本日、47歳最後の日となりましたが、結局僕の人生において2003年に就任したMIジャパンの特別講師(スペシャルアドヴァイザー)としてのキャリアからはそれまでとは全く別の人生というか思いもよらない事ばかりが起きたような気がします。

素晴らしい生徒たちとの出会い、そして最高峰の難易度を誇るギター教本の出版、2011年からの意を決した再度の上京、そして全く想像していなかった突然訪れた父の死、12年ぶりにリリースしたメジャーアルバム、そして海外遠征など話せば圧倒的に沢山の事があるのですが、とにかく僕にとってはやはり1998年から2002年の4年間が無かったらこの16年間は存在していなかったと言えるほど厳しく辛い思い出が多いのも事実ですが、それを乗り越えられたのが僕の事を慕ってくれる学生たち、そして彼らが立派に育って活躍している姿、東京に来てからの音楽業界の皆さんの支援やサポート、すべてその4年間の苦労が嘘のように認められるようになり、自分自身というものがどれだけ地道に積み重ねてきたのかという事がこの身で実感できる様になりました。

当然30代といえばミュージシャンはしっかりと自分の活動を熟成させる期間として非常に大切なのですが、その十年を僕は学生に捧げたというより正直に向き合い全力で取り組んだという感じです。MIジャパン大阪校に就任して初めて出会った大村孝佳を始めとする素晴らしい才能あふれるプレイヤーたちとの刺激的な毎日は講師である僕も逆に刺激を与えてもらうことが出来、自信のライブや音楽活動をする以上に10代の頃のような気持に戻ることが出来たし、そんな学生たちに僕の今まで行ってきたことを高く評価されたことは何より自信となりました。

2005年より旧友の西本圭介氏が務めるNSM(名古屋スクールオブミュージック専門学校)への兼任も決まり、この時に出会ったYosukeと圭介の教え子であるKazは今や僕のメインバンドであるBLIND FAITHのレギュラーメンバーとなり、2014年キングレコードからリリースしたアルバムから3枚このメンバーでレコーディングしています。

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少し話を戻しまして、音楽学校を兼任する傍ら、30代後半から腐れ縁ともいえるメンツとメロディックデスメタルバンド『Scarlet Garden』の活動を本格的に始め、大阪と名古屋で教鞭をとりながら週末は東京でデスメタルバンドのライブと非常に激しい日々を過ごしていました。体も限界でボロボロでしたが利害のないメンバーたちとただスタジオリハーサルをしてイベントライブに出演するというのは僕自身高校生以来だったのでとても楽しく、自分自身音楽と改めて向き合う形を考え直すことが出来ました。

このメンバーとのライブ活動はとても楽しかったですね・・またいつでも再開できると信じています。

そんな折、ギター教則本の世界で最も難しいものを作って頂きたいと依頼されたのがリットーミュージックより出版された『超絶ギタリスト養成ギプス』でした。

 

 

2万円て・・なんて値段つけてるんだガーン

 

まぁ、これはもう僕が難しいと思うものばかりを詰め込んだのですぐには弾くことはできませんが(笑)そのぐらいのものを作ることが出来る人間は中々いないだろうと思うし今後もそう簡単には現れないだろうという自負はあります・・お陰様で難しすぎて廃刊になってしまいましたが(笑)電子本では発売されていると思いますのでお手持ちでない方は是非一度お試しください・・ちなみに1ページ目で挫折すると有名です。その後念願のUSA版も出版されたので僕の大きな夢がまた一つ叶いました。

教則本が出版されるとそのきっかけから楽器店でのギターセミナーを行うようになり、そこで出会った島村楽器のイベント担当の方が僕のセミナーを見て下さったときに「これは面白い内容なので是非継続していきましょう」という一声で結局約7年間200回以上に渡る、島村楽器のイベントの中でもトップクラスのものとなり、ここでも金字塔を打ち立てたのです(笑)楽器店セミナーも7年前より今やだれもがやる、ミュージシャンにとっては重要なプロモーションの機会となっています、僕は迷いなく行動に移すので、常に最先端の先端を行く活動が出来ているなと実感しています。

しかしながら、僕は必死でした・・何故ならその時僕の父は上京後まもなくして癌を発病し、闘病生活を送っていたからです・・父にいいところを見せたい、立派な姿を見せて親孝行したい!とこの頃初めて強く思いました。それまでは自分のやりたい事を曲げてまで音楽を続けるなどあり得ないと思っていましたが、父の病気で初めて己の愚かさを思い知ったというわけです・・結局独りよがりで音楽を続けてきたという事を思い知りました。

父が喜んでくれるなら魂売ってでももっと売れて喜んでもらいたい!と本気で思いました。でも結局今までやってきたことでそんな簡単に有名になったりするようなことは当然なく、地道に自分が出来る事をやるだけの日々が続きましたが、父が抗がん剤投与を止めガンと戦うのではなくガンを受け入れるようになってからは、とにかく出来るだけ行けるところへ家族で旅し、思い出をたくさん作るよう頑張りました。東京スカイツリー、日光東照宮、中禅寺湖、そして両親の故郷高知県足摺岬など、この時の思い出は沢山今でも僕の心に焼き付いています・・

亡くなる2か月前に父の故郷高知県で親子コンサートが実現したことは父の体調から考えれば奇跡的な事だったしいつ倒れてもおかしくない状態でしたが、父は全くそういうそぶりを見せず僕としっかり共演しステージを終えたのです・・その後容体は急変し、僕が台湾へのギタークリニックツアーに行っている最中息を引き取りました。きっと父はそんな必死だった僕に「お前のやりたいようにやればいい」という気遣いから出来るだけ迷惑をかけることなくこの世を早く去ったのだと思います。未だ父には何一つ勝ち目がありません・・

父が亡くなってからというものそれなりに大変な事はありますが、すべてが順調で何処へ行くにも信じられないほど天気にも恵まれ、昔のような苦労やトラブルは殆どなく自分のやりたい事で身を立てる事が出来ています。もちろん自分自身の努力もあるのかもしれませんが、辛抱強く継続しこだわりぬいた結果周りの評価が僕を押し上げてくれ、誰にも真似の出来ないミュージシャンケリーサイモンとしての存在を確立できつつあります。我々の仕事は誰かがその存在を高く評価してくれているからこそ成り立つものですからね。

全ては自分の力ではなくその努力を認めて下さった人たちのお陰で成り立っている事を理解し、これからも決して奢ることなく父からもらった言葉を大切に、引き続き精進してまいりますので皆さんどうか宜しくお願い致します。人それぞれ考え方はあると思いますが、僕自身は忠実に誠実に努力をしていれば報われることは必ずあると今でも信じていますしそのようになって来たからこそ今があると思っています。

「人生は有限. 夢は無限. 技芸に頂点なし。 お前はただ挑戦あるのみ。 頑張って夢を追い続けて欲しい。 」--父より

僕はこれからも『自分の拘りを一切妥協せずに貫き通して音楽で生きた男』としてのナンバーワンかつオンリーワンを目指したいと思います。
 

この年齢でもはや地位とか名声にこだわるような事はしませんよ・・だって地位があろうがなかろうが能書き垂れずに直ちに今すぐさま何時如何なる所でもオモクソギター弾いて黙らせればそれで十分ですからね(笑)‥それが出来るようになった今はもう自分のやりたい事だけやるだけさ・・なのですグラサンチョキ

 

そして!!

 

まだまだ今年も色々と新たな挑戦が待ち受けておりますので楽しみにお待ちください音譜