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心のお話と雑記ブログ 

心理のお話などを独断と偏見も交えてお話します!!

☀人間関係で得をする人と損をする人がいると思います。

 

才能とか努力とか、結果とか、そういう原因・理由にしがちですが、意外と「ただの印象」で得をしたり、最悪、損をしたりしています!

 

例えば、服装。

 

職業に応じて、だいたいそれらしい服装になっていますよね!

 

六本木あたりを歩くとノーネクタイで細身のダークスーツ。

新宿歌舞伎町あたりなら同じスーツでも派手目。

デザイナーはずっとカジュアル。

 

制服がなくとも、「それらしく」見せることでビジネス上得をするからです。

 

「それらしい」ということは、説明不要、信用を得やすいということですから。

 

損をする人は、大抵これに反しています。

 

以前やっていた陶芸工房にはさまざまな営業の人が来ましたが、中にはヨレヨレのスーツで酒臭い、髪の毛も不潔感いっぱいで汚らしい人もいました。なにより「何の職業?」という感じです。

当然、まず不信感を持ちます。話を聞くと、大手新聞系の広告営業。

でも、僕はすぐに断ります。

なぜならば信用度が低いからです。

自己演出さえ満足にできない人物が、他人のPR=演出などろくにできないだろうと感じてしまうからです。

事実は、究極わかりません。

でも、広告を依頼するなら最低限の清潔感がある人物を選びます。

最低限の信頼感があるからです。

 

「清潔感」は大事です!

 

陶芸制作は、どうせ汚れるので作務衣などを着ますが、カウンセリング時は僕は清潔感のある白シャツにチノパンなどすこしカジュアルなズボンを履きます。

状況にもよりますが、スーツは固すぎる印象があります。

白衣を着る人もいるかと思いますが、僕自身カウンセラーの服装にはラフさも大事(クライアントに緊張を与えないため)と考えているので、きちんとしているけれどラフな服装を心がけています。

カール・ロジャーズのカウンセリングビデオでは、スーツでしたが、時代性や地域性もあります。

 

「たかが服装」ですが、人の印象を大きく左右します!

 

以前に元ヤンのような人物に時折因縁をつけられることがあると書きましたが、じつはこれを避けるのは簡単です。

というのも僕は心理カウンセリングに関わる前は黒系のシャツなどを着たり、髪形も十代後半

からほぼオールバックでした。じつはその間、因縁をつけられるということはほとんど皆無。彼らは自分より強いと判断した相手にはまず強気に出ませんから。

でも、僕は今は他人に必要以上の威圧感は与えないようにしています。

カウンセラーの習性でしょうか。

その分、まあ心に怒りを抱えたタイプがたまに八つ当たりをしてくるわけですが、正直どうということはないのです!覚悟のない相手ですので、暴力など使う前に回避できますから。

(ちなみにあまり安易に喧嘩は売らないほうがいいと思いますが。僕も子供のころから空手や合気道など父親から教わっていましたし、実戦経験もありますからその手のものをやっていた人物は雰囲気でわかります。覚悟のある人はどこか腹が座っています)

話が脱線しました(笑)

 

例えば、他人と関わるのが苦手、うまくいかないという人はよく「自分は性格が悪いから」とか「自分がダメ人間だから」などと感じたり、考えていたりすることがあります。

でも、実際はもっと浅い理由、単純な理由であることも多いです。

 

「目を合わせない」

 

それが大きな理由のこともあります。

 

そんな単純なと思う人もいるかもしれません。

でも、人はその単純な理由で簡単に不信感を持ちます。

理由は、視線を合わせることで人間はお互いに敵意や悪意がないことを確認しあうからです。

視線を合わせないということは、実際には敵意や悪意がなくとも、敵意や悪意があるというメッセージを送ることになってしまうのです。

 

そして、いじめや虐待などを受けた経験のある人、対人恐怖のある人などは、視線を合わせない癖がある場合が多いように思います。

これは致し方ありません。

あまりに深く人間に傷つけられた証ですから。

恐怖の対象から目をそらすのは当然です!

しかし、問題は自分を傷つけた人間以外にも同じような関わりをしてしまう事なのです。

そして、なぜか相手から嫌われてしまう。

 

対処法は二種類。

 

一つは来談者中心療法などで心の傷を回復する。

 

もう一つは、人と接するときに相手の目を見るようにする。

できない場合は、相手の額か、眉毛、それも無理なら鼻のあたりを見るようにする。

 

簡単な対処法ですが、相手は完全に視線が合わなくとも「自分を無視している」「自分を軽視している」などと誤解する可能性はかなり排除できるのです!

 

根本治療でなくとも、対症療法も大事!

 

続けることで、人間関係が改善し、ひいては視線を完全に合わせることもできるようになる可能性があるのですから。

 

可能性があるのならば、すぐに否定・排除しない。

 

心に常に留めていることです!!

 

☀以前に「意識」と「無意識」のお話をさわり程度ですがしました。今回は、「思考」と「感情」です!

※かなり単純化していますし、あえてかならずしも専門用語を使っていません!



これはそのまま心理療法のスタイル(その心理療法が心のどこの部分をメインターゲットにしているか)と直結しているといってよいでしょう。

もちろんあくまでメインで、実際は相互にそれぞれ関与するのですが、前者の「思考」は認知療法、「感情」は来談者中心療法というのが(自分の中では)代表格でしょうか。

「思考」は「考え」の部分で、一般的には「頭」と表現される部分。
「感情」は「気持ち」の部分で、一般的に「心」と表現されるでしょうか。

実際にはどちらも脳を中心とした活動で、どちらも「心理」領域ですが、心理療法的にはある程度しっかり分けたほうが良いかと思います。

両者の区別方法は、これはもうほとんどの人が経験的に知っています。
あえてメルクマールを挙げるなら、「思考」はそれだけで文章化できるもの、「感情」はほとんど1~2つの単語で表現されるものといったらよいでしょうか。

対人恐怖の人を例に挙げると、

「思考」は、例えば「世の中の人間はすべて自分を傷つけるような存在だ」と考える部分。

「感情」は、「(人間が)怖い」という部分です。

前者の部分に焦点を当てていく療法が、「認知療法」。

後者は「来談者中心療法」です。

「認知」とは、wikipediaには「人間などが外界にある対象を知覚した上で、それが何であるかを判断したり解釈したりする過程のこと」とあります。「外界の刺激に対して、そのことを知覚し、認識し、思考する心理過程」「現実の受け取り方やものの見方」「ものごとの受け取り方や考え方」などさまざまな説明があります。
心理以外の分野ではまた概念が違ってきたりもします。

「思考」は認知の一面ないしは一部ということもいえそうですが、ここではあえてわかりやすく「思考」とします!

では、「思考」と「感情」ではどちらがより深く、どちらのほうがパワーがあるでしょうか。

圧倒的に、「感情」だと思います。

例えばですが、

美男ないしは美人で、スタイルがよくて、お金持ちで、頭もよくて、自分以外の他人の評判もよく友人も多い人気者。

理屈・論理的には、良い所しかない。

でも、「嫌い」と自分が思ってしまったら、それを払拭するのは困難です。

とくに長時間いっしょにいるのは苦痛です。
どんなに「悪い人じゃない」と言い聞かせても、「ほんとうは良い人だ」と頭で繰り返しても、「嫌い」という単純な感情はなかなかひっくり返りません。

しかし理由が明確ならば、その理由がなくなったり、別なものに変化をすれば、「嫌い」という感情にも変化が起こる可能性があります。普段でも、相手から謝罪されたり誤解が解けたりすることで気持ちが変わったという経験のある人も多いでしょう。

なぜならば、「~という理由でこの人のここが嫌い」という「思考」部分が理由そのものがなくなるので「~という理由でこの人のここ」の部分が消えることで、「嫌い」という感情部分にも影響を与え意味のないものに変化するからです。

このように「思考」の部分に心理療法として変化を与えることで感情部分、ひいては行動にも変化を与える手法が「認知療法」の核といってよいでしょうか。

クライアントの症状や状況、また性格などによっては、とても効果がある療法だと思います。
とくに日常レベルの悩みに関しては、僕は対話カウンセリングにおいても認知療法的なスタンスを持っています。
もともと来談者中心療法自体にも考えの部分を重視するところはありますが、ニュアンスがけっこう違うように思います。

無理に感情に向き合わないで、「思考」部分にアプローチする。

考え方が変わると、それだけで気持ちが楽になることも多いものです。

問題は、理由が明確でない場合です。

でも、「感情」は確かにある。

先述の例では、可能性の一つですが「記憶にすらはっきりしない昔に出会って嫌な思いをさせられた人物に似ている」というような原因もあります。
この部分は、無意識領域の可能性も高いといえるでしょう。

この場合は、一度無意識領域へ焦点を当てて、記憶を喚起し、その時の感情も再体験し、その事実をとらえなおすといった手法が必要になるかもしれません。
僕の場合は「来談者中心療法」でのアプローチとなります。

ただ、これは時間もかかりますし、クライアントの方の精神的な負担も大きいです。

誰でも過去の嫌な人物の記憶や感情に向き合うのは、ほんとうに大変です!

自分よりも何倍、何十倍も大きな怪物と対峙するようなものです。

もっともその怪物は、大抵は「かつては虐待の被害者だったかわいそうな子供、そのなれの果て」だったりもしますが。

大変ですが、成功すれば根本解決になります。

それに比べて、そういった怪物と対峙しなくてもよい療法は、ある面クライアントに優しい療法ともいえるでしょうか。
ですので、僕は来談者中心療法を主要技法にしていますが、もしも「感情」にアプローチしなくともよい場合は「思考」へのアプローチでとどめておきます。(成功すれば最終的には「感情」も変化します)
ただ「思考」は良い意味でも、悪い意味でも、「感情」よりも変化しやすいものです。だからこそ「議論」という民主主義の基本も成り立つわけです。つまり、もとの考えに戻る可能性もあるということです。

どちらがよいのか。判断が難しい場合には、僕はクライアントの方に選択していただくお話をします。

ここいらへんはいろいろな条件で、変わります。

当面の解決でよいのか、根本解決を望むのか、クライアントの方の性格や症状など、挙げたらきりがないほどの複雑な条件です。

だからこそ一番情報をもっているクライアントの方自身に、選択をしていただくようにしています。

誰にでもある「心」ですが、複雑なようで単純、単純なようで複雑。人間の謎のなかでももっとも不思議なものに感じます。
★前回は周囲に理解不能な怒りを振りまいて、結果まわりを敵だらけにした人物を「無意識からくる怒りや憎しみ」の例として挙げました。僕はクライアントの情報は一切、家族にも話さないので、大昔の知人に登場してもらいました。

しかし、「怒り」そのものは本来大事なものです。

一つには「拒絶の意思表示」として大事ですし、正義感などの表れでもあるので人間味にもつながると思います。
なにかを成し遂げる原動力にもなるでしょう。

ただ「無意識からくる怒り」を通常の場で表へ出すと、前述したケースのように周囲から孤立し、トラブルのもとになります。

でも、それが許される場があります。

「カウンセリングルーム」です。

僕はとくにクライアントの方の「怒り」や「憎しみ」を重要視しています。

それが自分自身に向けられたとしても、です。

よくあるのはクライアントの方が自分の無意識レベルの問題、とくに親子関係に向き合う直前に「怒り」をカウンセラーに表明することがあります。

なんで自分がこんなに苦しまなきゃならないんだ。

というようなことです。

それはもっともで、虐待はもともと理不尽なものなので被害者は当然そう思います。そして、その何年、あるいは何十年と隠してきた心の傷を明らかにしようとするカウンセラーに「怒り」ときには「憎しみ」を感じるのです。

僕は、そういう時にはそれまで以上にしっかりとお話を聞きます。

なぜ怒っているのか、そして、どういうことを僕に伝えたいのか

最後までお話を聞くと、いつのまにか「怒り」や「憎しみ」はクライアントの方から消えています。
そして、かわりに今まで以上の信頼(ラポールといいます)が生まれたりします。

カウンセリングが成功するケースの場合、もちろん全てではありませんが、重いテーマの方ほどこのような分岐点があるように感じています。

不思議とこういう場合、僕はクライアントの方の「怒り」に対しては、「まだ大事な部分で理解していないのだな」とか「急ぎすぎて申し訳なかったな」とか「なんとかクライアントの方の心をよりわかろうとしなくては」と感じます。
そこに僕自身の怒りは自分でも見事なくらいありません。

ちなみに善人ぶっているわけではありません。

時折、というよりごくたまにですが、いまでも僕は実年齢よりもかなり若く見られるのか元ヤンのような人物に喧嘩を吹っ掛けられることがあります。どうやら一見、あまり強そうに見えないようですねえ。
だから脅し文句を言えばすぐにビビるだろうくらいに思うのかもしれません。

僕は、この手の脅しには屈しません。

詳細は省きますが、この手の手合いは相手が引き下がること前提で行動をとります。後のことは考えていないんですね。それで、にっちもさっちもいかなくなった相手はほぼ100%逃げていきます。

警察沙汰になったら自分が不利、仕事や何かしらを失う、ということをわからせてあげるのがコツですが。

まあ、十代の頃から何度かこういうことがあったのですが、いまでは馬鹿馬鹿しいので実力行使はしません。ちょっとした心理テクニックと覚悟だけで、ほぼ回避できます。

で、僕がこういう場面で一切引き下がらないのは単純な理由です。

自分勝手な理由で怒りを相手にぶちまける「傲慢さ」が嫌いだから、です。

まあ、そういう人間ほどじつは臆病者だということを知っているのもあるのですが。

僕が知る限り、腹の座った人物やほんとうに強い人物は些細なことで喧嘩を吹っ掛けたりしません。
そういう人は、いざとなったら失う覚悟もできていますから。



ですが、クライアントの方に対してはこういう感覚にもなりません。その怒りや憎しみは、ある意味で正当なものであると僕が心の底から感じているからなのだろうと思うのです。
カウンセラーとしての義務とか責任だけでなく。
そして、目的である問題改善のチャンスなのです。
だから「怒り」に「怒り」で返すなどということはあり得ません。



まあ、もうすこし大人になって、傲慢な相手にも精神的に凹ますようなことをせず、カウンセリングのように接してむしろ相手を癒してあげるべきかも、と文章を書きながら考えたのですが、多分それは難しいですねえ。カウンセリングはけして万能ではありませんし、合気道でも「神クラス」じゃないと無理でしょうから。
今度、機会があったら試してみようかとも思います。
勿論つまらないトラブルはないほうがよいのですが。