(抜粋)
要するに物を作って売る実体経済よりも、財務マンと投資家たちがコンピューターと電話線の中に作り上げる小宇宙が実体経済から独立してどんどん肥大し、ついには実体経済を圧倒してそれを支配するようになったということである。( 実際それまでは「経済」といえば、別に何も言わなくてもそれは実体経済のことを意味していたのだが、9 0 年代頃から実体経済はわざわざ「ファンダメンタルズ」という名で区別して呼ばなければなくなった。このことからも立場の逆転が見てとれる。)

これは事実上の主導権の逆転に他ならず、文明の根幹にかかわる重大な変化を引き起こしかねないほどのものである。少し以前にはこういう不気味な支配力を指して「為替金融帝国」という言葉が使われたことがあるが、これもこの現象の一つの表現だと言えるだろう。

つまり投資家や財務マンたちの世界が国境を超えて手をつなぎ、それ自身の意志をもつ一種の帝国と化して世界経済を支配するようになったということである。この言葉を使っても良いのだが、この本ではその「製品・サービスの貿易にとってかわって世界経済を動かす原動力となった資本移動」を行なっている存在を「金融スーパーハイウェイ」と呼ぶことにしよう。

(コメント)
金融スーパーハイウエイ形成の背景が気になる。
投資家たち有利のツールにはなっているようだ。
国を超えて資本が行き来するようになっているわけだから。
おそらくここでは自由に行き来できるのだろう。
投資家帝国。。
(抜粋)
論説記事の内容がたとえ最初は全くわからずとも、検索を行う要領でその文中から「投資」や「金利( もしくは金利差)」という単語を拾い出してみるのである。

その場合、その単語と単語の間の文章領域には、恐らく十中八~ 九、その真下に何らかの形で確実にこのコアのバリエーションが横たわっているはずなのである。

そのとき、読者は細部がわからずとも、文章のその位置の真下にコアが存在していることを確信できさえすれば、おぼろげに全体の形がわかるだろう。そしてひとたびそれがわかれば、そこを中心に一種の座標軸が頭の中に据えられて、他の情報との相対的な位置関係を把握できるようになるはずである。

要するにこの時点で、もはや読者の頭の中には、経済の立体的な地図を描く能力が身に着いている可能性が高いのである。

むしろ重要なのはこの点で、今まではそうした情報は、経済全体の中で一体どういう位置づけになっているのかがわからないため、恐らく何度聞いても頭の中に定着せず、それらは右の耳から左の耳へ通り抜けて消えていたと思われる。

しかしもしこのコアが頭の中にしっかりと根を下ろして大黒柱のような太い幹となっていれば、それらの周辺情報がその幹のどこに「枝」として接木されるのかがわかるようになり、頭の中でそれら全体が一本の大きな樹として育ち始めるはずなのである。

(コメント)
う~む、たしかに読めるようになる。
(抜粋)
質と量の両面で積として総合的に見た場合、それらはいずれもこのコアを上回ることは決してなく、そのため経済社会のシステムが現在のようなものである限り、恐らくその内部にこれ以上大きなコアとなる構造体が他に発生することは、原理的に言って事実上あり得ないことになるのである。

つまりあらゆる観点から見て、これこそが経済社会の最大のコアなのであり、その意味でこの認識こそが、まさしく人類の経済学が到達した「最高到達点」であると考えられるわけである。

(コメント)
いままで説明されたことを頭にいれておけば問題ないといっているようだ。