心のお話と雑記ブログ 

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心理のお話などを独断と偏見も交えてお話します!!

☀ 最近、埼玉県白岡市で市長や教育長、学校がいじめの被害者に寄り添おうとせず、むしろ加害者側擁護といってもいい言動や行動をしたとして炎上しているようです。

 

しかしこの教育側の人間(教師など)がいじめ加害者側に立つムーブ、ほんとうに既視感があります。

 

昔からよくある動きです。

 

では、なぜ彼らはこれだけいじめ被害者に寄り添おうという世の中の動きがあるのにあえてそれに反するような人間ばかりなのでしょうか?

 

ここからは私見ですが、おそらくは単純な理由です。

 

それは「強者側に立った方が有利」という生存戦略を選択しているにすぎないのではないかということです。

 

いじめの加害者と被害者。

 

そう呼ばれるように、人間関係(人数など)上も、戦う力(ハード、ソフト両面での戦闘力)も、一見して加害者側のほうが強いわけです。

(もちろんそれは表面的なもので、ほんとうの強さではありませんが)

 

私は二十代の頃、担任制の進学塾で講師をしていましたが、塾講師(教育者)はクラス運営ができないとすぐクビになります。

そういうときにクラスのリーダーのような子がいます。

他害性のない子もいますが、そうではなく、中には人心をコントロールして自分が有利になるような動きをする子供もいました。

経験の浅い、あるいは適性のない講師はこういう子にいわばコントロールされて「あの子はいい子だ」なんて言うようになった者もいました。

 

そして、ある日問題が起こる。

 

たいていはいじめの類です。

 

そういう時にこの手の講師はこのリーダー的な子の肩をもちます。

なぜなら「自分にとって都合がよいから」です。自分になついていると思い込んでいたりもします。

私はこういうタイプの講師ではなく、ある面では厳しい面もありました。

イジメは100%加害者が悪い、気に入らないなら無視ではなく必要最小限だけ関わればいい、チクリ大歓迎、チクリは汚いなんて犯罪者が言うセリフだという価値観でそう話してもいたのでむしろ生徒は安心感を得るのか本当の意味で明るく、問題が起こりそうな段階でいろんな生徒が情報を教えてくれました。なので早めに対処もできたのですが、先述の講師は「加害者側にたつ」と思われていたのでしょう、そんなこともなく生徒がやめるなんて話が出てはじめて問題に気づくなんて状態でした。

 

この講師は「リーダーを掌握すればクラス運営は楽」なんて思っていたのではないでしょうか。

 

だからリーダーとその取り巻きしか見ていない。

しかも好意的にしか。

 

目が曇っているわけです。

 

ほんとうに優秀な講師は可能なかぎりすべての子をきちんと見ようとしていました。

 

もちろん時間の制約など物理的に限界はありましたが。

 

いじめ加害者側につく教師、学校、教育員会、教育長(教育委員会、教育長などは元教師が多いようです)。

 

彼らは何十年も一部の利用できそうな生徒を優遇するような教育?をしてきたのではないかと映像や音声などから感じてしまいます。

自分の利益しか興味のないえげつない人間。

だから常に強者側に立つし、むしろ被害者側を見捨て、なんならさらに二次加害までする。

教育者としての適性のない人間。

この手の人間は見て見ぬふりをするムーブもよくします。

自己保身。

面倒ごとに関わりたくないというなら、そもそも教育になんぞ関わらないほうが子供のためだし、本人のためでもある。

 

しかし、問題は彼らは空想の中で「自分はいい教師」と思っていそうです。

 

この自覚のなさ=厚顔無恥さが、やはりその言動などにも現れるのでしょう。

それがニュース映像などでの姿なわけです。

 

そして年々、不登校者が増えていく。

 

もはや「子供が問題」とはいえないレベルに思えます。うつ病などで休職退職する教師が多い点も加味するとすると、問題は子供にあるというよりも「学校」というシステム、環境自体が人間社会において不適応状態にあるといったほうがよいのかもしれません。

 

 

☀ 「保留」という選択も前回の「現状維持」に近いですが、より「何もしない」という要素が強いものです。

 

現状維持するためにはそのための労力が必要ですから。

 

しかし、あえて「何もしない」ことで自分自身が落ち着き、心の平静さを取り戻してより良い判断や結果につながることもあります。

自分が変わらなくとも、勝手に状況が変わることもあるからです。

 

とくに不登校の場合、年度変わりはクラスメートや学校自体が変わるのでひとつのチャンスです。

 

一方で夏休みなどの長期休暇も同様に思えそうですが、物理的に人員が変わるわけではないのでむしろ不登校のきっかけや悪化になりがちです。

 

ただネット動画やゲームなどに逃避すると今度はそこから離れることが難しくなることもあります。ゲーム依存やネット依存は最近多いものですから要注意です。

そして、「依存症」のレベルにまでなると「治癒」はないことも知っておいたほうがよいでしょう。

依存全般の残酷な側面です。

 

なにかを変えるためにはいくつものルートがあり、その人にとっての最適なルートはいくつかあり得ます。

もちろん十も二十もあるわけではありませんが。

 

☀ 「現状維持」というのも選択肢のひとつになります。

 

どうしても進歩史観的にものごとをより良い方向へ進めたがるのは(自分を含めて)多くの人が志向しがちかと思います。

 

その際(改善していこうとする動き)のもっとも大きなマイナス面は、場合によっては過度のプレッシャーになり症状を悪化させてしまうことがあるという点です。

とくに鬱病や不登校などで「とにかく一日でも、一分一秒でも早く」なんて勢いでいると、仮にその時には本人がそう望んでいても心のパワーがかなり落ちている場合には次の瞬間に大きな岩のようなものが背中にのしかかるように自分自身を圧迫して息をするのも苦しくなったりします。

それは高熱が出たり、ひどい頭痛やめまいがあるときに無理に100メートル走をするようなもので、健康な時にはなんでもない運動が急激な体調の悪化をまねくのと同様な結果になってしまうようなものです。

 

そういう場合にはまずは体調を戻すのが先決で、ゆっくり休む、ストレスがかからないようにする、という病人という現状を受け入れて維持するわけです。

 

「早く治したい」

 

この思いは多くの心理カウンセリングを受ける人が持っているものかもしれません。

それ自体は大事な心の力なのですが、そのクライアントの方の状況によっては急がない、とりあえず現状維持くらいでゆっくり進めた方がよいこともあるのです。