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心のお話と雑記ブログ 

心理のお話などを独断と偏見も交えてお話します!!

☀ もうかなり寒さも和らいで冬の終わりと春の到来を感じさせます。

 

この季節は別れと出会い、入学と卒業のすれ違う季節です。

3月というと塾時代のずっと関わってきた子達との別れのイメージが強いです。

 

先日、いつも通る道を車で走っていると、ある店舗物件からスーツ姿の男性が棚やら机やらを運び出しています。

ある大手個人塾の入っていた物件です。

「入っていた」というのは、看板は真っ白に塗りつぶされてガラス窓やドア一面に貼られていたポスター類もなくなってすっきりしていたからです。

塾を廃業したのでしょう。

そう3月は学習塾の廃業の季節でもあるのです。

なぜ3月かというと中三受験生は最後まで面倒をみなくてはならないというこの業界の最後の暗黙のルールがあるからです。

最後の誠意、といってもよいでしょうか。

この地域は確実に子供が減っています。

僕の出身小学校、中学校はすでに廃校になっています。

この小学校の真ん前に廃業した塾はありました。

この地域には去年まで小さな個人塾も含めれば僕の知る限り7つの学習塾がありましたが、去年に1つ、今年は2つの塾が廃業したようです。もう一つはビルの3階なので確認がまだ確実ではありませんが、廃業の気配濃厚です。

僕の見立てではこの地域で十分に利益の出る塾の数は2校だと思っています。

すでに供給過多。

他の地域も同様な状況が多いようです。

 

少子化で需要がないのに、けっこう塾が増えている。

 

よく聞きます。

増えている理由は、大手や中堅の塾もどんどん廃業する校舎が増えているのでしょう。その講師たちが自分たちで塾を立ち上げるのでしょう。

競争はきっとどこも苛烈だと思います。

 

塾講師経験がある人は自転車の数、人の出入り具合などでその塾がどの程度うまくいっているかわかるでしょう。

今年廃業した塾は僕の見立てでは店舗物件の家賃などからして、ここ2,3年もつかな、廃業するとしたら来年あたりかと考えていましたが、予想より1年ほど早い撤退でした。

早い撤退は、ビジネス的には悪くありません。

以前、僕が関わった塾の経営者がそうでしたが、どうしても限界まで頑張ってしまう。

とくに教育熱心だと、今関わっている子達、せめて中三受験生を卒業までと考えてしまうんですね。

でも、それは矛盾であり、不可能です。

なぜならば、今中三の子達が卒業しても、中二の子がすぐに入れ替わりで中三受験生になってしまうのですから。

廃業を決めて、中三の子達以外は入塾させない、退塾させるなどということも経営的に不可能です。

この無限ループのような構造、そして教育者的人間的善意が限界ぎりぎりまで赤字経営を続けさせて傷口を広げてしまう構造が塾経営にはあると思います。

そういう時は、「今の中三受験生だけは卒業させる。でも、中二以下の子達は他の塾に転塾できるのだから任せる」と考えたほうがいいでしょう。

もちろん愛着や複雑な思いはあるでしょうが、「他者に任せる」というのは無責任ではありません。

むしろ無理をして抱え込むほうが無責任な結果になることも多いように感じます。

 

カウンセリングも、「自分の限界」は意識した方がいいとされています。

 

これはある面では自分の能力のなさを受け入れることにつながるわけですが、とても重要なことだと思います。

時に、勘違いしたカウンセラーは自分が万能だと勘違いし、自分を「他者を救う英雄」だとか「救世主」のようにふるまうことがあるようです。

とんでもない思い違いです。

ありえない妄想です。

もちろん心理療法はときにクライアントの方を劇的に変化させます。

僕自身、「これほどか」と驚くこともあります。

でも、冷静になれば、うまくいかないケースも当然あるわけです。

心理療法のもつ力、自分の技術に「酔って」しまったらお終いだと常に僕は自戒しています。

カウンセラーは、あくまで脇役です。

主役は、クライアントの方なのですから。

ひきこもりの改善(治療という言葉は個人的に好まないので「改善」という用語を使っています)には、多くのケースと同様に大きく分けて2つの方向性があるかと思います。

 

一つは根本改善を目指す方法。

 

もう一つはかならずしも根本改善ばかりではないものの(症状が再発する可能性があるなど)当面の問題は改善される方法。

 

前者は、精神分析的なアプローチで幼少期のトラウマや家族関係などへと踏み込んでいく手法(人によってそこは一切踏み込まない人もいるようですが、来談者中心療法も含みます)

 

後者は、認知行動療法などで認知部分や行動部分をまず変化させることで改善する手法。

 

こうして書くと根本改善できるのだから前者の方がよいと思われる方がいるかもしれません。

事実、短期のひきこもりならば直近の人間関係上のトラウマが解決されるとひきもりから抜け出せるケースも多いようです。

しかし、長期の場合はやはり幼少期にまで遡らなければならないかもしれません。

 

この場合、改善(治療)にかかる期間は5~10年以上を見積もっていただければいいでしょうか。

短くて2,3年。

それだけではありません。

僕が知っているケースでは(自分のクライアントではありません)7,8年以上前者のカウンセリング(心理療法)をした結果、ほとんど改善されずにいる、治ったということになったのに症状が再発(またひきこもる)し、しかもそれを何回も繰り返す、などの事例があります。

 

僕自身はカウンセリング(心理療法)を行う基本姿勢として「クライアントにとって負担(期間、そこからくる費用、心理的負担など)が軽い手法から行う」ということを心がけています。

 

簡単に改善できる可能性があるのならばまずはそちらを選択する、ということです。当たり前と思われるかもしれませんが、自分のスタイル、教科書に忠実にしようとすると、時にクライアントにとって最も過酷で成功率の低い手法を選択してしまうこともあるのが現実です。

実際、前者のカウンセラーのクライアントを複数知っていますが、長い期間(5年、10年)をかけてむしろ状況や症状が悪化していました。

 

もちろん精神分析的に遡る手法は僕も使います。

でも、それは最後の手段といってもよいでしょうか。(直近のトラウマなどは別です)

クライアントの方の心理的抵抗が強いこと、どうしても期間が長期間になってしまうことが大きな理由です。

 

だから、僕の場合、ひきこもりの改善に関してはまずは認知や行動の部分に焦点をあてて改善していきます。(もちろん最初はじっくりお話を聴いて関わっていきます)

とくにひきこもりの方の認知には特有のものがありますので、そこの部分をまずはご本人にきちんと把握してもらい(ひきこもりの方はその考え方が特殊なものとの認識がないことが多いからです)、変化を促していきます。

 

他の問題でもそうですが、まずは簡単なもの、負担の少ないもの、改善率(治癒率)の高いものから行うほうがよいと僕は考えています。

それでも、どうしようもないケースというのがあります。

その時には「覚悟を決めて」かつできるだけクライアントの方に説明をして、合意の上で前者の手法をとります。

 

そもそも歴史的に見ても精神分析はクライアントの負担が大きい、治癒率が思ったほどよくない(リタイア率が高い)などの批判があって、効果は認めつつもその後さまざまな心理療法が派生したわけです。

たしかにうまくその方にマッチすれば効果は大きいです(僕は精神分析そのものを行うわけではありません。あくまでその方向のアプローチで来談者中心療法を行います)。

たしかにうまくいけば症状の再発はまずないでしょう。

でも、ほんとうに改善されたのでなければ、先述したようになぜかこの手法で再発したり、症状が悪化しています。

なによりも期間が長くなるというのはいかんともしがたい部分があります。

 

格闘技に例えるならば、ジャブや牽制の下段回し蹴りで倒せるのなら、そのほうがよいわけです。

飛び後ろ回し蹴りや胴まわし回転蹴りなどの大技は、当たれば一発KOもできるでしょうが、外れれば自滅します。

わかりづらいでしょうか(笑)

 

しかし、なぜか心理カウンセラーの中には後者の大技にとてもこだわってそればかりという人もいるようです。

そして、実際にクライアントの方は多くの時間と費用、精神力(将来への希望なども含めて)を失います。

 

比較的ですが、簡単な療法で改善できるなら、そのほうがいいに決まっています。

 

個人的にはじつは精神分析的手法は心理療法らしくて好きな手法なので、自戒をこめて、ですが。

「ひきこもり」の結末はどうなるのか?
 
おそらくほとんどの当事者はうっすらと感じている(わかっている)とは思いますが、現状ではおそらく「絶望」がひきこもり当事者を襲うことになるでしょう。
 
なぜならば10年、20年とひきこもってきた人は「孤独」だからです。
 
若いうちは親の経済力があればゲームやアニメ、漫画などのコンテンツの世界に逃げ込むことができます。
しかし、それも年齢とともに不可能になってきます。
経済的な変化はもとより、なによりもひきこもっている自分自身の心に変化が訪れるのです。
 
若いうち、十代や二十代のうちは「まだまだこれから」「きっかけがあれば」「出会いがあれば」などと楽観的に出会いや人生を考えられます。
その思いや考えとコンテンツとを結びつけて現実逃避がいくらでもできます。
しかし、三十を過ぎて三十五、四十となったときに、ふと「絶望感」が心の中に急に湧いてくることでしょう。
もう人間の平均寿命の半分となった頃に、楽観的な変化など起こらないと気づいてしまうのです。
 
人と関われない
 
その本質的な部分が改善できないかぎり、ひきこもりの人は人生を楽観的な方向へは変えられません。
もちろんスキゾイド型性格の人のように生来的に孤独を愛するならば他者との関りがなかったり希薄であっても問題はないかもしれません。
そういうタイプの人は趣味などに深く入り込んだりしますので人生の満足感をそこから得られたりします。
しかし、ひきこもりの人はかならずしも孤独を生来から愛しているわけではないように思います。
過去の人間関係(家族関係、学校の人間関係など)のトラブルなどから対人関係上のトラウマを抱えていて、精神的限界がきたために「もうこれ以上、傷つきたくない」という思いから自宅や自室にひきこもる。
溶岩が流れてくれば誰でも逃げるように、危険があれば誰でも一時避難しますが、ひきこもりの人はそれが一時的なものではなくて数十年という単位で永続的になってしまっている点に大きな問題があります。
 
ひきこもりの人の多くは閉鎖空間で多くの時間を過ごすせいか時間の感覚が狂っていることも多いように思います。
十年がまるで半年か一年ぐらいの感覚。
もしかしたらもっと短いかもしれません。
 
しかし、35歳~40歳を過ぎるあたりから「現実」が目の前に迫ってきます。
親の加齢、周囲の状況変化、自分の加齢、などなど。
そして、自分をふとみつめると「数十年前のまま」であることに気がつく。
「楽観」が消えて、「絶望」がむくむくと立ち上がってくるのはこの頃です。
 
次に沸き起こる感情は「怒り」です。
自分をこんな状況にした者への怒り。
それが親に向かうことも珍しくはないでしょう。
最悪のケースでは殺人事件化もしてしまっているようです。
もっとも「ひきこもり」は本来、他人と関われない本質をもっているので犯罪からはもっとも縁遠いのですが、この激しい怒りは特定の人間へ向けられてしまいます。
 
「ひきこもり」に関しては、できるだけ早く改善したほうがよいと思います。
実際、ひきこもり期間が一年未満だと行動変化が起こりやすいと感じています。
ただ先述したように空想や楽観の世界で安住してしまっていると「変わる」必要性を感じないかもしれません。
それが永遠に続くような気分になっていますから。
でも、かならず破綻はきます。
そして、ひきこもり期間が長ければ長いほど、高年齢になればなるほど破綻の時のインパクトも強いように思います。
それは「やり直し」が難しいことを実感しているからかもしれません。
就職にしろ、友人や恋人などの新たな人間関係にしろ、年齢が若い方が可能性が多いのは事実です。
心理療法で終わりではなくて、実際には心理療法で精神面を改善したらそこが新たな現実のスタートになるわけですからそこは厳しい側面があります。
もちろん高年齢であっても、教科書通りではなくとも自分なりに満足できる道は探せると思います。
それでも一般的には改善度の良さからいっても、その後の現実生活の再構築のしやすさからいっても、やはりひきこもりについては「早い改善」のほうがよいと思います。
心理療法に焦りは禁物ですが。