(抜粋)
双方が低い状態でそれなりにバランスをとってしまった場合、この往復システムの内部には、その低い水準から脱却して全体を高い水準での往復に移行させる力というものは存在しないのであり、それは誰かが一時的に外からバケツで流し込んでやらない限りは不可能なのである。( これは、以前の金貨が電車で行ったり来たりする図の上でも同じであり、電車で行ったり来たりする貨幣も恒久的にこの低いレベルで往復運動を繰り返すことになる。)
一見余りにも当たり前に話が進んでしまったが、実はこれこそ例の「神の手」万能論、すなわち経済は必ず自力で最適状態を達成する力をもっているとの確信を根底から揺るがしかねないものであり、そしてこれがケインズの経済観の最大の特徴なのである。
経済は必ずしもすべての場合について自動回復機能をもっているわけではなく、時に神の手にかわって人間がバケツで燃料や貨幣を注いでやらねばうまく動かないというのである。そしてさらにその、バケツで燃料を一時的に注ぎ込むことを、政府が予算を投入して行なうべきではないかというのが、「ケインズ的処方箋」なのである。
(コメント)
低い水準から脱却して全体を高い水準での往復に移行させる力というものは存在しないというのが最大のポイントのようだ。高い水準への移行を実施するには外部からの協力が必要なのだろう。
双方が低い状態でそれなりにバランスをとってしまった場合、この往復システムの内部には、その低い水準から脱却して全体を高い水準での往復に移行させる力というものは存在しないのであり、それは誰かが一時的に外からバケツで流し込んでやらない限りは不可能なのである。( これは、以前の金貨が電車で行ったり来たりする図の上でも同じであり、電車で行ったり来たりする貨幣も恒久的にこの低いレベルで往復運動を繰り返すことになる。)
一見余りにも当たり前に話が進んでしまったが、実はこれこそ例の「神の手」万能論、すなわち経済は必ず自力で最適状態を達成する力をもっているとの確信を根底から揺るがしかねないものであり、そしてこれがケインズの経済観の最大の特徴なのである。
経済は必ずしもすべての場合について自動回復機能をもっているわけではなく、時に神の手にかわって人間がバケツで燃料や貨幣を注いでやらねばうまく動かないというのである。そしてさらにその、バケツで燃料を一時的に注ぎ込むことを、政府が予算を投入して行なうべきではないかというのが、「ケインズ的処方箋」なのである。
(コメント)
低い水準から脱却して全体を高い水準での往復に移行させる力というものは存在しないというのが最大のポイントのようだ。高い水準への移行を実施するには外部からの協力が必要なのだろう。