納骨準備・まさかこんな騒動になるとは… その1 | ゆるゆるな毎日

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水曜どうでしょうやマンホール、キリスト看板などの趣味に走りすぎた日々を綴っています。

金曜日にちょこっとお話しましたが、父の納骨の日程が決まり、

 

これが終われば本当に一段落だ…と思った途端、妙な騒動になってしまいました。

 

原因は母の弟の叔父。

 

母の実家の本家を継いだ人で、父の戒名料の時は、

 

お寺さんから本家に聞いてみて下さいと言われたため、

 

電話で色々教えてくれた人です。

 

ただ、父の葬儀にも四十九日法要にも来ませんでした。

 

昨年11月に大きな手術をしたばかりだったので、葬儀の際は、

 

体調が思わしくなければ葬儀に参列しなくてもいいですよと言いました。

 

しかし連絡した時は大丈夫だから参列すると言っていましたが、ドタキャン。

 

四十九日法要も同じく、直前でドタキャンしてきました。

 

そもそも、四十九日法要の時は仕出しの懐石弁当をお願いし、

 

自宅に持ち帰って精進落としをしてもらおうと思っていたのですが、

 

それは要らないと言うので変だと思っていました。

 

要らないと言われても用意するつもりでいたのですが結局ドタキャン。

 

また元々、病院の予約が入っていたという理由だったのですが、

 

後になったら大本家の7回忌法要だったとのこと。

 

2親等の妹の夫の四十九日よりも、4親等の大叔父の7回忌を選ぶんだ…。

 

姻族より血族だからかもしれないけれど、

 

そもそも何で最初から7回忌と言わず、病院の予約なんて嘘を吐いたのか。

 

この時にも、何かおかしいと感じていた私は、母に対して、

 

今後は何でもかんでも叔父のところに電話したり、

 

気軽に頼み事をしないようにと言っていました。

 

しかし何にも気づいていなかった母は、

 

父の家庭菜園から持ち帰った杭などの処分をお願いしてしまったそうで、

 

それを聞いた私は頭を抱えてしまいました。

 

もっとも、叔父も父が購入したばかりの草刈り機や長い梯子が欲しかったそうなので、

 

それを受け取りに来つつ、不用品を持って帰ったらしいのですが、

 

人というのは自分の都合の良いように記憶や話を作り変えることがあります。

 

私だったらしがらみのない業者に任せ、代金をお支払いする方を選びますが、

 

父が生前、叔父が欲しがるようだったら譲ってやってくれと言っていたため、

 

気軽に話し、ついでに処分してくれるというので頼んでしまったようです。

 

こういう気軽なお願い事の不満も、叔父夫婦の中には長年蓄積していたのでしょうね。

 

 

さて、話は前後して父の若かりし頃の話。

 

父は5人兄弟で、上に姉が2人、下に弟が2人います。

 

父が学生の頃に祖父が亡くなり、

 

まだ小さかった叔父たちや祖母の面倒を見るために進学を諦めて就職し、

 

弟たちの高校までの学費を出し、社会人になってからも家に住まわせ、

 

生活費を入れてもらうこともなく、結婚して家を出るまで世話をしたそうです。

 

しかも祖母と出戻って来た2番目の姉も父の家に転がり込み、

 

結婚したばかりの母も苦労をしたそうです。

 

それだけ世話になったのに上の弟は、

 

結婚して独立後、父の顔が腫れ上がるまで殴ったことがあったそうで、

 

それ以来、折り合いが悪く、

 

また下の弟の嫁があることないことを上の弟夫婦に吹き込み、

 

仲がどんどん険悪になっていったのだとか。

 

なまじ上の弟と疎遠だっただけに、それが分かったのは3年くらい前のこと。

 

下の弟の嫁は人に父や母の悪口を吹き込んでいたのに、

 

シレッとして父が作った野菜をもらいに来たり、

 

たくあんやらっきょうなどを漬けてほしいと頼んできていたのですから呆れます。

 

また父がさんざん面倒を見た2番目の姉の遺産は、弟2人だけで分けたそうです。

 

上の姉は妹が亡くなったことも知らされていなかったとか。

 

父は人がいいばっかりに、かなり苦労も損もしたと思いますが、

 

さすがに下の弟嫁の行状に怒髪天を衝き、一方的に絶縁することにしたそうです。

 

亡くなる前に「俺に何かあっても弟たちにだけは知せるな」と何度も言っていたので、

 

父の遺志を尊重し、葬儀のことも亡くなったことも知せませんでした。

 

また新聞のおくやみ欄への掲載もやめてもらいました。

 

 

こういう経緯があるとは言え、父の親族が父の葬儀に参列しないのに、

 

母方の親族だけを大勢呼ぶのもおかしなことです。

 

しかも息子の5年生への進級が掛かっている共用試験が迫っている時期だったので、

 

葬儀は亡くなった2日後という慌ただしいものとなりました。

 

葬儀屋さんと葬儀の段取りが決まった時間から十数時間後には葬儀ということもあり、

 

母方の親戚(母のいとこたち)には葬儀が終わった直後に

 

先に葬儀を行った事情を話しつつ父の訃報を伝えようと思っていました。

 

そして四十九日法要は本家や大本家の近くの菩提寺で行うので、

 

高齢な方たちも近ければ参列しやすいだろうと思い、

 

日程が決まったらまたご連絡させて頂きますと言おうと思っていました。

 

 

ところが今回の騒動の原因となった叔父が

 

「葬儀が終わった後に連絡するなんて失礼なことをするな!」と激怒したそうです。

 

私は母が電話で言われた直後に母からまた聞きで聞いたのですが、

 

とは言え、電話を切った直後に聞いたので記憶違いはありません。

 

いくら叔父に言われたとしても、

 

私の家のことなので連絡してもいいんじゃないかと母には言ったのですが、

 

田舎の古い家なので、叔父の家の周辺には親族が固まって住んでいるため、

 

あちらでもめ事になっても困ると言うのです(どうやら叔父が言ったらしい)。

 

仕方ないので四十九日法要の日程が決まったら知せていいかと聞くと、

 

「納骨を兼ねるなら四十九日の時で、納骨が別なら納骨の時」と言ったそうです。

 

このことは12月末、例の父の改製原戸籍を取りに行った時、

 

まさに出かける瞬間に叔父夫婦が弔問に来て下さり、

 

玄関先であいさつし、弔問の御礼をした際、

 

私も直接「納骨の時で良い」という話を聞きました。

 

またその前に自然に知られてしまうのならそれでも良いということも話しました。

 

何故なら、我が家は母方の親戚に父の死を隠しておくつもりはなかったからです。

 

叔父夫婦と挨拶を交わし、軽く立ち話だけした後、私一人で遠方まで書類を取りに行き、

 

その日のうちに東京戻らなければならないという事情を話して

 

すぐに出かけてしまったのですが、

 

この言動がもう叔父は面白くなかったのかもしれません。

 

 

そしてもう1点は私のミス。

 

母の従妹で私も仲良くしている東京在住のKちゃんにだけ

 

喪中はがきを出してしまっていました。

 

母方の親類は、あちらから年賀状仕舞いを言われたり、

 

また来たり来なかったりというおうちも多かったので、

 

2年前に年賀状仕舞いをしますという宣言をしていました。

 

でもKちゃんとは子供の頃から仲良くしていて、

 

Kちゃんも私のことを

 

「本当の姪っこよりも姪だと思ってる」と言って下さっていて、

 

転勤の度に連絡して長電話したり、帰省した際は会ったりしていました。

 

父もKちゃんのことは大好きで、遊びに行ったり招いたりしていました。

 

なのでせめて父が亡くなったことは知らせたいと思い、

 

喪中はがきを出したのでした。

 

Kちゃんは父の突然の訃報に驚き、

 

「納骨には是非参列させてね」と言ってくれていたのですが、

 

これがまた叔父には面白くなかったようで、

 

金曜日にブログを休むことになった騒動は、

 

このKちゃんの参列を含む納骨のことでした。

 

 

不愉快な内容ですが、順を追って書かないと事情が分からないため、

 

延々と過去の経緯を記してしまいました。

 

長くなってしまったので、完結編は明日書きます。

 

 

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