依存の時代―「美」という抑圧が階層化社会に拍車を掛ける/石井 政之

¥2,520
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6冊目はこれ


抱腹絶倒の語り口と見事な統計分析。

これは読み物として非常に面白い。

葉隠れについて落語調で書いていること等、さくさく読ませるのはすごい。

この作者の本をまた買おうと思った。



反社会学の不埒な研究報告/パオロ・マッツァリーノ

¥1,500
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あと、おまけとしてこんな本も。

鳥好きなもので、非常に面白かった。

時に日本野鳥の会を設立された中西悟堂という方の壮絶な生き方については今後、さらに触れていきたい。

スズメの大研究 (ノンフィクション未知へのとびらシリーズ)/国松 俊英

¥1,313
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自虐の効用

どうもこのブログの検索ワードの第一位は私の名前でも、鳥蝶でもハーブヨガでもなくて、

プラレールである。

大分前に、息子のおもちゃの機関車の修理について書いたのが、

未だに後を引いているようだ。

皆さんのプラレール熱がいかに高いかがよく分かるエピソードである。




鳥蝶の養成講座の中で特徴的なこととして、

バカになると言うことがある。

これは勿論、思考停止して我々に従わなければならないなんていうわけではなく、

バカと言われるほど熱中しているビジョンを持つとか、

ばかばかしい(と思われる)ことであるけれどチャレンジするとか、


そういう意味が込められている。


しかし、その中でとても大事なのが、

自分自身を客観的に観るというプロセスだ。

バカになることを通じて、

人は自分を客観的に観ることができる。




自分のストーリーだけにはまり込んでしまって抜けることが出来ない人が多いけれど、

自分をバカにすることが出来れば、さっさとその局面を切り抜けることが出来る。


その意味で、最初に馬鹿にすべきなのは、

目の前の自分自身
なのだ。


自分をバカさや駄目さを出せなければ、

その人の発展はかなり難しいと言わざるを得ない。




自分自身のことをゼロかマイナスぐらいの状態で演出できなければ、

会話の端々で垣間見えるプライドが鼻について指導を仰ごうとはならなくなる。



高慢な姿勢で成功できない人もいないこともないが、

実際には外見や言葉など複合的な才能が必要であり、

それを形成するには修羅場をしっかりくぐってきた経験だってなければならない。

そして、多くの場合、高慢なのに成功する人は自虐的な傾向も強いので、愛嬌があると解釈される。


この愛嬌はどこから生まれるかというと、

最初の結論に戻るが、バカだと認めると言うことだ。





その意味では自虐ネタの100本ぐらいは瞬時に出せないといけない。

自虐だけでは駄目だが、人は誰でも自尊心を持っているわけで、

そのバランスをとっていくことで面白い人格がかん養される。


自分に起きたショックでもなんでも笑い飛ばせなければ、

強く生きていくことは出来ないんじゃないだろうか。

悲しさや辛さに自己哀惜的に自己陶酔している状態から一歩抜け出して、

笑い飛ばして生きていくこと、それができて始めて一人前の指導者と言える。


少なくとも鳥蝶の養成講座ではそんな人々を育てたいと切に願っている。




・・・う~む、がががっと書いて相変わらずの駄文であるが、参考にして頂けると感激の極みである。

霊感(インスピレーション)を自己顕示欲にしないために

「私は霊感が強い方だ」

などという言説は結構耳にする。

有名人でも、無名人でも、何だか言ってしまいたい言葉の一つなのだろうか。




しかし、これは結構やっかいなもので、私はまともに対処しないようにしている。

つまりまぁ、華麗に流すと言うわけだ。


それは霊感があるとかないとかというのは、外部からは中々計れないからだ。

これが歌だとか、イタリア語だとかが上手いって言う能力だったら、

「じゃ、その場でやってよ」で大体のレベルは分かるものだが、

霊感なんてものは、その場でやってもらえることは希だ。


まぁ、その場で云々と言われても、それに納得できなければ只の戯言にしか過ぎないのだが、

面とむかってそういうわけにもいかない。

私だって良い人面がしたい人間なのだ。

それで結局は「あぁ、なるほど」とか、「ふ~む、そうですか」、等と言って、別の話題に行くか、場を切り上げるのが得策である。


勿論、本物の霊感を持つ人もいるだろうけれど、

多くの『霊感がある』人々のその告白は自己顕示欲の表れでしかないように思える。


「私は何だかすごいのよ。だから、私を認めて」


という悲痛な叫びが聞こえてくるわけで、無碍にそれを否定するわけにも行かないのだ。

しかし、そういう人に限って、その才能について真剣に考えて努力してるわけでもなんでもなかったりする。

ただの上辺だったりするわけで、つくづく、やっかいなテーマである。



鳥蝶の養成講座では望診という技術で姿勢や生活習慣などを読み取っていく。

これは中医学の診断法の一つをさらに発展させたものであるが、

観察によって相手の本質的な問題を探ってくプロセスだ。


この能力を鍛えていくと、

「何だか暗い」

「地味だ」

「あまり深いこと考えていない」

「欲求不満気味だ」

「これはヤバイ」


などと、色んな結果がその人と会う前に分かったりする。



或いは、外見上に騙されずに、本質的な問題を探り当てることが出来たりもする。

明るい笑顔の下にはとんでもなく暗い闇があったりするわけで、そんなときにはとても役にたつ。



ちょっと、鳥蝶的な話をすると、

これは相手のビジョンに感応して、相手の背負ってきた人生を観るものだ。

それを行うには効果的に感応できる心と体が必要であり、

ハーブヨガはそれを促すことができる。


しかし、望診の習慣が身につくと良い事ばかりでもない。

場合によっては酷く暗い気分になったり、面倒くさくなったりもする。




勿論、望診はあくまでも判断材料の一つにしか過ぎないけれど、

冨美江氏や私はずいぶん前からこの部分を重視して練磨してきた。




この作業なんかは端から見れば好き勝手なことを言ってるだけに見えるかも知れない。

冒頭に挙げた『自称・霊能力者』と同じではないかと思うのも無理はないかもしれない。




しかし、この作業はあくまで技術であり、

相手を知るためのプロセスであり、道具だ。

霊感のようなあやふやなものではない。

当たるとか、当たらないを競うものでもない。




そして、私は思うのだが、本物の霊感というものは具体的な形になって現れるのではないだるか。

我々の場合、望診で得られた結果をその他の具体的なデータと対照させ、

一つ一つ裏付けたり、反論したりして、具体的な形で検証するからこそ意味がある。

我々の体というものはものすごいもので我々が意識する以前から、

相手をカウンセリングし始めてしまうのだ。



そして、相手の心・体・行動という生の側面をしっかり見据えること、

そのリアルへ志向する姿勢こそが霊感なのだ。



これを前世がどうとか、

どんな神様がついていらっしゃるとか、

そういう『一定の人にしか指示されないレベル』で議論していたのでは、

説得力を持って受け入れられるものにはならない。



相手が自分の声に耳を傾けないようなやり方を選ぶのは只の自己満足であり、

それは只の発散にしか過ぎない。

もし、それが当たっていたとしても、

自分が自分の歪みによって伝えたいことを言ってしまっているだけになってしまう。




その意味で、霊感を自己顕示欲に汚染させられないように注意しなければいけない。

自己顕示欲で飾ってしまうと、それは機能しなくなる。



霊感は自分を飾るアクセサリーではなく、

相手を観ることであり、

相手に聴くことであり、

相手を嗅ぐことであり、

相手を触ることであり、

そして、相手を味わうことだ。




この本能的な習慣を鍛えていなければ、

本当に必要な時に霊感はあなたを救ってくれることはまずなくなるのだ。





さきほど、読書中に閃いたので、備忘録的にここに記しておくことにする。

鳥蝶の養成講座:講座参加者のご感想

ただ今、開催中の鳥蝶の養成講座ですが、

8月期の方からも沢山の感想を頂いています。

本日はその中から一つを選んでご紹介します。



「土台ありきの養成・・・

人間としての土台、人に伝える、伝えたいことが明確である人が来るととても効果的な内容。

土台がまだ固まっていない人には少しハード。

でも確実に必要なことが学べてその人の人生の方向性が変わる内容。

バランスが良い内容。

技術や知識、スピリチュアル、料理・・・

多方面の良いところを集めている。

どれも選び抜かれた印象。

本当の意味の「教育」

人を育てる、人をホリスティックに観ることができるセラピストを弟子に伝えようとするように熱を込めて教えてもらえた感じです。

もっともっと学びたい、と日に日に思いました。

先生の熱意を前面に感じる講座でした。」



お言葉ありがとうございます!


さぁて、来週の講座も頑張るぞ、と意志を新たにするのでした。


ちなみにホームページの講座の参加者の感想もUPしています。

講座の面白かったこと、大変だったこと、稼ぐ力について等々、

ユニークな感想が目白押しです。


最新版ですので、どうぞ、ご覧下さい!


>>講師養成講座の参加者のご感想