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心のお話と雑記ブログ 

心理のお話などを独断と偏見も交えてお話します!!

☀ 「逃げる」ということは、戦略戦術上もきわめて重要な手法です!

 

溶岩が流れてきているのにつまらないプライドから逃げずにそちらへ突っ込んでいくのはマヌケ、無能ということになるでしょう。

ハチの巣にぶつかってハチが攻撃してきているのに防護服なしに立ち向かうのは愚の骨頂でしょう。

 

あの織田信長、徳川家康でさえ負け戦を経験しているとのこと。

その時に殺されていれば、その後の活躍はなかったことになります。

負け戦の時に、現実を直視し、被害やリスクを最小限にして生き残ったことが歴史に名を残すことにつながったともいえるのではないかと思います。

 

ですから、「逃げる」ことはきわめて重要な選択肢のひとつだと思います。

カルト教団、ブラック企業、いじめ状況など。

肉体的精神的に追い詰められて、自殺へと追い込まれるならば、その場からとっとと逃げたほうがよいでしょう。

とくにカルト的集団の場合、そこから脱出を図ろうとしてもそこに属したままでは教育だとか修行だとかの名目でリーダー格の人間の病的思考を上書きされてしまいますので、心理的アプローチをしてもすぐに洗脳により無効化されてしまう恐れもあります。

 

ですから「逃げる」ことは時にはきわめて重要な選択肢なのです。

 

しかし、「逃げる」ことでその人自身が損害を被るケースもあります。

 

進学、就職、交際などことごとく自分で人生のチャンスを放棄して、その人本来の能力や魅力を発揮できない「回避性パーソナリティ障害」のようなケースは顕著です。

しかし、そうでなくとも「これ以上、傷つきたくない」というような理由でひたすら逃げてしまうとチャンスを潰してしまうだけではなくて自己の人格も大きく損なってしまうケースがあります。

そういう場合、「逃げる口実」は第三者が聞くときわめて奇妙な「言い訳」になっています。

 

たとえば希望の就職先に行けなかったと嘆くのですが、では、その人がその職につくための努力はどれほどしたのかというと「ネットや電話で調べただけ」だったりします。

自分で困難だとあきらめて、それ以上の努力はしないのです。

そんなことを繰り返して、気づくと十年以上が経過。

そして、十年以上前の就職の失敗(?)をひたすら嘆くのです。

 

周囲の人はその人がなぜそこにそれほど拘るのか理解できません。

実際、話を聞いていくと子供のころからの夢だというわけでもない、その職業自体が好きでもない、どうやら給料などの条件がよいのが志望理由らしい。話を聞けば聞くほど、余計に理解不能に陥ります。

 

そのレベルになるといくら話を聞いていても、わかることはその人は嘆きと愚痴を繰り返すばかりで何も変えようとはしないし、行動はいっさい起こさないことになるでしょう。

 

来談者中心療法は、ひたすら話を聴いてその人を肯定することで、その人自身が持っている心理的自己治癒力が発揮しやすい状況をつくりだして、結果、その人が良くなっていくというルートを辿るのが基本だと思います。

 

多くの人は、そのルートを辿れるかと思います。

 

しかし、時折そのルートを辿れない人もいます。

 

「逃げるための言い訳」を次から次に繰り出しながら、気づいたら最初の言い訳に戻っていたなどというある種の円環、無限ループに陥ってしまうケースです。(何度も言い訳を繰り返しながらも途中で自分の「言葉」に気づくようなケースはルートを辿れるケースです)

 

その場合には、質問技法などのクサビによって意味のない(生産性のない)無限ループを止める必要があるでしょう。(ちょっとした質問程度では簡単には止まらないのですが)

根が深そうな場合は、心のバランスから整えるなどの下地作りも必要でしょう。

 

「逃げていたら、何も得られない」

「逃げている間に、時間は経過して、大きなものを失ってしまう」

 

当たり前のよく聞く言葉ですが、自分の人生さえ台無しにしてしまうケースもあります。

先述のような「言い訳」を十年以上繰り返す人もいるのですから。

他の可能性を探ることを一切しないまま、です。

 

ループを止める

 

ひたすら聴くほうが効果的なことも多く、リスクも少ないのですが、時にはある種のインパクトも必要かと思います。

 

※尚、ここでのお話は私の担当するクライアントの方のお話ではありません。

カウンセリングにおいて守秘義務をとくに重視しておりますので、主にその他の場所(プライベート)での経験、情報を、個人が特定されないよう脚色したものとお考えください。

☀カウンセリングを訪れよう、活用しようという人の多くは「何かを変えたい」と思っています。

 

では、「何を」変えるのか?

 

大きく分けて2種類。

 

2方向、といってもよいでしょうか。

 

「周囲」を変えるのか、「自分」を変えるのか、です。

 

結論から言えば、僕個人の感覚・考えですが、「どちらもアリ」です。

 

ただ、要注意事項・原則もいくつかあります。

 

基本的に周囲(他人、環境など)を変えるより、自分を変えたほうがリスクは低く、確実です。

 

当然ですが、他人はそう簡単に自分が望むようには行動してくれませんし、コントロールもできません。

無理をすれば対人関係・状況はさらに悪化し、収拾がつかなくなることも珍しくないでしょう。

 

それに比べれば、環境は変えやすいです。

でも、リスクは高いことも多いでしょう。

転居、転学、転職と手続きの大変さや費用、労力と同時に、自分自身が「逃げた」という罪悪感で苦しむこともあります。

とくに転職に関しては再就職の困難さも含めて現実的問題が大きいものです。

 

また、その人自身にやはり問題の部分がある場合、環境を変えても同じ結果になることも多いものです。

いじめの被害者が、転校先でやはり同様のいじめにあうということも多く聞きます。

(もちろんいじめは被害者の責任ではなく、加害者側の心の問題だと考えていますが)

 

例えばですが、もともと内気だった被害者がいじめを受けたことによりさらに自己評価が低くなり「うつむいてばかりで視線を合わせられない」「自分の意見が言えない」「黙ってばかり」などという行動をとることで、いじめの対象になってしまう場合などに顕著です。

この場合、最初の内気さについては個性でもあり、本人が望まなければ改善する必要はないかもしれません。

しかし、いじめの被害を受けてからの「」の部分については改善したほうがよいでしょう。

なぜならばこれらの行動が呼び水の役割をはたしていじめ加害者からの攻撃を誘発してしまうからです。

自己防衛のためにも改善したほうがよいでしょうし、性格そのものを変えるわけではないので「比較的」容易です。(あくまで「比較的」です。実際にはトラウマなどもあるのでその処理などは簡単ではありません)

 

また心理療法の基本的考え方ではクライアントの方の可能性、自己実現性というものを重視するので安易に「環境を変えるのはよくない」という考え方もあり、そこには一理あります。

 

先述の例もありますし、それは基本的に正しいのでしょう。

 

しかし、ブラック企業などの悪環境で経済的肉体的精神的に搾取されつづけた結果、うつ病などになり、最後は自殺となる結末はなんとしても避けるべきであり、早い段階でそこから離れるのはきわめて重要な手段・手法のひとつだと思います。

 

ブラック企業はカルト教団などにその構造が酷似していると思っていますが、カルトから抜け出す第一の方法はまずそこから物理的距離的に離れることです。

そうしないとどんな精神的アプローチをしても「再教育」「修行」などの名目ですぐに経営者や教祖の望むような人格への洗脳がはじまってしまい、そのアプローチは無効化されてしまうからです。

 

その人にとって最善の手法・順序はその人の個性や状況によって決まる、と考えています。

それを間違えると、確実にその人の問題は悪化してしまうでしょう。

基本は基本として重視しつつ、柔軟に物事全般をとらえ自由に発想できるのが大事だと思っています。

 

だからではありませんが、ここのところ立て続けに心理関係の書籍を購入し読書にも励んでいます。

暖かくなり、季節の変化も感じたので意欲も高まっているのでしょうか。

読書の秋ではなく、季節外れの「春」ですが。

ー失敗から学ぶー

 

よくいわれることですが、とても重要なことだと思います。

「自分は失敗したことがない」なんていう人もいるようですが、それはチャレンジしていないだけ、行動していないだけ、だと思います。

そもそも人間は赤ん坊の時にさんざん「転ぶ」という失敗を繰り返して二足歩行ができるようになっているはずなのですから、そのことを覚えていない、意識していないだけでしょう。

 

「善意で踏み固められた道が、地獄へ通じていることもある」

 

僕の好きな言葉のひとつです。

 

今回のお話は、そこまで大げさなものではありませんが、僕自身の失敗談です。

 

時折、カウンセリングの料金について議論になることがあるようです。

 

要は、高すぎる、ということのようです。極端な意見では「無料にしろ」なんてものまであります。

 

もちろん世の中にはお金だけが目当てで暴利をむさぼるようなカウンセラーもいるのは事実です。

例えばですが、初回料1万円以上に加えカウンセリング料をさらに1万5千円以上とる。

料金設定は自由ですが、はっきり言って、どちらかの料金は「お金が多くほしい」という以上の理由はないでしょう。

もちろん経験豊富で、成功率の高い方のカウンセリング料はいくら高くてもいいと思います。

でも、僕の知っているケースでは成功率が普通よりもあきらかに低いのにべらぼうに料金は高いケースです。

そういう所で痛いめにあった方なのでしょうか、カウンセリングに対して強い不信感をお持ちになっていて料金をとること自体に否定的な人もいます。

 

結論からいえば、カウンセリング料は必要です。

 

ひとつにはカウンセラーとクライアントが対等の関係であるという前提がつくれるからです。

料金を支払って、50分ないしは60分の時間はクライアントの方は時間を手に入れて自分のためのカウンセリングを受けられる、カウンセラーは料金に見合うだけのカウンセリングをするという関係です。

 

あるカウンセラーはある程度長く通ったクライアントが経済的困窮を訴えたので「それでは後払いでかまいません。カウンセリングが終了し、十分な収入が得られたらお支払いください」という形にしたそうです。

普通に考えれば、なんてこのカウンセラーは思いやりがあるのだろうと思います。きっとクライアントの方は喜んだにちがいないと誰でも思うかもしれません。

事実、最初はとても喜んだそうです。

しかし、数回のカウンセリング後、そのクライアントの方は来なくなったそうです。

カウンセリングの中断、失敗です。

きっとクライアントの方はカウンセリング料を支払わずにカウンセリングを受けることに抵抗感がでてきたのでしょう。

 

理由はいくつか推測できます。

 

施しを受けているというような感覚になり自分がみじめになっていく。

カウンセリング回数を重ねれば重ねるほど、借金が増えていく感覚になる。

など。ほかにも理由はあり得るでしょう。

 

良かれと思ってしたことが裏目に出る。

 

これは震災の時にカウンセラーが避難所をボランティアで訪問し、無料でカウンセリングをしようとしたところ出入り禁止になったなんていう話にもよく表れています。

そもそもトラウマ処理はある程度環境や心が落ち着いてから行うもので、震災直後などに行うものではありません。

また、基本的にカウンセリングは押しかけてするものではなく、必要とする人が訪れるべきものとも考えます。

まさしく「来談者」です。

 

ただ僕自身も良かれと思ってしたのに失敗したことがあります。

 

それは以前にごく低料金で二週間(実際は休日を当てたので二日間)ほどお試しカウンセリングをしたことです。

本当に必要な人は本来の料金でも訪れるものと思っていました。しかし、純粋に、いままでカウンセリングというものに接したことがない人が多い日本で、少しでも気持ちが軽くなった経験をしていただければ誤解の多い心理カウンセリングそのものの理解や普及にもほんのわずかだけれどつながるだろう、という思いがあってのことでした。

 

結果は、何人かの方のお申込みがありましたが、なんの連絡もない当日キャンセル、ドタキャンばかりになりました。予約時間になっても来られないので電話連絡しても、音沙汰なし。

この先にも、後にも、こういうことは一度もありません。通常料金の時には一件もないのです。

この時だけです。

 

悟りました。

 

ごく手軽な低料金にしたことで、本来ほんとうに必要とはしていない人も呼び込んで、かつ自分のカウンセリングの価値を期間限定とはいえその程度と思われるように仕向けてしまったのです。

 

本来、一万円の価値があるものでも、百円で売れば、百円の価値になってしまう。

 

この当たり前のことが、わかっていなかったのです。

 

もちろん目利きは真の価値を見出すでしょう。

でも、そんな人は一握り。

ましてや会ったことも経験したこともないもの、本来必要としていないものには人はぞんざいな態度を示すものなのです。

 

いい勉強になりました。

 

それ以来、もともとカウンセリング料には意味があると思っていましたが、善意であっても安くするという行為自体が無意味なのだと実感した次第です。

 

お恥ずかしい話です。

 

でも、もしもカウンセラーの方で料金云々で「もっと安くならないのか」とか「ボランティアですべきだ」なんていう苦情や文句(というと聞こえは悪いですが)の類を質問される方へのお答えの材料に少しでもなれば、と思います。

料金を低くしても良い結果につながらなかった実例ですので。