(抜粋)
双方が低い状態でそれなりにバランスをとってしまった場合、この往復システムの内部には、その低い水準から脱却して全体を高い水準での往復に移行させる力というものは存在しないのであり、それは誰かが一時的に外からバケツで流し込んでやらない限りは不可能なのである。( これは、以前の金貨が電車で行ったり来たりする図の上でも同じであり、電車で行ったり来たりする貨幣も恒久的にこの低いレベルで往復運動を繰り返すことになる。)

一見余りにも当たり前に話が進んでしまったが、実はこれこそ例の「神の手」万能論、すなわち経済は必ず自力で最適状態を達成する力をもっているとの確信を根底から揺るがしかねないものであり、そしてこれがケインズの経済観の最大の特徴なのである。

経済は必ずしもすべての場合について自動回復機能をもっているわけではなく、時に神の手にかわって人間がバケツで燃料や貨幣を注いでやらねばうまく動かないというのである。そしてさらにその、バケツで燃料を一時的に注ぎ込むことを、政府が予算を投入して行なうべきではないかというのが、「ケインズ的処方箋」なのである。

(コメント)
低い水準から脱却して全体を高い水準での往復に移行させる力というものは存在しないというのが最大のポイントのようだ。高い水準への移行を実施するには外部からの協力が必要なのだろう。
(抜粋)
19世紀以降自由・平等主義の高まりとともに、エジプトのピラミッドは悪しき君主制時代の圧政を象徴する無意味な遺物の代表例とされたのである。

ところが思想の力というものは大したもので、ケインズ経済学が登場して以来、こういう見方はめっきり減った。ケインズ自身が著書の中で半ば冗談まじりにピラミッドについて言及していることも手伝ってか、実はこのピラミッドというものは圧政とは逆に、むしろ失業救済という意味があったのではないかという見解が一般にも語られるようになったからである。

それというのもナイル川は定期的に氾濫を起こすことが知られており、毎年その間は農作業が不可能となっていた。そのためその期間、国家が食料と住居を保証してピラミッド建設という公共事業のため、労働者として彼らを雇うことは、立派な失業対策になるではないかというわけである。

ケインズ経済学はそうした政府が行なう公共事業の経済的効果について、学問的にきちんとした裏付けを与えた。そしてその実際の効果は、単に労働者に今日一日分の生活費を与えて家に帰すというのに留まらないものがあることを示したのである。

(コメント)
ピラミッドの公共事業の見解はケインズ経済学が裏を取っていたのだなぁ。