(抜粋)
1 9 8 6 年に英国でサッチャー政権がいわゆる「ビッグバン」を決行したときである。

これは「シティ」すなわち英国の金融市場の大改革であり、それまで英国政府が自国の金融「鉄道網」のコントロールのために設けていた検問所のような様々な規制を取り払い、さらに国境線付近の遮断機もこのさい撤去していわば鉄道網を「英国の鉄道」としておくこと自体をやめ、線路全体を海外と直結して国際社会に開放してしまおうということだった。

世界経済の三大金融市場( ニューヨーク・ロンドン・東京)のうちの二つがこのときにつながってしまった、つまり米国の金融ハイウェイと英国の金融ハイウェイが一体化して、超巨大金融ハイウェイが地球上に突如として出現してしまったということである。

世界経済の上を移動する資本は、今や何の制約もなしにそこを自由に移動することができ、事実上2 倍の機動力を手にすることになった。そのためこの時を境に、どの国の経済も製品を作って売ったりする実体経済の力をもってその金融スーパーハイウェイの力に抵抗することは、極めて困難となったのである。

それまでは世界全体で、実体経済と金融鉄道網の力はそれでも何とか一応拮抗していたのだが、この瞬間にその力関係は一挙に覆って後者の絶対的優位が決定した。


(コメント)
実態経済と金融経済網は拮抗していたが、ビッグバンから金融経済網のほうが強くなってしまったというのがポイントのようだ。
サービス業は機動力を売りにするものだが、それは強く金融経済網とつながっている。
金融経済網は資本を通じで機動力を提供するもので資本の流れをコントロールする役目があるようだが、その資本をかき集める確立が2倍になったと解釈すればよいのだろうか。
要はお金を企業に提供できる可能性が2倍増えたということだ。
そうなると資本家はどう特なのか?運用先が2倍増えてもうける確立が2倍に上がったということなのだろう。それに検問所のような様々な規制がないのでスムーズ。
企業家もお金を貸してもらえる可能性が2倍になったということだろう。
いいこと尽くめのような気がするが、東京市場はその流れにのっていないようなので、そこで資本の貸し借りをするメリットは世界的に見てメリットが薄らいでしまった。
よく会計を見直すとかいうのが話題になるが、それはメリットある運用市場であるニューヨーク・ロンドンに東京もあわせないといけないということなのだろう。


10数年前の山一が潰れた時期にもよくビッグバンと騒がれた時期があったけど最終的にどうなったのだろう。
(抜粋)
1 億からの自国民がどうやって食っていくかということをあくまで原点に経済を考えていくというものである。そのためそこでは、国内で失業者を出さないこと、産業の国際競争力を維持することなどがその最優先事項となる。

これに比べると金融スーパーハイウェイの場合にはおよそこうしたことは関心事とは程遠く、米国の投資銀行などにいてそれにかかわる者などにとっては、米国内で失業者がどれほど出ようがそれは単なるデータの一つにすぎず、彼らは金融スーパーハイウェイが健全で自分の投資銀行が利益を出せればそれで良いのである。

新時代の経済戦争は「金融スーパーハイウェイと国民経済との間の死闘」と表現できるというわけだが、日本は体質的に後者の「国民経済」の側に馴染みやすいことは何としても否みがたく、何と言われようと平均的な日本人の感覚としてはやはり前者のもつ性格は不健全という感触を拭いきれるものではあるまい。

そして日本の経済は時間をかけて製品の質を上げることに関しては強いが、金融スーパーハイウェイの上を迅速な決断力によって移動することに関してはあまりに未熟で、実際にこの頃から日本は経済戦争に負け始めたのである。

(コメント)
金融スーパーハイウェイvs 国民経済は、どれだけの人を生きていくうえで気にするかというのが1つ違いがあるのではないかと思う。
どれがよいのかは人それぞれだが、バランスの問題なのではないのかなぁ。
偏重しすぎるとよくない気がする。
(抜粋)
「補給革命」がもたらす常識の変化、つまり主導権が前線側から補給線側に移ったため、どちらの場所で勝っていることがすなわち「好況」なのかということについても以前の考えが通用しなくなってしまったことである。

つまりもしこの時期の経済戦争を、企業が製品を売買する実体経済前線の「野戦軍的部分」と、後方の補給・兵站を担う「鉄道網的部分」たる金融部門に分けたとき、従来の常識からすれば前者が勝っていることすなわち「好況」だったのだが、金融スーパーハイウェイの登場によって立場が逆転し、後者が不調になることすなわち「不況」となったのである。



そして日本の場合バブル崩壊の時点では、後者の鉄道網が大打撃を被ったものの、前線の野戦軍的部分はいまだに勝ち続けていた。実際このときにおいても日本の製造業はむしろその競争力が強過ぎることを心配せねばならない有様だったのであり、そしてこのちぐはぐな状況が混乱をさらに広げることになった。

要するにほとんどの日本人は勝ち続けている実体経済の競争力だけを見て「まだ勝っている」と錯覚し、金融システムの打撃などは前者が好調である限りさほど心配する必要はないという従来の常識からなかなか脱却できなかったのである。


(コメント)
市場シェアは目標であるには変わらない。
しかしその奪い方が従来と変わったということだ。買収がその方法で補給革命の象徴のようだ。