☀ 物事には「時期」というものがあります。食べ物の旬などは例としてわかりやすいでしょうか。
これも「ものさし」の一つです。
心理療法においても改善プロセスにおける時期(心の奥深く、ないしは重大な問題は最後のほうになるというような)もあれば、クライアントの方においてベストないしはベターなカウンセリング開始時期というものもあります。
とくに後者は意外とスルーされがちでしょうか。
とくに子供の場合、本人が一人でカウンセリングルームに来ることはなく、親御さんが連れてきます。
なにか問題があったからなのですが、自分の印象では子供自らの意思で来ることはほぼないように感じます。
強烈な不信感や不安を感じているのだろうなというケースもあります。
半年以上ほぼ挨拶も会話もなしなんて場合もあります。
一見すると無駄な時間のように思われますが、この時間が後で効いてきます。
継続は力なりといいますが、まさしくこの継続した時間が問題の核心を掴むための時間となって改善が後に急激に進むことがあるのです。会話すらないのに、この時期になにをしているのかというと「信頼関係の構築」です。
普通は「挨拶しない」「話しかけても反応しない」「態度も悪い」となればそのような相手とは距離をとりますし、関わろうとすること自体がなくなります。
でも、心理カウンセラーは会話はなくとも(沈黙も大事にして)関わり続けます。
そのような姿勢自体プラスαで信頼関係を構築していきます。
この「信頼関係」があればなんらかの解決策はみつかるものです。(かならずしも「治る」という意味ではありませんが)
一方で、そもそもカウンセリングルームに来ないという選択の結果として長期のひきこもりに入ってしまうケースもあります。
ひきこもりの問題の一つは長期になればなるほど対人関係の不安が「怪物化」してしまうということがあります。
最初のきっかけになったイジメや教師の不適切な関わりなどからのトラウマを処理せず、かつ他者とあまりに関わらないことで他者への不安や恐怖心が徐々に膨れ上がって他者が怪物のように思われていってしまうことはありがちなことのように思います。
このような場合はあきらかにもっと早い段階で心理療法のアプローチを受けていれば、治療期間も短く、失われた貴重な時間やその時にしかできない体験も最小化できたでしょう。
それは似たようなケースで比較的早い段階で適切な心理的アプローチを受けた成功例があるからです。
15~20年以上前ぐらいでしょうか、その当時は不登校やひきこもりは「他人に害は与えないし、放っておく」というようなアプローチをとるケースがありましたが、行きついた先、その最悪のパターンが「親殺し」です。
30年以上長期のひきこもりの結果、「自分の人生は破壊された」と感じるようになった人は自暴自棄になり、その原因は親にあると攻撃性を向けてしまう、誰も救われない悲惨なケースが報道などでも度々報じられます。
いじめの首謀者へ向けられるケースよりも、親に向けられることのほうが多いのは、最大の、かつ唯一の身近な存在だからでしょうか。身近で生活しているぶん不満も溜まりやすく、怒りの噴出のきっかけにもなりやすいのも理由になるでしょうか。
一方で、学生時代のいじめ首謀者を探すのは相手が地元にずっと住んでいなければ大変です。中には国外在住のケースだってあり得ます。また何十年も直接加害者とは関わっておらず、数十年前のいじめの記憶が怒りの源泉ですが、その記憶と感情は日常生活のために心の奥深くへ押し込んでゲームや動画配信などで覆い隠しています。何十年も。
しかし、消えたわけではありません。
意識しないように心理的ガードをし続けているだけです。それが些細な日常のきっかけで怒りが湧き、そこに過去の記憶と感情が上乗せされ、さらに数十年分の後悔と未来への絶望までプラスされるとそれはもう爆発的な負の心のパワーとなってしまうのは必然といえるでしょう。
このようなケースはあきらかにずっと早い段階で心理療法的アプローチを受けていればと感じさせられるものです。
あくまで一般論で、実際には個人差がありますが、数か月程度の不登校なら2,3か月~半年、長くて1~1年半程度の期間で改善が見込めますし、数年程度のひきこもりでも1年半~2年程度の期間で改善が見込めます(あくまで目安ですが)。個人差というのはトラウマの種類や深さでカウンセリング内容や期間が変わる、発達系の問題やその他の疾患がからんでいるなどさらなる要素がみつかればより長くなるという意味合いです。
実際、心理カウンセリングでは週に1回のペースであれば8回=2か月で改善がみられるか、変化があるかなど見極めます。ほぼ二か月単位で、次は半年、一年などがひとつのメルクマールです。
長くなればカウンセリング料金もかかりますし、クライアントの方にとっては自分がもっとも触れたくないものや嫌なことに近づかなくてはなりませんから精神的負担は一時的にせよかなりかかります。精神的に強い人でもです。
ちなみに「自分は心理療法なんて受けてもまるで精神的負担なんてない」と豪語する人は、そもそも核心の問題に到達する前にやめているか、心理的防御でそもそも心理カウンセリング自体を精神的に拒否しているかといったところでしょうか。
精神的負担があるということはそのクライアントの方にとってそれは通常ならば正しい改善ルートということですし、きちんと向き合ったから負担になっているということでもあります。
たしかにこれは簡単ではありません。あまりにつらいために途中でリタイアもあり得ます。
しかし、改善できるなら数十年の人生を考えればそれらは一時的な負担です。
もちろん心理カウンセリングではカウンセラーや療法との相性などもあり、仮に世界一のカウンセラーでも100%の成功率はないので(一般の優秀な心理カウンセラーで成功率は8割程度、精神疾患レベルの重い問題ばかりの人で2割ちょっとのようです。ちなみに後者の心理カウンセラーの数字2割は当時天才といわれた方の自著での数字です)あまり大きなことはいえませんが、最悪のケースとは天秤にかけられるものではないでしょう。
正直、もうちょっと早い段階で来てくれていればと感じるケースもあります。
ただ先述した最悪のケースなどはなかなか本人はもちろん、親御さんも自分のこととしてイメージはしづらいのでしょう。
とくに傷ついた本人はどうしても「現実」からは遠ざかりたくなるものです。
これは致し方ない部分ではあります。とくに初期段階は。
しかし、半年から1年が経過するころには問題が起きる前の人生ルートとはズレてしまっていることにも気づくはずです。
「あれ?いつでも戻れる感覚だったけどなんだか学校へ戻れないし、人と関わることも難しくなっている」
これも「気づき」です。
「気づき」は方向性が望んだものや本来のものとズレた時に軌道修正するきっかけになるものです。
ぼんやりしていると「まあ、いいか」とスルーしてしまいがちになりますが、そこで立ち止まって考えなおせるかが変化できるかの第一歩に思います。
心理カウンセリングをしているとその人の人生の流れを知ることも多くあります。
「ああ、ここが変化できたポイントかも」と感じることもあります。
そして、その変化のチャンスは無限ではなく、ほんの数回程度というのも多いように感じます。
「人はいつでも変われる」
そうであってほしいと思います。
しかし、現実はなかなか厳しいものです。
大事なことは「チャンスを逃さないこと」。
これも「捉え方」や「考え方」です。
万人受けするのは「いつでも変われる」でしょうか。
でも実際は「変われるチャンスはそう多くはないのだからチャンスを逃さないようにする」のほうが多くの人にとって有益なような気がします。
このほうが自然と意欲は高くなり、継続性も、向き合い方もいろいろな部分が良い方向へ向かいやすい気がします。
「いつでも変われる」だと人は「今でなくてもいいか」となりがちだからです。
それは子供が「自分は将来何にでもなれる」と思いたがるのに漠然とした考えから行動もあいまいで現実化しがたいのに比べて、自分の興味や特性を自覚してあえて自分に限定や負荷をかけてその都度チャレンジした人は結局失敗も多くても何かは得られるということに似ているような気がします。
表面上の言葉の優しさ=都合のよさは現実ではあまり役に立たず、むしろすこし厳しいくらいの言葉のほうが役に立つことが多いのは心理療法自体にもいえることかもしれません。
クライアントのことを親身に思えばときにちょっとだけ厳しい言葉も必要に思います。「気づき」のためには、です。
「時期」もまたその一つでしょうか。