(抜粋)
1 億からの自国民がどうやって食っていくかということをあくまで原点に経済を考えていくというものである。そのためそこでは、国内で失業者を出さないこと、産業の国際競争力を維持することなどがその最優先事項となる。
これに比べると金融スーパーハイウェイの場合にはおよそこうしたことは関心事とは程遠く、米国の投資銀行などにいてそれにかかわる者などにとっては、米国内で失業者がどれほど出ようがそれは単なるデータの一つにすぎず、彼らは金融スーパーハイウェイが健全で自分の投資銀行が利益を出せればそれで良いのである。
新時代の経済戦争は「金融スーパーハイウェイと国民経済との間の死闘」と表現できるというわけだが、日本は体質的に後者の「国民経済」の側に馴染みやすいことは何としても否みがたく、何と言われようと平均的な日本人の感覚としてはやはり前者のもつ性格は不健全という感触を拭いきれるものではあるまい。
そして日本の経済は時間をかけて製品の質を上げることに関しては強いが、金融スーパーハイウェイの上を迅速な決断力によって移動することに関してはあまりに未熟で、実際にこの頃から日本は経済戦争に負け始めたのである。
(コメント)
金融スーパーハイウェイvs 国民経済は、どれだけの人を生きていくうえで気にするかというのが1つ違いがあるのではないかと思う。
どれがよいのかは人それぞれだが、バランスの問題なのではないのかなぁ。
偏重しすぎるとよくない気がする。
1 億からの自国民がどうやって食っていくかということをあくまで原点に経済を考えていくというものである。そのためそこでは、国内で失業者を出さないこと、産業の国際競争力を維持することなどがその最優先事項となる。
これに比べると金融スーパーハイウェイの場合にはおよそこうしたことは関心事とは程遠く、米国の投資銀行などにいてそれにかかわる者などにとっては、米国内で失業者がどれほど出ようがそれは単なるデータの一つにすぎず、彼らは金融スーパーハイウェイが健全で自分の投資銀行が利益を出せればそれで良いのである。
新時代の経済戦争は「金融スーパーハイウェイと国民経済との間の死闘」と表現できるというわけだが、日本は体質的に後者の「国民経済」の側に馴染みやすいことは何としても否みがたく、何と言われようと平均的な日本人の感覚としてはやはり前者のもつ性格は不健全という感触を拭いきれるものではあるまい。
そして日本の経済は時間をかけて製品の質を上げることに関しては強いが、金融スーパーハイウェイの上を迅速な決断力によって移動することに関してはあまりに未熟で、実際にこの頃から日本は経済戦争に負け始めたのである。
(コメント)
金融スーパーハイウェイvs 国民経済は、どれだけの人を生きていくうえで気にするかというのが1つ違いがあるのではないかと思う。
どれがよいのかは人それぞれだが、バランスの問題なのではないのかなぁ。
偏重しすぎるとよくない気がする。