(抜粋)
端的に言ってしまえば当時の英国ではジェントルマン階級だけの中に資本主義が存在して、そこだけが突出して前進を続けていた。そして後に置いていかれた庶民階級は、むしろ農業文明的な伝統社会の中にいたのである。

( ウェーバーの「資本主義の倫理とプロテスタンティズムの精神」以来、資本主義とプロテスタントの結び付きは一つの常識となっているが、考えてみると、同じプロテスタントといっても、米国が上から下までの「真性プロテスタント」であるのに対し、英国の場合、英国教会というのはジェントルマン階級だけが真のプロテスタントで、民衆についてはむしろローマ法王のかわりに英国王がいるだけのカトリック的な制度であると言われており、このこともある程度影響しているのかもしれない。)

そのため金融システムにしても、ジェントルマン階級向けの債券市場などの中だけにそれが存在していて、民衆・労働者階級の中では貯蓄という習慣さえ未発達だったのである。そしてその状況を端的に示すのは、郵便貯金という制度が英国において生まれたことであろう。

実はこの制度は、本質的に後発資本主義国のためのもので、民衆の間に貯蓄という習慣が定着していない場合にこそ必要とされるのである。なぜならそういう状態だと、小さな村に銀行が店舗を開設したところで、せいぜい数人がたまに小銭をもって訪れるぐらいだろうから、建物を作ったり人を雇ったりすることの採算がとれない。

そこで、どんな小さな村にも政府が設けている郵便局を利用し、そこで預金受入れを行えば、その少額の預金に対しても十分対応でき、国家経済は彼らの預金も当てにできるようになるではないかというわけであり、当時としてはアイデア賞もののプランだったわけである。これは英国に続いてニュージーランド、ベルギーで採用され、そして四番目の採用国が日本だったのであり、特に日本では効果が絶大だった。

(コメント)
要は貯蓄をさせそれをどのように掻き集めるかという仕組みづくりが英国は弱かったようだ。
仕組みづくりは人の心のありかたを変えるものだがプロテスタンティズムをすべての人に浸透させるのは難しい。そこで郵便局などがその仕組みの1つを担うのがよいということになったのだろう。
今では郵便局の役割は終えつつあるようであるが、いろいろな意味があったのかなと思う。