(抜粋)
発展途上国の内部を考えると、そこでは国内の少人数の「使える」部分だけが先進国経済とつながって、その層だけに外から富が流れ込むことになる。ちょっと考えればわかるように、それは要するに国内での格差の拡大に他ならず、現に中国などでは国内の格差の拡大は深刻な問題である。

しかしそれ以上にそのシャッフルの影響を深刻に受けるのは、むしろ北側先進国の側であろう。つまりかつての国境線で格差が分かれていた時代には、勝ち組の北側先進国では、国家単位でまとまって低所得者層といえどもそれなりに平均化されて保護されていた。

ところがそのように、光ファイバーの上で途上国の細分化された低賃金労働力と競争を強いられるようになると、それにどんどんかじり取られるように国内の仕事を奪われて、結果的にそれまで南側に存在していた貧困が姿を変えて国内に流れ込んでくることになる。

要するに現在起こっていることは極端に言えば、その国境による保護を取り払って世界全体で全部のカードを混ぜてシャッフルし直すことなのであり、そうなれば今まで南側諸国の側に集中していた貧困のカードが、先進国の側にも等分に混じってくることになるわけである。

おまけに以前には南北の格差を広げることに一役買っていた産業用ロボットの普及は、それを導入すれば誰でも高度な製品が作れるため、今度は逆に各国の間の技術格差を狭める方向に作用する公算が高い。( 実際この十年ほどの間、日本から中国への輸出品目のうち、その最大の部分を占めていたのが工作機械だったことには注意する必要があるだろう。)

(コメント)
より個人の時代になっていくということ。
国は関係なくなるということなのだろう。
国内の格差の拡大とあるが、この時点で国という概念がないという感じである。
昔あった国という単位という尺度を用いてみれば、こう表現できるということなのだろう。

産業用ロボットの輸出による普及は、それを国の技術という格差を縮小しているのに買っている。

最近国の公務員を縮小だとか、小さな政府といわれているわけだが、すでにそういった移行は始まっているわけで、優秀な人は役所から出て個人営業を開始しているわけである。
(抜粋1)
一つはグローバル自由経済という「思想」の登場、もう一つは情報テクノロジーの登場で、それらがここ2 0 年ほどの間に十年ほどの時間差をつけて重なって起こることで、いわば二段式ロケットのような形で世界経済に激変をもたらしているのである。

(抜粋2)
アフリカなどでは現在も状況は良くなっていないが、ご存知のように中国やインドなどのいわゆる「新興国」の発展が目覚しく、少なくとも当時予想されたような、「一旦ついてしまった国際間の格差は埋まらずにもはや挑戦が難しい」という状態にはなっていないのである。ではその予想のどこが間違っていたのだろうか。

状況を大きく変えたのが「ロケットの第二段目」の時期に光ファイバーとコンピューターが爆発的に普及し、経済が国境線を超えて浸透するようになったことであるように思われる。

十数年ほど前に限界に達していたのはこういうパターンによる国家単位の挑戦だったのであり、南北間の国際格差が縮まらないというのは、いわば「第一段目」の時代の中で成立する論理としては、確かにその通りだったのである。

8 0 ~ 90 年代ごろの状況を考えると、そのような低賃金を武器とする国営企業などでいくら安い製品を作っても、もはや先進国の製品との間では技術面での格差がつきすぎて、誰が見ても価格の安さだけでは競争できない状況に陥っていた。そこにさらに追い討ちをかけるようにして、低賃金という切り札自体が産業用ロボットによって無力化されるとなると、もはや途上国側は先進国に対抗する能力を根底から失ってしまうことになる。

ところがここで「第二段目」の段階に入り、アメーバのような多国籍企業が光ファイバーを通じて浸透していくとなると、状況が少し変わってくる。

「第二段目」の段階に入り、アメーバのような多国籍企業が光ファイバーを通じて浸透していくとなると、状況が少し変わってくる。つまりそれらが国境線を無視して下請け作業を安く行ってくれる部分を探そうとする場合、途上国の国内でも比較的教育の高い少数の集団だけを一部屋に集めて、産業用ロボットなどと一緒に使い、その一部屋分の仕事だけを光ファイバーで本社と結ぶことを考えるならばどうだろう。

それならば質の点でも問題はなく、その低賃金というメリットはまだまだ魅力がある。そして国内にそういう「細分化すれば取り込める」部分を膨大な規模で持っていたのが中国とインドだったわけである。

逆に途上国の立場からすると、国家一丸となっての挑戦を行うことは確かに限界となったかもしれないが、それを断念して各部をばらばらな形でそのアメーバに参加させることは十分可能である。そのため彼らは一種の賭けとしてそちらに舵を切ったのである。

将来を考えると今後、新興国がそうやって取り込んだ富や技術を本当に国の力として再編成していけるのか、また経済成長の主導権を一旦多国籍企業に委ねてしまったことが、長い目で見て国の首を絞めることはないのかなど、まだまだ予想は難しい。

現在われわれが見ているのは、経済競争の主役が国家からそうしたアメーバのような多国籍企業に移行し、国境線そのものが溶解していく過程で生じる、その最終的な調整局面に過ぎないのではあるまいかということである。

要するにそのアメーバ群が世界を呑み込んで、かつての国家間の貿易戦争という時代が終わりを迎えていく際に、たまたまそこにいて結果的に最大の受益者となった最後の大きな国が中国やインドだったというわけで、新しい世代交代どころか、むしろわれわれは国々の世代交代の歴史が終わりを迎える最後の局面を見ているという可能性も否定できないのである。

(コメント)
自由経済だと途上国だと国としては入る込む余地はないに等しい。
しかし、光ファイバーで細分化した個人を先進国に差し出してそこから活路を見出すことが可能になる。リスクはあり、国内の優秀な上澄み部分だけを外国企業に差し出し、国の手持ちの僅かな切り札さえ先進国側に吸収されてしまう危険と隣り合わせである。しかしその一方、逆の見方をすれば、それはいわば労働者が光ファイバーを通して国内に留まったまま出稼ぎを行うようなもので、富の幾分かは国境線のこちら側に入ることになるとのこと。ではその結果はどうだったろうか? それは吉と出たのである。少なくとも現時点では、それによって新興国が外国企業の持っていた技術や資本を国内に取り込み、それによって前進のきっかけを得たことは、否定しようのない明白な事実とのこと。

ここでのインド・中国の成功は、国々の世代交代の歴史が終わりを迎える最後の局面を見ているという可能性、いわば国という単位が終わりを迎えるところをたまたま目にしているのかもしれないというのはなかなか時代を反映した言葉。
いわゆる、文脈に「日本人は」という主語がもはや機能しない時代に突入しているということなのだろう。
(抜粋)
イスラム圏は、何か特別な産業を国内にもっておらずとも、ただその地理的位置だけで経済的繁栄を約束されていたと言ってよい。そしてさらにイスラム文明そのものが、その地理的幸運を活かす条件を備えていた、というよりむしろ最初から自由貿易以外の体制はほとんど成立し得ないという制約があったとさえ言える。

イスラム圏はGATTに先立つ千年以上前に実現をみていた巨大な自由貿易圏といっても過言ではない。ただ、一つ大きく異なる点は、このイスラム圏内の貿易や経済が本質的に「産業」を主力とするものではなく「商業」にしか基礎を置いていないという点である。

イギリスよりもその前のオランダ型に近かったと言えるだろう。そしていくら巨大といっても、このように中継貿易で成り立つ商業経済というものはやはり弱いものであり、通商ルートが変更されればたちまちすたれてしまう。イスラム圏の場合、最大の致命傷となったのは大航海時代の到来によってバスコ・ダ・ガマを筆頭とする喜望峰廻りのルートが開かれてしまったことである。

それにしても、このようにイスラム世界を一種の自由貿易圏として捉えることは、自由貿易そのものに対してもいろいろと示唆する点が大きい。そもそもこの宗教の成立そのものがすでに自由貿易と深くかかわっており、これはよく誤解されるように砂漠の中でベドウィンの土俗的信仰から発展したものではなく、むしろ自由経済が高度に発達しすぎた都市の中で生まれたものである。

つまり砂漠の都市メッカに急速に自由経済が流れ込んできて一種の道徳的退廃が蔓延したときに、その退廃へのワクチンとしてこの宗教が導入されたというのが真相なのであり、その問題自体はむしろ現代的意義すらもっていると言えるほどである。

実際このことが示唆する点は意外に大きく、自由貿易・自由経済が一旦溶解させてしまった伝統的な社会道徳秩序を、宗教がそれにかわって担うという形で支え、この大きな経済圏の秩序全体がそれに大きく依存し続けたということは、一つの例として興味深い。

またもう一つ注目すべきことは、ここでは自由貿易は「産業」と結びつかなかったが故にさほど凶暴な顔を見せることがなかったということである。つまり現代と違って、常に外を警戒していないとあっという間に産業競争力衰退の坂道を転がり落ち、地域・国家経済が壊滅するということは起こりにくい。

一見すると貿易は、国際経済の中で競争を激化させることによって経済戦争を加速・過熱させやすいように見えるが、実はそれは貿易の背後にある「産業」がそうさせるのであって、やはりその核に存在するのは、産業に投資するための集中した資金・資本の塊であることが、これを見るとよくわかるのである。

(コメント)
地理的位置だけで経済的繁栄を約束されらイスラム圏。
でも大陸から物資を運ぶのではなく、船で運ぶルートが見つかると弱くなってしまう。船のほうが楽チンだからだろう。
自由経済は道徳的退廃をもたらすがそれの対策として宗教が効かせたということ。
すでにイスラムでは自由経済を実施して、それをどううまく維持してきたかという歴史を持っているようだ。
ただ、産業と貿易が結びついていないので問題なかったわけだが、これからの歴史はそれが結びついた形のものが地球レベルで実施される。自由貿易が凶暴な存在となるのはそれが「産業」と結びつ
いた場合なので、産業に投資するための集中した資金・資本の塊をどうルール作りしていくかが決め手なのだろう。できるのか?