(抜粋)
英国一国の中ではシステムは完結せず、海外を一回りして還流が行われるという、ちょっと特殊な形態になっていたのである。

当時の英国の場合それを投資のためにどこかの企業に持っていっても、うちは同族経営なので外からの金は別に必要ありませんといって、滅多にそれを受け入れようとはしない。

そこでこういう場合、そうした余剰資金の投資先はもっぱら海外へ求められるのである。1 9 世紀だとその代表例は米国の国債や州債であり、英国の投資家たちにとっては英国企業の債券のかわりにこれらの債券を買うことが「投資」だったのである。

逆に当時の発展途上国であった米国の立場からすれば、工業化のためにはいくら金があっても足りない状態であり、実際米国の大陸横断鉄道などの資金にしても、大体が英国の投資家たちが米国の州債を買ってくれたことで調達が可能になったのである。

しかし一時的に英国の資金は米国など海外に逃げてしまってはいるが、これは長期的に見ると英国経済にとってはそれほど困らない。なぜなら米国の鉄道会社にそうやって資金を供給したとしても、いまだ米国の工業力では機関車やレールを生産する能力がない以上、彼らはどうせ英国にそれらを発注するはずであり、結局すぐにその資金は英国に舞い戻ってくることになるからである。

もし米国の工業力が機関車やレールを自前で調達できるまでに成長してしまい、米国の鉄道会社が国内にそれを発注するようになってしまったら一体どうなるのか。

このときには英国の投資家が、どうせすぐ帰ってくるだろうとたかをくくって米国に供給した資本は、米国に行ったきりになって戻ってこず、その後はもっぱら米国の産業のための肥料となって海の向こうで還流を続け、逆にあてが外れた英国の産業はだんだん枯れていってしまうのである。


(コメント)
英国の同族経営的な考え方が、英国の資産家からみれば英国以外に注目させるきっかけになり主に米国に資金が入る込むことになる。米国はそのとうじ発展途上国だったので英国はたかをくくっていた。しかし米国が自力で工業製品を生み出せるようになった結果、英国は衰退していくことになる。
(抜粋)
端的に言ってしまえば当時の英国ではジェントルマン階級だけの中に資本主義が存在して、そこだけが突出して前進を続けていた。そして後に置いていかれた庶民階級は、むしろ農業文明的な伝統社会の中にいたのである。

( ウェーバーの「資本主義の倫理とプロテスタンティズムの精神」以来、資本主義とプロテスタントの結び付きは一つの常識となっているが、考えてみると、同じプロテスタントといっても、米国が上から下までの「真性プロテスタント」であるのに対し、英国の場合、英国教会というのはジェントルマン階級だけが真のプロテスタントで、民衆についてはむしろローマ法王のかわりに英国王がいるだけのカトリック的な制度であると言われており、このこともある程度影響しているのかもしれない。)

そのため金融システムにしても、ジェントルマン階級向けの債券市場などの中だけにそれが存在していて、民衆・労働者階級の中では貯蓄という習慣さえ未発達だったのである。そしてその状況を端的に示すのは、郵便貯金という制度が英国において生まれたことであろう。

実はこの制度は、本質的に後発資本主義国のためのもので、民衆の間に貯蓄という習慣が定着していない場合にこそ必要とされるのである。なぜならそういう状態だと、小さな村に銀行が店舗を開設したところで、せいぜい数人がたまに小銭をもって訪れるぐらいだろうから、建物を作ったり人を雇ったりすることの採算がとれない。

そこで、どんな小さな村にも政府が設けている郵便局を利用し、そこで預金受入れを行えば、その少額の預金に対しても十分対応でき、国家経済は彼らの預金も当てにできるようになるではないかというわけであり、当時としてはアイデア賞もののプランだったわけである。これは英国に続いてニュージーランド、ベルギーで採用され、そして四番目の採用国が日本だったのであり、特に日本では効果が絶大だった。

(コメント)
要は貯蓄をさせそれをどのように掻き集めるかという仕組みづくりが英国は弱かったようだ。
仕組みづくりは人の心のありかたを変えるものだがプロテスタンティズムをすべての人に浸透させるのは難しい。そこで郵便局などがその仕組みの1つを担うのがよいということになったのだろう。
今では郵便局の役割は終えつつあるようであるが、いろいろな意味があったのかなと思う。
(抜粋)
事実1 8 世紀の商業国たる英国にとっては、経済競争がどうこういう以前の問題としてまず軍事的問題、つまりドーバーの対岸にある国土も人口も巨大なフランスのような農業国が、ナポレオンに率いられる百万の軍隊で圧力をかけてくることこそが国家にとっての重大事であり、それを海軍力と経済力によってはねのけることこそが最優先課題だった。

そして当時の英国では資本主義も産業革命も多分にそうした国防のための基盤という観点から見られていたのである。例えば本書の第一章でも、国家が資本主義を採用する3 つの動機について挙げた。すなわち
① 軍事力の基盤として経済力を確保するための資本主義
② 各人が豊かな生活の夢を実現するための資本主義
③ 資本主義と戦うための資本主義
の三つであるが、この場合英国の資本主義は、このうち第一番目に最も重点を置いて設計されており、そして逆に第三番目は最初から軽視されていたと言える。逆に米国などは、この三つをかなりバランス良く備えているがゆえに、「真の資本主義」と呼ぶに価するものだったというわけである。

英国のこの「資本主義と戦うための資本主義」の機能が設計の中で軽視されていたことが、致命的な弱点となって現われたのである。それが第一次大戦前後、ちょうどケインズがいた時代であった。


(コメント)
資本主義の目的の確認と英国の特徴を理解。
ドーバー海峡の軍事基盤をつくるということが目的。
日本のような資本主義と戦うための資本主義は導入されていなかったとのこと。
だけど目的は違えどやってる資本主義は同じなのになんでそこ気にしないといけないのだろう。
①②③それぞれの設計の差異が気になる。