(抜粋)
イスラム圏は、何か特別な産業を国内にもっておらずとも、ただその地理的位置だけで経済的繁栄を約束されていたと言ってよい。そしてさらにイスラム文明そのものが、その地理的幸運を活かす条件を備えていた、というよりむしろ最初から自由貿易以外の体制はほとんど成立し得ないという制約があったとさえ言える。
イスラム圏はGATTに先立つ千年以上前に実現をみていた巨大な自由貿易圏といっても過言ではない。ただ、一つ大きく異なる点は、このイスラム圏内の貿易や経済が本質的に「産業」を主力とするものではなく「商業」にしか基礎を置いていないという点である。
イギリスよりもその前のオランダ型に近かったと言えるだろう。そしていくら巨大といっても、このように中継貿易で成り立つ商業経済というものはやはり弱いものであり、通商ルートが変更されればたちまちすたれてしまう。イスラム圏の場合、最大の致命傷となったのは大航海時代の到来によってバスコ・ダ・ガマを筆頭とする喜望峰廻りのルートが開かれてしまったことである。
それにしても、このようにイスラム世界を一種の自由貿易圏として捉えることは、自由貿易そのものに対してもいろいろと示唆する点が大きい。そもそもこの宗教の成立そのものがすでに自由貿易と深くかかわっており、これはよく誤解されるように砂漠の中でベドウィンの土俗的信仰から発展したものではなく、むしろ自由経済が高度に発達しすぎた都市の中で生まれたものである。
つまり砂漠の都市メッカに急速に自由経済が流れ込んできて一種の道徳的退廃が蔓延したときに、その退廃へのワクチンとしてこの宗教が導入されたというのが真相なのであり、その問題自体はむしろ現代的意義すらもっていると言えるほどである。
実際このことが示唆する点は意外に大きく、自由貿易・自由経済が一旦溶解させてしまった伝統的な社会道徳秩序を、宗教がそれにかわって担うという形で支え、この大きな経済圏の秩序全体がそれに大きく依存し続けたということは、一つの例として興味深い。
またもう一つ注目すべきことは、ここでは自由貿易は「産業」と結びつかなかったが故にさほど凶暴な顔を見せることがなかったということである。つまり現代と違って、常に外を警戒していないとあっという間に産業競争力衰退の坂道を転がり落ち、地域・国家経済が壊滅するということは起こりにくい。
一見すると貿易は、国際経済の中で競争を激化させることによって経済戦争を加速・過熱させやすいように見えるが、実はそれは貿易の背後にある「産業」がそうさせるのであって、やはりその核に存在するのは、産業に投資するための集中した資金・資本の塊であることが、これを見るとよくわかるのである。
(コメント)
地理的位置だけで経済的繁栄を約束されらイスラム圏。
でも大陸から物資を運ぶのではなく、船で運ぶルートが見つかると弱くなってしまう。船のほうが楽チンだからだろう。
自由経済は道徳的退廃をもたらすがそれの対策として宗教が効かせたということ。
すでにイスラムでは自由経済を実施して、それをどううまく維持してきたかという歴史を持っているようだ。
ただ、産業と貿易が結びついていないので問題なかったわけだが、これからの歴史はそれが結びついた形のものが地球レベルで実施される。自由貿易が凶暴な存在となるのはそれが「産業」と結びつ
いた場合なので、産業に投資するための集中した資金・資本の塊をどうルール作りしていくかが決め手なのだろう。できるのか?
イスラム圏は、何か特別な産業を国内にもっておらずとも、ただその地理的位置だけで経済的繁栄を約束されていたと言ってよい。そしてさらにイスラム文明そのものが、その地理的幸運を活かす条件を備えていた、というよりむしろ最初から自由貿易以外の体制はほとんど成立し得ないという制約があったとさえ言える。
イスラム圏はGATTに先立つ千年以上前に実現をみていた巨大な自由貿易圏といっても過言ではない。ただ、一つ大きく異なる点は、このイスラム圏内の貿易や経済が本質的に「産業」を主力とするものではなく「商業」にしか基礎を置いていないという点である。
イギリスよりもその前のオランダ型に近かったと言えるだろう。そしていくら巨大といっても、このように中継貿易で成り立つ商業経済というものはやはり弱いものであり、通商ルートが変更されればたちまちすたれてしまう。イスラム圏の場合、最大の致命傷となったのは大航海時代の到来によってバスコ・ダ・ガマを筆頭とする喜望峰廻りのルートが開かれてしまったことである。
それにしても、このようにイスラム世界を一種の自由貿易圏として捉えることは、自由貿易そのものに対してもいろいろと示唆する点が大きい。そもそもこの宗教の成立そのものがすでに自由貿易と深くかかわっており、これはよく誤解されるように砂漠の中でベドウィンの土俗的信仰から発展したものではなく、むしろ自由経済が高度に発達しすぎた都市の中で生まれたものである。
つまり砂漠の都市メッカに急速に自由経済が流れ込んできて一種の道徳的退廃が蔓延したときに、その退廃へのワクチンとしてこの宗教が導入されたというのが真相なのであり、その問題自体はむしろ現代的意義すらもっていると言えるほどである。
実際このことが示唆する点は意外に大きく、自由貿易・自由経済が一旦溶解させてしまった伝統的な社会道徳秩序を、宗教がそれにかわって担うという形で支え、この大きな経済圏の秩序全体がそれに大きく依存し続けたということは、一つの例として興味深い。
またもう一つ注目すべきことは、ここでは自由貿易は「産業」と結びつかなかったが故にさほど凶暴な顔を見せることがなかったということである。つまり現代と違って、常に外を警戒していないとあっという間に産業競争力衰退の坂道を転がり落ち、地域・国家経済が壊滅するということは起こりにくい。
一見すると貿易は、国際経済の中で競争を激化させることによって経済戦争を加速・過熱させやすいように見えるが、実はそれは貿易の背後にある「産業」がそうさせるのであって、やはりその核に存在するのは、産業に投資するための集中した資金・資本の塊であることが、これを見るとよくわかるのである。
(コメント)
地理的位置だけで経済的繁栄を約束されらイスラム圏。
でも大陸から物資を運ぶのではなく、船で運ぶルートが見つかると弱くなってしまう。船のほうが楽チンだからだろう。
自由経済は道徳的退廃をもたらすがそれの対策として宗教が効かせたということ。
すでにイスラムでは自由経済を実施して、それをどううまく維持してきたかという歴史を持っているようだ。
ただ、産業と貿易が結びついていないので問題なかったわけだが、これからの歴史はそれが結びついた形のものが地球レベルで実施される。自由貿易が凶暴な存在となるのはそれが「産業」と結びつ
いた場合なので、産業に投資するための集中した資金・資本の塊をどうルール作りしていくかが決め手なのだろう。できるのか?