(抜粋)
注意すべきことは、この均衡点が確実に主張しているのは「もし経済社会がその点にあれば内部全体で歪みが極小化されている」ということに過ぎず、必ずしも経済が放っておいても自動的にその均衡点に向かって能動的に動き出すということまでは主張していない。

しかしケインズ経済学が米国に入った時、そこで彼らは一歩踏み出して、経済社会は自動的にこの均衡点に向かって動き出すはずだと考え、むしろそれを正統派の解釈としたのである。

無論そのようになるケースも状況次第ではあり得ない話ではないが、先ほどのL M 曲線の話を思い出すと、そのように因果の糸をあまり多くたどった単なる相関グラフの場合には、連動性の脆弱な部分が生まれやすく、そこが駄目なら全体では自動均衡システムは働かない。

そのためケインズ自身にとっては恐らくこの米国流の解釈は本道を大きく逸脱した拡大解釈で、それは現在までつながる論争の種となっている。( 実はここは従来、前提となる議論自体がプロの経済学者にも理解が難しく、そのためしばしば議論が迷宮入りしていたのだが、その論争のポイントは要するにこういうことだったのであり、今や読者はその論争の構図までも手に取るように理解できるはずである。)


経済政策の上で真に重要な問題として立ち上がってくるのは、むしろ前者と後者の間での「中と外」の対決、つまり配線図の内部世界全体と、その外にある非正規な投資ルートとの間に生じる競合関係で、そちらこそが本命の対決になると思っていただきたい。

つまりその際には、前者の「配線図」の内部世界全体が、図では中央のまっすぐな線路一本に相当していることになり、そこでの金利も何か一つだけを代表としてイメージすればよいので、読者は例えばそれは要するに「公定歩合」のことだと単純に考えてしまえば良い。
一方それに対して両脇の何本もの湾曲した線路が、配線図の外側にあって正規の金融機関によらない金=ゴールドや原油の投機などの投資ルートに相当し、ここに乗ってしまった貨車は企業投資に向かわない。

それゆえ当局としては中央の線路の金利をある程度高くして、資金を両脇からそこへ集めなければならないが、あまり金利を上げると今度は中央の線路上で貨車の推進力が落ちてしまうことになり、要するに両者を妥協させて極大化する重要な均衡点がこれだというわけである。読者はひとまずこのイメージを頭に定着させてその後で細かい修正を加えていくと、一番スムーズに本質に近づけるはずである。

(コメント)
自動的に均衡点に行かないとなると、均衡点って経済の中でどんな意味があるのだろうということになる。現実を図示するのにちょうどよいものくらいと解釈しておけなよいのか。

正規の金融機関ではないものというのが気になるがここではケインズの完全還流状態をもっとも実現できる機関のことを指しているのだろう。

金=ゴールドや原油の投機などの投資ルートは企業投資に向かわないということで企業投資に結びつくものが正規の金融機関と解釈してよさそうである。
(抜粋)
「神の手」の話と同じ要領でそれを一種の均衡点と解釈して、物事がそこで定まるとするならば、それはこの経済世界を事実上一枚のグラフで表現できることになるのではあるまいか?

それはある意味でケインズの本意ではなかったかもしれない。実際、ケインズ自身は経済世界とはそのように需要と供給の均衡で安定して定まるほど安易なものではないと考えており、そのように解釈されることは、むしろ彼が嫌った世界観の中に無理やりはめ込まれてしまうに等しい。

しかしたとえそうであったとしても、資金の移動の縦方向と横方向を扱う最重要な二つのコア領域から2本の曲線を持ってきて、その組み合わせで経済の中枢部を本当に表現できるとすれば、それは人類がこれまで手に入れた中で、最もコンパクトに経済世界の真髄を記述するツールとなり得る可能性を秘めていることは事実なのである。

そう考えれば彼らの当時の興奮もわかろうというもので、実は読者も現在まさに当時の彼らと同じ体験をしているのかもしれない。それはともかく、彼らが当時この曲線を経済学の真髄であると考えてそれを熱狂的に支持したという事実は、まさにわれわれの「二点の重要ポイントを突破すれば経済学は理解できる」という主張を裏付ける、何よりも有力な証拠となっていると考えられるわけである。


(コメント)
「ケインズ自身は経済世界とはそのように需要と供給の均衡で安定して定まるほど安易なものではない」ということのエピソードほしいところだ。
(抜粋)
L M 曲線の部分に関しては多くの人が今ひとつ納得できず、果たしてこれが米国や日本に本当に適用できるのかとの疑問も少なくなかった。実際にLM 曲線の部分に関しては、それが完全な形で米国や日本の現場で役に立ったという話もあまり聞かないのである。

しかしその理由は先ほど述べたことからも見当がつくだろう。つまりこの話は英国のその時代に生じていた特殊な競合関係を前提としており、それがない場所では基本的に理解も応用もできないのである。

なおそのあたりの事情は第3 章の話でも同様で、もし読者が以前にそこを読んだ際、なぜその話がそんなに重要なのかわからず困惑していたとすれば、読者はその時の経済学者たちと似た体験をしたのかもしれない。

つまりこの場合、前もって頭の中にこの経済世界での全ての路線の大小関係が知識として入っていないと、それが本当にトップの二大路線であることや、その競合関係が現在の経済世界の最大のものであるかどうかがわからず、問題自体の重要性も十分理解できないのである。

そしてさらに第3 章の「金利が上がれば株が下がる」という話の場合、これが本当に現代の経済世界での二大競合関係と言えるかについても、実はワンクッション置く必要がある。

それというのもこの話は、むしろ戦術レベルで細分化されて経済社会全体に広く分散しているという点が最大の特徴で、それを構成する路線は必ずしも「コア」というイメージのように一ヶ所に集中して太い線路をなしているわけではない。

しかし逆にそのため身近な個人投資家レベルから国際経済レベルまで、非常に広く普遍的にあらゆる国で見られており、それらを大から小まで合計すれば極めて大きなものとなると考えられる。その意味でこれは仮に最大の競合関係ではなかったとしても、最も覚えておいて損のない実戦向きの知識であることは確かで、第3 章でこれを代表として選んだ理由はむしろその点にあったのである。

(コメント)
とりあえず完全還流状態をつくることが目標でそれをクリアするためには2つのコアがある。
借りる側の汲み上げポンプと貸し側の資金提供ポンプである。
分かりにくいのが貸し側の資金提供ポンプのほう。
戦術レベルで細分化されて経済社会全体に広く分散しているという点が最大の特徴のようで要は貸し側の資金提供ポンプにつながってるホースが並列して多数存在するのだろう。
それがすべて借りる側の汲み上げポンプに繋がっていれば完全還流状態を作り出せる。
ホースは何本も並列して存在するが、それを束ねて1本のホースだとみなしそのホースがどこに対し繋がっているかも含めて考えると一ヶ所に集中して太い幹なると解釈してよいということだろう。