(抜粋)
残念ながら結局のところケインズ経済学はあまりにも複雑な高級機であり過ぎて、英国では本来の設計目的のためにはほとんど役に立たなかったと言わざるを得ない。

また大恐慌のための武器としても、現実には登場が遅すぎて実質的な貢献はほとんどなかったし、戦後の6 0 年代に米国で本格的に使われ始めた時には、必然的に本来の設計目的とは少々違う状況下に投入される格好になり、むしろ暴走による害が目立った。このように見てみると、結局ケインズ経済学は実戦ではどこでもあまり役に立たなかったという冴えないことになってしまうのだが、しかしこの「活躍の場がなかった高級機」はむしろそれをばらして部品にしたとき、その設計に際して後に与えた影響という面で巨大な功績があったのであり、その点からする限りこれは紛れもなく名機の中の名機であったと言える。

例えば「投資と貯蓄が一致しなければならない」というマクロ経済学の基本原理なども、基本的にこれによって確立されたのであり、G N P の概念などもそれによって初めて経済学に採り入れられた。実際現在の経済学で設計に際してその影響を受けていないものは一つもないと言って良く、反対する陣営にさえそれだけの影響を与えたというところから見ても、これがいかに大きな経済学の革命であったかがよくわかるのである。

(コメント)
ケインズ経済学の理論はパーツとしては成立しているようだ。あと組み立てるのがということなのかな?
それと誰の利益を代表するかということで採用・不採用が決定する。
国レベルで考えると少なくとも日本はケインズ経済という考え方に恩恵を世界一受けた国の1つのようだ。
(抜粋)
「ケインズ主義の終焉」とは、要するに彼ら投資家階層の大反撃そのものだったのである。つまりこれはかつてケインズが生産者階層の援護のため投資家階層の絶滅を図ったことへの復讐であり、8 0 年代のレーガン・サッチャー政権時代に始まった金融資本主義の潮流は、まさしくサンドイッチの上側にいる投資家階層が下側の消費者を誘って真中の生産者階層を挟撃する、歴史的規模の反撃に他ならなかったのである。

そのように思って眺めると、当時言われていた「消費者主権」という言葉の背後で実権を握る巨大機関投資家の存在、一国資本主義の否定とグローバル資本主義の台頭、それと同時に進行を始めていたデフレ傾向等々、それらすべてが投資家階層にとって快適な環境であり、彼らの反撃の流れの一環であったことがわかるだろう。

(コメント)
何十年単位だかしらないが企業家と投資家との戦いが入れ替わり立ち代り実施されている。
今はケインズ主義の終焉とあるので投資家層が盛り返している時代のようだ。
(抜粋)
英国の経済戦略としては、いずれにせよたとえ投資家たちを犠牲にしても、国内で企業家階層に味方して元気づける政策をとるほかない。なぜならどのみち英国の国内産業の実力を、傍から見ても魅力的なほどに回復させない限り英国の資本は、企業家の手の中では企業の衰退と共に痩せ細り、投資家の手の中のものは
魅力的な投資先を求めて国外に逃げ出すということが同時進行し、それを引き留めておくことも創出することもできないからである。

つまりケインズ経済学とは、国内における企業家と投資家の闘争において、明らかに前者に味方して後者を滅ぼそうとする戦略としての側面をもっていたのである。

(コメント)
投資家は自国の産業などどうなってもよく、自由に投資できればよい。そういった投資家と痩せ細る英国企業家の闘争にケインズ経済学が使われたということ。