★前回は周囲に理解不能な怒りを振りまいて、結果まわりを敵だらけにした人物を「無意識からくる怒りや憎しみ」の例として挙げました。僕はクライアントの情報は一切、家族にも話さないので、大昔の知人に登場してもらいました。
しかし、「怒り」そのものは本来大事なものです。
一つには「拒絶の意思表示」として大事ですし、正義感などの表れでもあるので人間味にもつながると思います。
なにかを成し遂げる原動力にもなるでしょう。
ただ「無意識からくる怒り」を通常の場で表へ出すと、前述したケースのように周囲から孤立し、トラブルのもとになります。
でも、それが許される場があります。
「カウンセリングルーム」です。
僕はとくにクライアントの方の「怒り」や「憎しみ」を重要視しています。
それが自分自身に向けられたとしても、です。
よくあるのはクライアントの方が自分の無意識レベルの問題、とくに親子関係に向き合う直前に「怒り」をカウンセラーに表明することがあります。
なんで自分がこんなに苦しまなきゃならないんだ。
というようなことです。
それはもっともで、虐待はもともと理不尽なものなので被害者は当然そう思います。そして、その何年、あるいは何十年と隠してきた心の傷を明らかにしようとするカウンセラーに「怒り」ときには「憎しみ」を感じるのです。
僕は、そういう時にはそれまで以上にしっかりとお話を聞きます。
なぜ怒っているのか、そして、どういうことを僕に伝えたいのか
最後までお話を聞くと、いつのまにか「怒り」や「憎しみ」はクライアントの方から消えています。
そして、かわりに今まで以上の信頼(ラポールといいます)が生まれたりします。
カウンセリングが成功するケースの場合、もちろん全てではありませんが、重いテーマの方ほどこのような分岐点があるように感じています。
不思議とこういう場合、僕はクライアントの方の「怒り」に対しては、「まだ大事な部分で理解していないのだな」とか「急ぎすぎて申し訳なかったな」とか「なんとかクライアントの方の心をよりわかろうとしなくては」と感じます。
そこに僕自身の怒りは自分でも見事なくらいありません。
ちなみに善人ぶっているわけではありません。
時折、というよりごくたまにですが、いまでも僕は実年齢よりもかなり若く見られるのか元ヤンのような人物に喧嘩を吹っ掛けられることがあります。どうやら一見、あまり強そうに見えないようですねえ。
だから脅し文句を言えばすぐにビビるだろうくらいに思うのかもしれません。
僕は、この手の脅しには屈しません。
詳細は省きますが、この手の手合いは相手が引き下がること前提で行動をとります。後のことは考えていないんですね。それで、にっちもさっちもいかなくなった相手はほぼ100%逃げていきます。
警察沙汰になったら自分が不利、仕事や何かしらを失う、ということをわからせてあげるのがコツですが。
まあ、十代の頃から何度かこういうことがあったのですが、いまでは馬鹿馬鹿しいので実力行使はしません。ちょっとした心理テクニックと覚悟だけで、ほぼ回避できます。
で、僕がこういう場面で一切引き下がらないのは単純な理由です。
自分勝手な理由で怒りを相手にぶちまける「傲慢さ」が嫌いだから、です。
まあ、そういう人間ほどじつは臆病者だということを知っているのもあるのですが。
僕が知る限り、腹の座った人物やほんとうに強い人物は些細なことで喧嘩を吹っ掛けたりしません。
そういう人は、いざとなったら失う覚悟もできていますから。
ですが、クライアントの方に対してはこういう感覚にもなりません。その怒りや憎しみは、ある意味で正当なものであると僕が心の底から感じているからなのだろうと思うのです。
カウンセラーとしての義務とか責任だけでなく。
そして、目的である問題改善のチャンスなのです。
だから「怒り」に「怒り」で返すなどということはあり得ません。
まあ、もうすこし大人になって、傲慢な相手にも精神的に凹ますようなことをせず、カウンセリングのように接してむしろ相手を癒してあげるべきかも、と文章を書きながら考えたのですが、多分それは難しいですねえ。カウンセリングはけして万能ではありませんし、合気道でも「神クラス」じゃないと無理でしょうから。
今度、機会があったら試してみようかとも思います。
勿論つまらないトラブルはないほうがよいのですが。