先週末
高校のクラス会もどきを開催した
A先生は
私達の担任でもあったけど
軟式野球の顧問でもあった
当時の軟式野球部は
硬式野球部で挫折して
中途入部する者が多かった
硬式野球部は
甲子園出場よりも高い目標である
全国制覇を
本気で目指していた
上下関係や練習
全てにおいて厳しいがゆえ
入部者も多いけど
退部者も多かった
傷付き、悩み
それでも腐ることなく
軟式野球部で再起した少年を
A先生は容赦なく“しごいた”
クラスがだらけると
犠牲になるのは
いつも軟式野球の部員たちだった
往復ビンタなどは
日常茶飯事で
先生から彼らを守ることで
クラスはまとまった気がする
練習で殴られ
クラスでも身代わりに殴られた
ドン引きする話だけど
昭和55年頃の
うちの高校はどこも似たようなもんだった
彼らの偉いところは
今でも先生を囲んで飲み会をしている
今回も元々は軟式野球部の新年会だった
それに有志が合流して15人が集まった
先生は84歳
本人は「もうボケてきた」と言うけど
記憶力も体力も
まだまだ大丈夫
2次会のカラオケにも参加して
2曲歌ってご機嫌で帰って行った
84歳で午前様恐るべし
解散後
ラーメン食べに行こうと
7人で【万寿】に向かったけど
0時で閉店してたので
【おが多】で〆のラーメン
【万寿のタール麺】食べたかったなぁ
1次会、2次会の興奮も落ち着いた午前1時
ラーメン食べながら
ボソボソと真面目な話が始まった
私が花屋のオヤジに聞いた
「何歳まで働くん?」
老舗の花屋で
結婚式やパーティーのスタンドなど
年中忙しそうにしている
「皆んなが定年退職になった話聞いたら
羨ましいけど俺はまだまだ辞めれんわ」
「なぁ」とガス屋の次男坊に同意を求めた
宝塚歌劇団の近くの花屋で修行して
実家に戻って40年
一年中寒い店に
夫婦で立っている
「まだ借金が残ってるしな」
建て替えたビルの借金がまだあるそうだ
この花屋のお陰で
私達は今も繋がっている
折に触れ花を買いに行き
先生や皆んなの近況を知ることができている
1次会で帰ったけど
八百屋のオヤジは
ステージ4の癌を乗り越えて
元気な顔を出してくれた
宴会の最後には彼からの
差し入れの果物が
食べ切れないほど大量に出てきた
彼もまた街中に店を構え
多くの飲食店に納品して
繁華街を支えている
店構えはスーパーと違って
街の八百屋
夏はクーラーも無く
今の季節は
北風が吹き込む店に立ち
青果を扱っている
2人とも辞める時期なんて決めてない
身体が動く間は店に立つことだろう
彼らの親がそうしていたように…
かたや
サラリーマンのオヤジたち
幸いにも多くの友達が
高卒で一部上場企業に就職した
そして昨年
皆、定年退職した
そこそこの退職金を受け取ったけど
お決まりの
再雇用や雇用延長で
収入大幅ダウンなのに
同じ量の仕事を続けている
年金開始まであと4年
こんな生活が続く
この仲間の中に2人だけ
完全リタイヤした者がいる
定年になったら
絶対に働かないと決め
好きな時に釣りに行き
2人で
昼間から居酒屋に行って酒を飲み
夕方の電車で家に帰る
毎日こんな生活を楽しんでいる
皆が
「時間に縛られない自由を謳歌している」
と、羨ましそうに言う
帰り際
そんな悠々自適のひとりに
「ええねぇ」と言ったら
「もう飽きた、安い給料でも
仕事したほうがええで」と
返ってきた
7〜8ヶ月遊び呆けた末の心境のようだ
色んな人生を垣間見た
先生は終始ニコニコしているけど
男性陣は敬語で応える
私達女性陣はタメ口で
昔話をする
「なんであんなに毎日○○君殴ったん?」
「なんであんな意地悪なノック打ってたん?」
私は敢えて意地悪な質問で
先生を困らせてやった(笑)
軟式OBは『もっと言え』と
いう顔で笑ってる
答えは皆んなわかってる
だから今もこうして先生を囲んで
集まっているんだから
今の子供たちは
苦しみも喜びも知らずに
歳だけ重ねていくのかと思うと
可哀想に思えてきた
こんな集まりは
順風満帆の人しか
集まらないと聞いたことがある
でも波瀾万丈のどん底にいる奴も
晒し者にされて笑ってる
会社で偉くても
どんなに稼いでも
ここではポンコツだったあの頃だ
家族も同僚も知らない
18歳の私達に戻って
皆んな心のデトックスができた
帰宅したら26時
一滴も呑まず
最後まで幹事を全うした
自分を褒めてやりたい