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心のお話と雑記ブログ 

心理のお話などを独断と偏見も交えてお話します!!

「改善のルート」はひとつだけではありません。

 

心理カウンセリングにおいてはそのゴールも複数あります。

 

「治るだけでは?」という声が聞こえてきそうです。

 

しかし、現在の医学や心理療法では治癒には至らない、明確な治療法や改善方法のない「心理問題」というものがいくつもあります。

うつ病に基本的に治癒はなく、寛解までを目指すということ自体知らない人も身の回りにも多くいます。

依存症も、アルコールにしろギャンブルにしろ薬物にしろ基本寛解を目指します。

 

完全に解明はされていないようですが、おそらくは脳の仕組み自体が変性してしまったからかと考えています。

いずれは遺伝子療法なり、なんらかの薬物などで治癒可能となるでしょうが、今はまだ無理です。

間違ったルートに”治癒はないのに、治癒を目指す”があります。

それは手術不可能の弱り切った体なのに手術を無理にしたり、強い抗がん剤を効かないからと増やすようなもので、そんなことをすればかえって全体状態を悪化させ余命を短くしてしまうでしょう。

なので今は緩和ケアが充実した病院もありますし、在宅ケアに取り組んでおられる医療関係者も昔より多い印象です。

 

現実の厳しさです。

 

ただそこにあるのは絶望ではなく、別のルートがある、ということです。

 

前回も発達障害のお話をしましたが、基本的に特性が完全になくなるかといえばそれは「難しい」でしょう。

しかし、現実の生活に「支障の出ない形」にはできる可能性はあります。

 

こういう場合の避けたほうがよいルートは「放置」です。

まず第一にすでに問題が現実化している、第二になんらかの特性からの行動ならば「やってもいいことなんだ」「許されている」と誤った学習をしてしまう可能性が高いこと、などが挙げられるでしょうか。

結果、問題のある行動がより強化されてしまい、年齢が上がるにつれて体も大きくなり力も強くなる頃には手に負えなくなるという結末になってしまうからです。

私は守秘義務を重要視しているので具体的にはお話できませんが、やはり年齢が低いうちからのアプローチのほうが功を奏しやすいと感じます。

なので、発達障害の可能性があるのならば診断を受けることに賛成ですし、勧めます。

本人も自覚できやすいでしょうし、周囲の理解も得られやすい現実があります。

もっともそれは自分の住む地域が比較的こういった部分に手厚さがあるからかもしれません。

(そうではない地域の話もいくらか聞きます)

とくに発達障害の場合は二次障害の深刻さがあります。

自分のクライアントではありませんが、あるタイプの特性がありありとあるのに診断を受けず、おおよそなんらケアを受けず、学校の教師や友人から腫れもの扱いをされているあからさまな二次障害のケースを知っています。とくに教師とのエピソードでは教師の強い嫌悪感をリアルに感じてしまったほどでした。

知的には平均程度でしたが思春期ですでにコミュニケーションが普通にはとれないレベルになってしまっていました。

 

それに似たケース(違う点も多いです)で最初はやはり普通のコミュニケーションがとれないケースでも時間はかかりますが変化が起こる場合もあります。そのケースでは問題が起こるとそのことをとりあげ話をし、その行動をすべきかの検討や最悪のパターンなども話し、特性がからんでいるとそう簡単には変わりませんが、とにかく問題があるのだというアプローチをします。手ごたえがなくとも、です。

ここが分岐点です。

すぐに行動の変化が起こらなくともその子自身に「問題がある」という認識があるかどうかでも大きな差が後々出ます。

例えばですが、その子自身に手に負えない事態になってようやく「変わらなきゃいけないんだ」という自覚がでることがありますが、そもそも「問題意識」があるのでそのような心境になりやすいのです。そうでないと「許されている」という勘違いのまま突っ走るかもしれません。

 

ただ悪さをしたらその子を責めるというスタンスは伝統的な教育スタイルですが、心理療法的にはそうはしません。

 

結果がある以上、原因がある

 

その原因をつきとめて、それに対応した関わりや対処をするのです。

 

例えばですが、注意欠如傾向の強い子にいくら𠮟りつけても忘れ物をなくすのは難しいかもしれません。

 

怒られているのはわかる

 

自分が忘れ物をしたからだというのはわかる

 

でも、強く叱責すればするほどその子はすでに頭の中では別のことを考えているかもしれません。なぜならこういう場面ではこうしなければならないというルールよりも、自分が興味や関心を持ったことを優先してしまうのですから。

怒られているのに、好きなゲームや漫画の一場面を思い出して突然ニヤニヤするかもしれません。

通常ならばそこで激怒するでしょう。馬鹿にしているのか、と。

しかし、おそらくはその子は馬鹿にしてはいません。嫌なことより、楽しいことを頭の中で優先させただけなのです。

 

これが発達障害の診断を受けたり、特性を理解する必要がある理由です。

 

それらがなく健常域の子だと考えて接していると、先述のように「自分を馬鹿にしているのか」と炎にガソリンをぶちまけたように怒りが爆発しがちです。とくに自尊心が低く、余裕がない人ほどそうなりがちです。

しかし、理解していれば「ああ、この反応は奥に特性があってその影響のあらわれに過ぎないんだな」と考えられるようになります。もちろんすぐにとはいかないでしょうけれど。

ただこの種のすれ違いが起きやすいのも発達障害の子の特徴かもしれません。

しかもこれは年齢が上がるほどに起きやすくなります。

先述の子は傾向(特性)は別のものでしたが、こういった二次障害を日常で受けていたのでしょう。特性がよりマイナス方向に強化されてしまったのかもしれません。

 

怒られている時にニヤニヤ笑ったのならば、なぜ笑ったのか聞いてみればよいのです。

そういったことを何度か繰り返すとその子の心の動きや考え方、その癖や傾向が見えてきます。

事前に診断を受けていればより理解がしやすいでしょう。

 

そういったことを理解したうえで、例えば「怒られている時に笑うともっと相手から強く、しかも長く怒られるよ」というような話もできるでしょう。

こういう場合に漠然としたマナーや善悪の話などをしても想像力やメタ認知能力の部分で通じないかもしれません。

でも、先述のような「笑うと自分が損をする」と単純な損得の話なら通じるかもしれません。(もちろんこれも特性の種類や程度などで変わります)

「怒られたくない」「よりひどい状況にはなりたくない」という情動があれば通じやすいように思います。

これらはあくまでこういうパターンもありうるよという一例にすぎません。

しかし、特性の問題のある部分が最小化し、現実に問題があまり起こらず、特性のプラス部分を活かせるようになるパターンと、問題が年齢とともに増大していき成人するころにはもうできることがほとんどないというパターンとの差はこういった小さなことの積み重ねかもしれません。

小さいとはいえ、10歳からなら成人年齢18歳で、8年間もの時間です。そう考えると馬鹿にできないのではないでしょうか。

 

もちろんすべての人に当てはまるわけではなく、あるレベルや特性の場合には困難なのは前提です。

またすぐに理解してくれる、変化する、効果が出る、などはなく、時間がかかるのは共通項のようなものかもしれません。

 

しかし、「やれることはある」のもまた現実かとは思います。

 

 

 

前回のお話で発達障害の可能性を考慮するという場面がありました。

 

現代においてこの「発達障害の可能性を考慮する」ことはとても重要です。

 

なぜならば個人差(その子の性格や発達障害のタイプやレベルなど)はありますが、改善過程で行き詰ったり、最悪は発達障害の部分を無視したがゆえにカウンセリング中断ということもあり得るからです。

 

例えば友人関係の問題、イジメが不登校のきっかけだった場合に単なるお互いの感情の行き違いの場合もあれば、発達障害の特性がかなり影響している場合もあります。

前者の場合、そのきっかけのエピソードを丹念に聞くことでいわばもつれた糸(誤解)を解くことでクライアントの心はある程度安定することも多いでしょう。それはうまくいかなかった理由がわかることで不安が解消される部分があり、今後の改善という前向きな心理にも移行できるからです。(かなりシンプルにお話ししています)

もちろんそのままでは友人関係の改善には直接つながらないので、改善可能な状況ならばお母さん同士で話し合い状況を整える、学校の担任などに相談するなどの対策を講じます。

その子がなんとかなるかもと感じて、現実が良い方向へ動けばこういったシンプルな流れで不登校が解消されることもあります。

ただ状況の改善だけではなかなかうまくいかないでしょう。

あくまでもまずはその子の心の状態を整えて、その後の対策を受け入れられるだけの心にしなくてはなりません。

心が不安定なまま、心のパワーが落ちたままではうまくいかないのです。

こういった部分は鬱の改善とも似ています。

 

さて、発達障害の可能性がある場合はどうでしょうか。

 

もちろん先述のシンプルな流れに乗れるなら問題はありません。

しかし共感能力の部分に問題があったり、強度のこだわりがあったりする場合、大抵は問題の起こったエピソードは単発ではなく、同じようなことが何回も繰り返し起こっていることは多いのです。

その場合、状況をいくら改善しても本人の行動がまったく変わらないので結局はまた同様の問題が起こります。

 

では発達障害だとわかったことで本人は変わるのか?

 

ほんの数年前まで医療関係者でさえ「発達障害には何もすることがない。治療法はないし、変わらないから」という趣旨の発言をされたという親御さんの話を聞いたものです。しかし、情動の抑制など心の安定化に薬が有効な子はいます。また本人や家族が自覚することで環境の調整や行動の学習などができるケースもあります。

もちろんなかなか功を奏することのない場合もありますが。

 

治癒はなくとも寛解であるというだけでかなり違うことに似ているでしょうか。

 

うまくいくケースばかりではないのはつらいところですが、改善のルートに乗るとその子の状況はまったく違うものになります。本人や親御さんが驚くくらいに、です。

それまでがまるで呪われているかのような負の連鎖だったのが、まさしくルートが変わるわけです。

 

この「ルート」のイメージはなかなか文章だけでは伝わりづらいかもしれないとは思います。(私に文才がないというのが大きいのですが)

私の場合はいくつもの「人が変わった」という改善ルートを経験したからだと思います。

ただそういうものがあるというのは次回以降に記しておきたいと思います。

 

まず不登校の子と最初に対面する。

 

私はまずは「よくここに来られたね。がんばったね」という感覚で接します。

 

これはべつに心理カウンセリングのテクニックとして習ったからというわけではありません。

 

ただのテクニックや知識はたいてい子供にも見透かされます。

 

この感覚は経験上、自然と生まれた感覚です。

 

そもそも不登校の子は多かれ少なかれ、いじめ、級友や教師との不和(中には教師の虐待)など人間関係上の問題を抱えていることが多いものです。

かなり強い人間不信があって当然なのです。

 

それなのに心理カウンセリングなどという大人でも怖いと思う(実際にはちゃんとした心理カウンセリングはそのような恐怖を抱くようなものではないのですが、中には「自分の心を勝手に暴かれる」「心の大事な部分に土足で踏み込まれる」などと思い込んで来訪される方もそれなりに多くいます)場所に親からのアプローチとはいえ来たのです。

そこにはその子なりの勇気や決断があるわけです。

なのでまずはそこをきちんと認めてあげる必要があると思います。

 

来て当然、ではありません。

 

初対面時の反応でも人間不信の度合いがわかることは多いものです。

 

全く反応しない、言葉を発せない

 

これは当たり前。

 

ぶっきらぼうな態度。拒絶的態度。

 

これも当然。

人間不信からくる反応なら、川が上流から下流へ流れるのと同様に、当然なことです。

 

しかし、人当たりよく、饒舌だった場合、これはなんらかの別の問題が絡んできます。

経緯から当然に人間不信があるのならば、これは単発のエピソードからくる人間不信ではない可能性も考慮しなくてはなりません。

幼少期からの虐待、他者をコントロールせざるをえないという特性をもったなんらかの心理問題などなにか根本的な問題が潜んでいる可能性を考慮しなくてはなりません。

 

殴られて、泣いたり、怒ったり、不信や怒りのまなざしを向けるのは通常の反応です。

もしも殴られても無反応ならば、殴られることが常態化している可能性が高い。

殴られて笑っているのは、そうしないとさらに加害されるという恒常的な支配的虐待環境にいる可能性がある。

など、人間不信になるエピソードが明白なのに、それに関する負の反応がないのは逆に要注意なのです。

もちろん精神的に強い、異常にポジティブ思考などその子の個性の可能性もあるのですが、まずはそこはより深い問題が潜んでいないか疑うべきでしょう。

もちろんすぐさまそのようなことへアプローチするとはかぎりまぜん。

まずは多くの情報が欲しいからです。

これはカウンセリングの方向性を間違わないために、です。

 

ちなみに「挨拶さえしない」「話しかけても無反応」「50分のカウンセリング中、ほぼ無反応」「言葉が出てこない」こういったこともよくあることです。

熱血教師なら、激怒しそうですね。

(これは嫌味です。私は子供の心を踏みにじることの多い熱血教師が昔から嫌いですので(笑))

 

会話が成立しない

 

これも大事なクライアントの心を知るための大事な情報です。

 

なのでまずはそのこと自体を受け入れます。

 

そうならざるを得ない心理状態なのです。

 

もちろんこの場合、発達障害の可能性なども探りながら、です。

 

きっと端から見たら「なにもしていない」ように見えるのでしょうね。

しかし、心理カウンセラーは完全無言でもカウンセリング中はほぼ全面的にクライアントの様子を(とくに心の動き)を確認しています。

目の動き、顔の表情、手の動き、足の動きなど。

後に問題解決したり親しくなったりしてから初回カウンセリング時を振り返った時に「ちらちらこちらを見ていたね」などと話すと驚かれることもあります。

気づいていなかった、ということです。

これは当然でもあります。

カウンセラーがいかにも「あなたの心を探っていますよ」なんて行動はとらないからです。

警戒心を増幅させることが多いからです。

もちろんこれも決まりきったルーティーンではなく、カウンセリングの進行度合い、クライアントの状況などによってむしろカウンセラーは「あなたに関心を寄せていますよ」というメッセージを暗に送るために、あえて「何気なさ」をやめることもあります。

あくまで心理カウンセリングはクライアントのためにあるものだからこれも当然のことではあります。