(抜粋)
曲線の話を前半と後半に分けた場合、大まかに言えば前半の「IS曲線」は基本的にわれわれの第1章に関連した話、そして後半の「L M 曲線」は第3章に関連した話であると見ることができるのである。

そしてケインズ経済学では、その2 本の曲線をグラフ上で組み合わせた「IS-LM曲線」というものを考えると、経済の最も重要な中枢部分を記述できると考えられている。そうだとするとその意味はわれわれにとって重大である。つまりわれわれの側が「重要突破点」として選んだ二つの場所の近くから、一本づつ曲線をもってきてそれを組み合わせると、経済学の真髄を表現するツールとなり、それが当時の経済学者たちに熱狂的に歓迎されたというのである。

(コメント)
この曲線、簡単に理解できそうで理解できそう、なんだけど理解できなかった記憶ある。
(抜粋)
1 8 世紀の常識からすれば、経済問題は他の政治や文化の問題と不可分に論じていくべきもので、そこだけを分離して発展させることなどは、よほど特殊な条件のもとでなければ無理だとされていた。

一口に「自由放任・市場万能論を信用しない立場で経済のメカニズムを記述する」と言ってもそれはそう簡単にできることではない。そしてそれに成功した最大の存在こそがケインズだったのであり、同時にそれはマクロ経済学への道を開くことになった。それゆえ現在ではこちらの流れ全体が「ケインズ流」の名で呼ばれるようになってきているのである。

(コメント)
経済の歴史を見ると人間が物事を理解し客観し集団で行動するようにするということがいかに難しいかということがよくわかる。